泥水と子ども!
2025.05.17

活動の好き嫌いをお伝えするのはどうかと思いますが、個人的には子どもたちの生き生きとした表情がたくさん見られる泥んこあそびはとても好きです!私も子どもの頃雨が降れば大人が嫌がるようなことをしでかしたものです。「長靴で水たまりに入り中までグチャグチャに!」、「傘をひっくり返して水溜め!」、「傘の先で何でも突っつく」、「わざと水たまりに足からダイブ(大きな石を落とすことも=これは自分が逃げるのに必死!)し水はねを楽しむ!」等々数え上げれば切りがありません。
「ただおもしろいから!」これがまぎれもない子どもたちの思いなのです。子どもは「おもしろく生きる権利」を持っています(以前【子どもの権利条約】でお伝えしたと思います)。そしてこの楽しさを仲間と共有しニタニタと笑い合う経験こそ、大きな人生の楽しみ、ステキな仲間との連帯として心に残っていきます。もしかすると一生続く仲間になるかもしれません。苦しい時、悲しい時、仲間はとても頼りになります。その気持ちの通じ合いは、この様なメチャクチャ、楽しさを共にしたことで得られます。
人間同士許しあえる関係性とは、物事や他者に対して「ぜったいにこれしかダメ!」といった、二極的で極端な正誤を主張する関係性を避けます。「あいまい」は嫌う方も多いかもしれませんが、「グレーゾーン、棚上げ、様子見、ねかせる、いい加減」等の言葉や考え方に置き換えることが可能です。これは「寛容」といった人が身につけるべき「徳」とも言えます。
そして「水」、この素材は地球になくてはならない物質です。水がなければ人は生きていけません。これらの価値をどのようにに子どもたちに伝えるべきか!?答えは様々な水(美しく透き通った水・コーヒー牛乳のような濁った水・冷たい、あたたかい水、勢いある水)で遊ぶ楽しさをできるだけたくさん経験することです。リトマス試験紙で水質検査をし「飲み水には適しません」ではないのです。
地球環境問題にすべて言えることと考えますが、「美しい水」、「きらめき、あたたかな太陽」、「おいしい空気」、「緑の気持ち良さ」、「木で作ったスプーン」、「竹で作った箸」等の体験をすることは、その美しさや恩恵を心の底から感じる活動でもあり、「守りたい」といった思いにつながっています。
また土中には様々な雑菌も含まれています。直接体内に取り込みはしませんが、些少の接触は体の抵抗力を促進することにもつながります。現代は滅菌が過剰になり、体内に存在する雑菌が働かない等、かえって抵抗力がなくなり免疫力も弱っていると言えます。ここにも中庸(ちゅうよう=バランス感覚)が生きていくうえで大切であることを科学も証明しているようです。
これら必要な体験の初歩活動こそ「泥(水)あそび」なのです。デメリットは上記の通り土中の雑菌が手や身体、衣服に付着する、汚すなどです。メリットは今まで申しあげたとおりです。雑菌については手、身体を水道水、石鹸等で良く洗い流す(必要以上の除菌は逆効果)、衣服等の汚れは泥の色が残る場合もありますので、専用の靴や衣服を用意するなどで本人も汚れるのを気にせず思い切り遊びこめます。
子どもたちの心を動かし様々な物を試させる素材「みず」、こんな素晴らしい素材を子どもたちには思う存分味合わせてあげたいと考えています。ご自宅での洗濯等でお手数をおかけしますが、「これも我が子の成長のため!」とお考えいただき、どうぞ子どもたちに替わってお礼申し上げます。「ありがとう、おかーちゃん、おとーちゃん!もしかして バーバにジージ?」
カテゴリ:教育
「自己中心」が大切な乳幼児期 「今」が大事!
2025.05.10


子どもたちはステップを踏みながら、だんだんと遊びの質を向上させていきます。タイヤ、砂場、台と調理器具、野菜の苗等、様々な物に慣れ親しんでいくうちに、その使い方を縦横無尽に試し続けていきます。
タイヤ転がしはうまくいく時もあればそうでない時もあります。そこが持続して挑戦できる要因にもなっています。いつも失敗ばかりでは難しすぎて「飽き」てしまいます。おもしろさの程度のような秤りがあって、そのころ合いがマッチした遊びが固有の「楽しさ」を生み出しています。ですから誰もが同じ遊びで楽しめるとは限りませんが、大体同じくらいの発達年齢であればマッチします。よって取り合いなどの争いも生まれます。
同年齢で遊ぶことはメリット、デメリットもあります。その苦難を子どもたちは何度も誰かとぶつかる中で乗り越えていく必要があります。仲間を欲し一緒に遊びたいと心の底から思う時、相手に対して「ゆずる」、「かしてあげる」ことができるようになっていきます。この時点が「自己中心性からの脱却」なのです。でもすぐに「自己中心性」に逆戻りすることもあります。行ったり来たりを繰り返すうちに「なかま」とは?が身についていくのです。
だから今の時代は「自分中心」を謳歌しなければなりません!たまたま、なかまに譲れたとしても、心の中で本当に「やりきった感」がなければ、次のステップ(なかまと協力する=4歳前後)に移行するのは無理があります。子どもの育ちは急激に伸びていくものではないのです。十分に時間をかけ「その時代」を遊びきり、頼り切り、甘え切った時にこそ心残りのない発達が遂げられます。
お父様、お母様、どうぞ他の子と比べる必要がないことをご理解ください。そして「今の発達」を大事にしてください。後々の心配は今は不要なのです。子どもは唯一ひとりの存在であり、「あそびを楽しむ権利」を持ち、たとえ子どもであろうとも「一市民として生きる権利」を持っているのです。子ども時代という二度とやってこない瞬間を、精一杯生き切る権利があるのです。
よってその権利を遂行しやすい環境を用意することが、乳幼児教育施設の使命です。自然環境と道具、玩具が十分に使いこなせる環境、雨の日でも室内で十分に体と頭を使いきれる環境、そして室内外で子ども自身が気付き、自発的に遊びこめるための人的支援の準備、これらを保証していくことがとても大切な時期です。
カテゴリ:子育て
「おさんぽ」育ちと安全
2025.05.10


「おさんぽ」は子どもたちがとても楽しみにしている活動の一つです!「興味」、「見通し」、「身体力」等、健康、心理面において成長発達を促す大変貴重な機会でもあります。保育園では5か所以上のお散歩コースを作っています。
発達面から考えてみましょう!例えば横断歩道、グリーンの歩道、ペンギンの止まれ、ライオンズマンションのライオンなどは、すべて時系列で通過するため、次は何が現れるかの順序が子どもたちの「心の見通」として記憶されていきます。「つぎはライオンだからもうすぐ楽しい公園に着くわ!」などの興味関心への意欲も育てていきます。
当然避難車(ベビーカー)に乗っているよりも、自分で歩いて見たもの、触れたものは記憶に残り易くなります。さらに歩くことで足は強くなり、持続力も身についていきます。避難車があればわずかな距離でも歩く体験はできるので、できるだけ条件がそろえば屋外に出ることはお勧めです。さらに歩いている友だちの姿を見て、「私もやってみたい!」といった気持ちも芽生えていきます。
そして近所の住民の方が歩いていれば気軽に声を掛け合うことが出来ます。子どもたちは人気者です!日頃からこのような関係性をご近所付き合いで作っておくことは、いざという時(災害・防犯)にお互いが気にし合い、助け合うためのモチベーションになります。
さて良いことばかりではないのでお伝えいたします。数年前に保育園の散歩の列に乗用車が突っ込むといった事故がありました。こちらが気を付けていても車に突っ込まれてはどうしようもありません。ですから散歩道はできるだ歩車分離(縁石・色)の道路を選ぶ必要があります。また道路の状況が昨日と変わっていることもありますので、その場合の迂回ルートや引き返すなどの対応も考えておかなければなりません。
人の問題もあります。心が病んでいる他者は何をするか分からない人もいることは確かです。そんな場面に出会ってしまった時にも、相手を刺激せずその場を離れ、助けを呼んだり近所に駆け込んだり、そのような知恵も冷静に実行できることが求められます。
職員は電話を必ず携帯しています。できるだけ目立つような服装(避難車も赤、黄色)で引率します。出発前に写真を撮りどのコースを行くのかを伝えます。そうすることによって緊急の場合、園の職員が対応するまでの時間を短くすることができます。
万が一は必ず想定しておく必要があります。あってはなりませんが事故やケガをした場合に慌てず連絡し、救急手配や心肺蘇生を行える技術も日頃から何回やってもこれで良し!はありません。
子どもたち個々及び集団を守ることは、これだけの準備や心構えが必要となります。単なる「見守り」ではなく、養護、安全、健康、教育を目的としてお預かりしていることを常に心しておかなければなりません。
これらの体制の中で、保護者の皆さまもお気づきのことがありましたら、内容の善し悪しにこだわらずどうぞ職員にお伝えいただきますようにお願いいたします。「子どもたちの命を守る」、「子どもたちの成長を支援する」ことにおいて遠慮は必要ありません。不足は補う、改善するが保育園の本意ですので、どうぞご協力をお願い申し上げる次第です。
カテゴリ:発達
「子どもの日」子どもは迷惑ですか?(新聞記事より)
2025.05.10

おはようございます。
保育園に勤めているためか、幼い子どもに対し「かわいい」、「無邪気」、「楽しい」といった感情が優先しています。世間では「子どもの声がうるさい」と、保育園の建設反対運動が起きる、公園が閉鎖されるといった事態も生じているようです。確かに「音」といった観点でとらえると、騒音規制法の対象となるプレス工場の規制値を超えるようです(5.5中日 考える広場 橋本典久 氏)。苦情の主の問題よりも、隣近所の付きあいが二分の一以下で「騒音への不安」が非常に高くなる傾向にあり、「孤独感」との因果関係が強いのです。多世代や隣近所の交流が遮断されてしまう状況は、人間にとって「人と人との関わりで生きる」機会が喪失しているともいえるのです。
確かに声を掛け合い気を遣いながら生活していくことは、煩わしい時もありますが、寅さん流に言えば「それをいっちゃーおしめーよ!」になってしまうのです。「子持ち様(職場で育児のため仕事を減らすことを認められること等)」と揶揄され、子育てをしていない職員からは「子育て罰(子育てのため収入が減る、キャリアの中断等の不利益)」だと不満を持たれる。未婚率が増加し少数派となった子育て家庭は、負担を強いられ寛容さを欠いた人々から疎外されることも生じているのです。
なぜこの様な日本になってしまったのでしょうか?「子ども」は今後も人間社会を継続していくための「宝」でなくてはなりません。そのために必要な子育てや、保育施設、公園が劣悪な環境に追い込まれてしまっては、「子どもの権利」が保障されないばかりか、人類が継続していくことすらできなくなります。
「人類滅亡」は簡単なことです。少子化が進み、挙句は子どもを産まない選択をすることが大半を占めることによって、起きる可能性は十分あると思います。人間が人間である所以を保っていけるように、AI、スマフォもほどほどに活用するにとどめ、自然環境の体験、アナログな生活、農作物生産体験等々、汗水たらして多くの世代と暮らす世界を持続、再発見していく必要を感じています。
カテゴリ:文明社会
【戦後80年】に考える
2025.05.10


おはようございます。
5月4日の中日新聞社説に《「配給された自由」いま》と題した論説が掲載されました。1945年に文芸評論家の河上徹太郎氏が寄稿した内容について触れています。この論説は前日の憲法記念日を経て真摯に「自由」について考える、大変良い機会となったと思います。
3日の中日新聞1面には、新憲法を国会で成立させた立役者である金森徳次郎(1959没 名古屋出身)の真意があります。「戦争放棄を定めた9条を2項に分けた信念と、将来的な国民的議論への期待がにじむ。・・・抜粋【日本国憲法 第9条(にほんこく(にっぽんこく)けんぽう だい9じょう)は、日本国憲法の条文の一つ。憲法前文とともに三大原則の一つである平和主義を規定しており、この条文だけで憲法の第2章「戦争の放棄」を構成する。この条文は、憲法第9条第1項の内容である「戦争の放棄」(戦争放棄)、憲法第9条第2項前段の内容である「戦力の不保持」(戦力不保持)、憲法第9条第2項後段の内容である「交戦権の否認」の3つの規範的要素から構成されている。】」
1項は「侵略戦争をやらないという永久不磨の規定」としたが、2項は将来の国際情勢をにらみ、議論を国民が判断できる余地を残す目的を含むように金森氏の元考えられていた。にもかかわらずその後の鳩山政権、安倍晋三政権によって国民の議論がないまま、解釈の変更や現状追認が行われてきたことに恐ろしさを感じずにはいられません。国会が国民の代表者であったとしても、この過程を無視した法案の成立は断固阻止すべきです。
上記を踏まえ「戦後の自由」について私たちは考えていくべきです。戦後日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争で目の前の貧困のみを解決し、裕福な生活を目指すことばかりに慢心してきました。若者が、そして三島由紀夫が身を賭して(割腹自殺)我が国の加害性を問うてきましたが、国民は思想や行動を変えることなく現代に至っています。その結果相互扶助等の精神性は影を潜め、身勝手な個の主張ばかりを拡散するSNS、偽情報に振り回される現代人、分断社会で起こる孤立、差別に起因する事件が多発する世の中になってしまっているのではないでしょうか?今こそ過去を遡り、日本人自らが選択してきた道に責任をもって他人事ではなくひとり一人が平和や他国との関係性、道義的個人、国の在り方を考えた発信を心がけなければなりません。「少子化」、「高齢社会」、「環境問題」、「文明化」等が抱える問題点を洗い直し、真に正しい対応を考え実践しなければ、日本、世界、地球を自らの所業で滅ぼすこととなるでしょう。
カテゴリ:戦争