お知らせ

桐生悠々

2023.09.15

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おはようございます。晴天が続きます。
9月10日に80年目の命日を迎えた桐生悠々は、気骨あるジャーナリスとして毎年社説を飾っています。言論人として戦時下何度も弾圧されました。しかし軍部を批判し、新聞報道の神髄を貫いた氏の功績は偉大です。有名な言葉として「言いたいことを言うのは権利の行使、言わねばならぬことを言うのは義務の履行」があります。心に留めておくべき名言です。遺言ともいわれる最後の個人誌「他山の石」に掲載された「科学的新聞記者」原稿です。政府、報道等マスコミに対しても、常に批判検討の目線を外してはならないと思います。
【《この頃の新聞に至っては、…全然社会を無視して、時の政府の反射鏡たらんとしている。輿論(よろん)を代表せずして、政府の提灯(ちょうちん)を持っているだけである。そして彼等(かれら)は矛盾極まる統制の名の下に、これを彼等の職域奉公と心得ている》《今日の新聞は全然その存在理由を失いつつある。従って人はこれを無くもがなのものとしているけれども、他に代(かわ)ってその機能を果たすものなきが故に、彼等は已(や)むを得ずなおこれを購読しつつある。…今日のだらしない状態である》《将来の新聞は科学的でなくてはならない。現在に於(おい)て、全くその態度を一変しても、決して早くはあるまい》《神秘主義を尊奉するに至っては、その存在理由を失うのは明である。見よ、彼等は既にその存在理由を失わんとしつつある。試みに街頭に出て、民衆の言うところを聞け、彼等は殆(ほと)んど挙げて今日の新聞紙を無用視しつつあるではないか》】

カテゴリ:教える・伝える

水 朽ち木 小枝

2023.09.13

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まあ さっきのジョウロだ ここへ注ぐためだったの 答えは濡れた枯草が物語っていますね!

個々の子どもによって夢中になれる遊びは異なります。それぞれの興味に応じて自分の好みまたは得意な場所、物、人との関りを選択して遊びこんでいきます。園庭環境はとにかく自由度が大きいため、子どもたち相互も「おもちゃを取り合う」という状況が発生しにくくなります。また遊びと遊びをつなぐ道具(押し車・縄跳び・タイヤ他)、担任以外の先生もいるので、多様な感覚に出会うチャンスが室内よりも格段に増します。

雨上がりの園庭でどんな遊びをしているのか覗いてみました。おもしろかったのは、朽ち木の時ですね。ひとりの子が一所懸命に小枝で柔らかくなっているところをほじっているのです。何かを発見したいとか、確かな目的があるわけではなく、とにかくひたすらほじり返すのです。その楽しそうな様子に同じ年齢の子が集まってきます。そして同じことをする子、異なる素材(ジョウロの水)を上から注ぎ関わろとする子等、多様な人間関係が芽生えてきます。なんでそのようにしているかは不明ですが、水がかかることで朽ち木の状態も変わり、何だか科学実験のようです。おもしろいですね。

この状況を見て思います。「子どもたちは探究心旺盛な小さな研究者だと。」ただし自他の身の安全や健康を省みることがないため、安全、安心は大人が確保していかねばならないこと(日陰遊びへの導入、小枝がケガの原因にならないよう見守る)。そしてシロツメや猫じゃらし、カヤツリソウ、シークワサー等、個性ある性質や形を持つ草花、実を見立てて遊ぶヒントとなるように支援していくことが、子どもが自分で伸びていくため、大人がなすべき環境準備とお手伝いだと考えます。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

大治の事件 児童精神科医 佐々木正美先生のことば

2023.09.07

「子どもの心の育て方」佐々木正美 著 岡田千晶さんの挿絵もとてもステキで心温まる1冊です。おてもとにいかがですか?




幼い時はたくさんの大人に出会い、いっぱい、いっぱいかわいがってもらわなければなりません。自分自身が笑顔で迎えられ、抱っこされ、褒められることで、子どもたちは自分自身が生きていることを肯定できるようになっていきます。否定や制止は子どもの心に我慢を強い、不安や不信、自信のない思いを積み重ねていくこととなります。私が毎日読み返す本(児童精神科医佐々木正美のことばの森)には、毎日子どもたちと向き合う時に必要な言葉がちりばめられています。「子育てにつかれたとき」ちらちらとページをめくるだけで、心が落ち着き、そして子どもたちに向き合う力をもらえます。ぜひ一読をお勧めします。

佐々木正美先生のことば
【子どもの甘えをしっかり受け止めるから、子どもも親の要求を受け入れるようになるのです。「子どもを甘えさせると、親のいうことを聞かなくなる」。そう考える親御さんは、本当に多いですね。でも、逆です。うんと甘えさせてやる。つまり、子どもの甘えをしっかり受け止めるから、子どもも親の要求を受け入れるようになるのです。とくに、幼少期に子どもの思いを満たしてやることは大切で、そのぶん成長したときに聞く耳を持ち、社会のルールを自然に受け入れられるようになります。人は、自分の要求を受け入れてもらってからでしか、他を受容できない生き物なのかもしれませんね。甘えを受け止めるのは母親がベストですが、難しい状況であれば、父親や祖父母など、ほかの大人であってもかまいません。子どもは、その発達過程において、自分の全存在を受容される経験が不可欠なのです。

【親の孤独が、子どもへの過剰な期待、過剰な干渉、体罰につながってしまうことが少なくありません。】
大治の事件(中学生の娘に母親が差され死亡した)は、今の世相を映し出している悲惨な結果だと感じました。児相に一時保護された経験もあった少女の家庭に何が起こっていたのでしょうか?こども2人を一人で育てていたお母さんは、心に孤独を抱えていたのではないでしょうか。孤独は孤立となり、その悩み、うっぷんは身内の子ども、家族に向けられてしまう傾向にあります。子どもを胎内に宿した瞬間から、母親は「コドク」であってはならないと思います。孤立しやすい社会の中で、変化に気付ける人間同士でありたいものです。暴力、憎悪が他者に向いてしまうような世の中であってはなりません。自らの身近を見まわし、誰にも知られない小さな一歩でもよいのです。踏み出すことが大切です。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

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