卒園生・転園生のみなさん8
2023.05.02
5月1日 残酷、不道徳と真実の継承

おはようございます。今日もお天気で春のうららかな時間を過ごせそうです。楽しい1日を目指しましょう。
さて、4月28日を最後に転園された方が、3名いらっしゃいました。地域のお祭りを手伝わせてもらったり、在園時期が異なるご兄弟でご利用いただいたり、様々な楽しいお付き合いをさせていただきました。この場をお借りし感謝申し上げるとともに、今後の集団生活が、お子様、ご家族様にとりまして成長の糧となることを心よりお祈りいたしております。お子様にとっては記憶からなくなってしまう幼少期は、体や心の深いところでいつまでも大切な経験として、生き続けていくものと信じます。ご多幸を願いお別れいたします。ありがとうございました。
「はだしのゲン」のお話をご存じでしょうか。原爆の被害、放射能や後遺症で厳しい戦後を生き抜く人々を「ゲン」いう少年の、強く生きる姿を通して描いた漫画作品(中沢啓治 著作)です。教科書に教材として採用されていたものが、省かれるということです。内容は確かに強烈です。病気、ケガの描写も悲惨、盗みのシーンも何度も出てきます。しかしそれをもって「ふさわしくない」、「悪徳を伝える」から省くではいけないと考えます。伝える側の伝え方、真意をもって子どもたちに提示することこそ大切であり、すべての歴史、日本人の責任、被ってきた事実に蓋をすべきではないのです。広島には原爆ドーム、広島平和記念資料館という私たちが二度と過ちを犯さないように学ぶための施設があります。「はだしのゲン」と同じように、引き継ぐべき過去の事実です。
日本の童話においても「かちかちやま」では、原作にはタヌキがおばあさんを「ばば汁」にしてしまう等、残酷と思われる描写があります。世界では「グリム童話」も非常に恐ろしい一面があります。なぜ先人はそのような描写を残し伝えたのかを考えなければならないと思います。
5月19日から広島ではG7が開催されます。被爆地出身の首相でもある岸田総理がどのようなメッセージを発するのかに注目していきたいと思います。今日も戦争に向かわない日本を信じ、子どもたちのため平和な国を目指すことを誓う1日を願い、一所懸命に生きていきましょう。行ってらっしゃい。
5月1日 午後 自然の偉大な力

さすが2歳児クラスのお友だちは、遊びを見つける、選ぶに長けています。この調子で遊びを自分なりに深めていく、「遊びこみ」を積み重ねていくことがとても大切です。何度もお伝えしていますが、仲間や幼い子との関りもありますが、劇的に便利となるコミュニケーション手段、「話す」についてはまだまだ不十分ですので、言葉が出てきた時に、どれだけ遊びの経験を積んできたかが、ポイントになってきます。かといっていっぱい遊んできた子が、必ずしもいち早く言葉を使いこなせるようになるとも限りません。個々の性格にも左右されるからです。大人は焦らず本人のペースや感性の発達をよく見て、対応する必要があると思います。
今日はシャボン玉を作りました。今は持ち手を振ることでシャボン玉を作ることもできますが、昔は「吹く」一辺倒でした。「吹く」は、たんぽぽの綿毛を吹き飛ばすことでも体験できます。口をとんがらせて一所懸命吹いている姿が以前ありましたが、やはり吹き加減によって飛ばなかったり、飛びすぎたり、中々難しいものです。しかし、何回も行うことで加減(吹き出す空気の量、吹き出すスピード、風を当てる場所・・・)を覚えていきます。たんぽぽんの場合は何も用意するものはありません。それこそ「身一つ」で人間が持っている調整機能をたんぽぽが咲いている分だけ試し、楽しむことができるのです。こんな素晴らしい教材は自然の中にしかありません。自然の植物は風(風媒花)、昆虫(虫媒花)、人間(足の裏-人媒花?)などによって種を運ばせ、子孫を残す術を持っています。植物が生きるうえで、ここまで知恵を使っているのです。人間も自然の中で活動することで、自らの眠っている知恵を呼び覚ますことが必要です。
子どもたちが「たんぽぽの綿毛を吹く」行為は、風に吹かれた綿毛が、自然に飛んでいく場面、あるいは自分が手で持った時、偶然に振動で飛んでいくなどのきっかけがなくては、気付くことができません。そのきっかけは「大人が与える」、「自然をよく観察する本人の観察眼」、どちらでも見つけられますが、素通りしないような感性を身につけるには、やはりそのような環境がいつも身近にあることが大切なことは間違いないのです。だから子どもたちを自然の中に連れ出しましょう。そして気付けないことへ導いたり、自分で気付ける環境を保証しましょう。これが習慣(『熱いスープをフーフーする加減』、『指先使い-ハンカチを折りたたむ』、『注意深く物を見る力-物を扱う際の身体使い』)につながっていくのです。俗にいう「器用な子」とは、「よく見える目、良く聞こえる耳、よく物の感触をとらえる皮膚感覚」と「粘り強く、注意深く考える根気」を持っていると言えます。自分の人生を切り開くためには、とても大切な力だと思います。
自然の中はこちら側が頭を使い、試行錯誤していかないと使うことができないものばかりです。逆にそれは限りない思考の可能性をもっていると言えます。
どうぞ自然の中に子どもを誘い遊びましょう。季節が丁度良い今、園庭開放を行いますので、ぜひご参加ください。子どもたちの成長にとても大きな役割を果たしている、様々な楽しさをお伝えできれば嬉しいです。

おはようございます。今日もお天気で春のうららかな時間を過ごせそうです。楽しい1日を目指しましょう。
さて、4月28日を最後に転園された方が、3名いらっしゃいました。地域のお祭りを手伝わせてもらったり、在園時期が異なるご兄弟でご利用いただいたり、様々な楽しいお付き合いをさせていただきました。この場をお借りし感謝申し上げるとともに、今後の集団生活が、お子様、ご家族様にとりまして成長の糧となることを心よりお祈りいたしております。お子様にとっては記憶からなくなってしまう幼少期は、体や心の深いところでいつまでも大切な経験として、生き続けていくものと信じます。ご多幸を願いお別れいたします。ありがとうございました。
「はだしのゲン」のお話をご存じでしょうか。原爆の被害、放射能や後遺症で厳しい戦後を生き抜く人々を「ゲン」いう少年の、強く生きる姿を通して描いた漫画作品(中沢啓治 著作)です。教科書に教材として採用されていたものが、省かれるということです。内容は確かに強烈です。病気、ケガの描写も悲惨、盗みのシーンも何度も出てきます。しかしそれをもって「ふさわしくない」、「悪徳を伝える」から省くではいけないと考えます。伝える側の伝え方、真意をもって子どもたちに提示することこそ大切であり、すべての歴史、日本人の責任、被ってきた事実に蓋をすべきではないのです。広島には原爆ドーム、広島平和記念資料館という私たちが二度と過ちを犯さないように学ぶための施設があります。「はだしのゲン」と同じように、引き継ぐべき過去の事実です。
日本の童話においても「かちかちやま」では、原作にはタヌキがおばあさんを「ばば汁」にしてしまう等、残酷と思われる描写があります。世界では「グリム童話」も非常に恐ろしい一面があります。なぜ先人はそのような描写を残し伝えたのかを考えなければならないと思います。
5月19日から広島ではG7が開催されます。被爆地出身の首相でもある岸田総理がどのようなメッセージを発するのかに注目していきたいと思います。今日も戦争に向かわない日本を信じ、子どもたちのため平和な国を目指すことを誓う1日を願い、一所懸命に生きていきましょう。行ってらっしゃい。
5月1日 午後 自然の偉大な力

さすが2歳児クラスのお友だちは、遊びを見つける、選ぶに長けています。この調子で遊びを自分なりに深めていく、「遊びこみ」を積み重ねていくことがとても大切です。何度もお伝えしていますが、仲間や幼い子との関りもありますが、劇的に便利となるコミュニケーション手段、「話す」についてはまだまだ不十分ですので、言葉が出てきた時に、どれだけ遊びの経験を積んできたかが、ポイントになってきます。かといっていっぱい遊んできた子が、必ずしもいち早く言葉を使いこなせるようになるとも限りません。個々の性格にも左右されるからです。大人は焦らず本人のペースや感性の発達をよく見て、対応する必要があると思います。
今日はシャボン玉を作りました。今は持ち手を振ることでシャボン玉を作ることもできますが、昔は「吹く」一辺倒でした。「吹く」は、たんぽぽの綿毛を吹き飛ばすことでも体験できます。口をとんがらせて一所懸命吹いている姿が以前ありましたが、やはり吹き加減によって飛ばなかったり、飛びすぎたり、中々難しいものです。しかし、何回も行うことで加減(吹き出す空気の量、吹き出すスピード、風を当てる場所・・・)を覚えていきます。たんぽぽんの場合は何も用意するものはありません。それこそ「身一つ」で人間が持っている調整機能をたんぽぽが咲いている分だけ試し、楽しむことができるのです。こんな素晴らしい教材は自然の中にしかありません。自然の植物は風(風媒花)、昆虫(虫媒花)、人間(足の裏-人媒花?)などによって種を運ばせ、子孫を残す術を持っています。植物が生きるうえで、ここまで知恵を使っているのです。人間も自然の中で活動することで、自らの眠っている知恵を呼び覚ますことが必要です。
子どもたちが「たんぽぽの綿毛を吹く」行為は、風に吹かれた綿毛が、自然に飛んでいく場面、あるいは自分が手で持った時、偶然に振動で飛んでいくなどのきっかけがなくては、気付くことができません。そのきっかけは「大人が与える」、「自然をよく観察する本人の観察眼」、どちらでも見つけられますが、素通りしないような感性を身につけるには、やはりそのような環境がいつも身近にあることが大切なことは間違いないのです。だから子どもたちを自然の中に連れ出しましょう。そして気付けないことへ導いたり、自分で気付ける環境を保証しましょう。これが習慣(『熱いスープをフーフーする加減』、『指先使い-ハンカチを折りたたむ』、『注意深く物を見る力-物を扱う際の身体使い』)につながっていくのです。俗にいう「器用な子」とは、「よく見える目、良く聞こえる耳、よく物の感触をとらえる皮膚感覚」と「粘り強く、注意深く考える根気」を持っていると言えます。自分の人生を切り開くためには、とても大切な力だと思います。
自然の中はこちら側が頭を使い、試行錯誤していかないと使うことができないものばかりです。逆にそれは限りない思考の可能性をもっていると言えます。
どうぞ自然の中に子どもを誘い遊びましょう。季節が丁度良い今、園庭開放を行いますので、ぜひご参加ください。子どもたちの成長にとても大きな役割を果たしている、様々な楽しさをお伝えできれば嬉しいです。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!
卒園生・転園生のみなさん7
2023.05.01
5月1日 朝 七十二候「牡丹華 (ぼたんはなさく)」 4/30~5/4頃
牡丹

おはようございます。連休半ばをいかがお過ごしですか?今日から4日くらいまでは良い天気の予報が出ています。しかし寒暖差が10度以上あると体がついていきませんので、十分ご注意ください。気温が低い時間帯の身体、お腹の冷え、暑い時の帽子着用、衣服の調整、水分補給、休息等子どもが自分の力で調整しにくいところは、やはり大人の配慮が必要になります。
【七十二候が穀雨の末候に変わり、牡丹の花が咲き始める頃となりました。牡丹は、晩春から初夏にかけて直径10~20cmの豊麗な花をつけ、色も紅・淡紅・白・紫など様々です。初めは薬草として中国から伝わった牡丹ですが、平安時代には宮廷や寺院で観賞用として栽培され、今では俳句のテーマ、絵画や着物のモチーフとしてもよく登場します。牡丹は甘く上品な香りと、その格調高い姿から、中国では国の代表花にもなっており、「富貴草」「百花王」「花王」「花神」など、褒め称える別名がたくさんあります。この世のものとは思えないほどの美しさと香りを意味する「天香国色」もまた、牡丹の異名となっています。牡丹の花は、20日ほど楽しめることから「二十日草 (はつかぐさ)」の別名も。ちなみに、牡丹の花言葉は、その名にふさわしく「王者の風格」。】
「王者の風格」と言えば、私も長男命名時を想いだします。字画や漢字、読み方を本で調べ考えたものです。命名は親が子どもへの願いを込めるための、大切な機会ですね。保護者の皆様も様々な思いをもってお子様の名前を決められたことと思います。そんな思いを私なりに想像はしますが、機会がありましたら是非教えていただければ嬉しく思います。ちなみに我が愚息は、強い運気を示す画数でしたので、音の響きと漢字を優しくしました。「強くても人と和して過ごしてほしい」との願いです。人の名前もさることながら、世の中の事物には様々な名前があります。まだまだ知らないことは多く、好奇な眼差しを忘れず今日も1日新鮮な心をもって過ごしたいですね。行ってらっしゃい。
夕刻 2歳児クラスの成長
着実に自分自身の遊びに集中し遊びこむ力と、同じクラスの仲間、あるいは特定の仲間との「してもらう してあげる」等、役割の分担が始まりつつあります。並行して備わっていく力は、様々が複雑に関連しあいながら、相乗して伸びていくものと考えられます。必ずしも順調な経過をたどるわけではなく、相手が変わったり、飽きてしまうこともあります。そんな猶予をもって見ていくことが必要です。「人間は思い通りにならないからこそ面白い」。人間の持つ魅力は、この分けのわからなさにあると思います。
植物や生き物のお世話でも、実のところ子どもたちは「水をやれば種から芽が出て大きくなる」などという科学的なことはあまり考えていないような気がします。ただただ大人を真似る、自然現象のおもしろさ(水が落ちる楽しさ・たんぽぽの綿毛がフワフワ飛んでいく不思議・ダンゴムシが丸くなる等)に見入るだけだと感じます。ですがそんな体験をすることが、子どもの「ワクワク感」を育て、探究したいという粘り強い心を作り上げていくのです。科学の「眼」が心に出始めたとき、後年難解な遺伝子の公式を解読する力となっていくかもしれません。
人との関りにおいても、最初は単に「同じことが好き」、「一緒がおもしろい」ただこれだけです。しかし、回数を重ねるたびに相手が行うことは、自分と同じだから受け留めることができるようになります。相手の言動を受け留めることは「子どもたちにとって至難」です。その困難を簡単にクリアーしてしまう瞬間こそ、「自己中心性」から離れ去るための「きっかけ」です。この力は今なお「自己を押し通す強さ」を抱え矛盾しながらも、安定することなく時々静かに現れます。毎日繰り返していくことで少しづつ少しづつ、自己中心が剝がされていくような感じではないでしょうか。
いずれにせよ一足飛びで培われる力ではないのです。この時期ならではの「どうしようもなさ」を「かわいらしさ」にすり替える絶妙な「生きる戦略」ではないかと、科学者ぶった考えも頭をよぎるのです。
牡丹

おはようございます。連休半ばをいかがお過ごしですか?今日から4日くらいまでは良い天気の予報が出ています。しかし寒暖差が10度以上あると体がついていきませんので、十分ご注意ください。気温が低い時間帯の身体、お腹の冷え、暑い時の帽子着用、衣服の調整、水分補給、休息等子どもが自分の力で調整しにくいところは、やはり大人の配慮が必要になります。
【七十二候が穀雨の末候に変わり、牡丹の花が咲き始める頃となりました。牡丹は、晩春から初夏にかけて直径10~20cmの豊麗な花をつけ、色も紅・淡紅・白・紫など様々です。初めは薬草として中国から伝わった牡丹ですが、平安時代には宮廷や寺院で観賞用として栽培され、今では俳句のテーマ、絵画や着物のモチーフとしてもよく登場します。牡丹は甘く上品な香りと、その格調高い姿から、中国では国の代表花にもなっており、「富貴草」「百花王」「花王」「花神」など、褒め称える別名がたくさんあります。この世のものとは思えないほどの美しさと香りを意味する「天香国色」もまた、牡丹の異名となっています。牡丹の花は、20日ほど楽しめることから「二十日草 (はつかぐさ)」の別名も。ちなみに、牡丹の花言葉は、その名にふさわしく「王者の風格」。】
「王者の風格」と言えば、私も長男命名時を想いだします。字画や漢字、読み方を本で調べ考えたものです。命名は親が子どもへの願いを込めるための、大切な機会ですね。保護者の皆様も様々な思いをもってお子様の名前を決められたことと思います。そんな思いを私なりに想像はしますが、機会がありましたら是非教えていただければ嬉しく思います。ちなみに我が愚息は、強い運気を示す画数でしたので、音の響きと漢字を優しくしました。「強くても人と和して過ごしてほしい」との願いです。人の名前もさることながら、世の中の事物には様々な名前があります。まだまだ知らないことは多く、好奇な眼差しを忘れず今日も1日新鮮な心をもって過ごしたいですね。行ってらっしゃい。
夕刻 2歳児クラスの成長
着実に自分自身の遊びに集中し遊びこむ力と、同じクラスの仲間、あるいは特定の仲間との「してもらう してあげる」等、役割の分担が始まりつつあります。並行して備わっていく力は、様々が複雑に関連しあいながら、相乗して伸びていくものと考えられます。必ずしも順調な経過をたどるわけではなく、相手が変わったり、飽きてしまうこともあります。そんな猶予をもって見ていくことが必要です。「人間は思い通りにならないからこそ面白い」。人間の持つ魅力は、この分けのわからなさにあると思います。
植物や生き物のお世話でも、実のところ子どもたちは「水をやれば種から芽が出て大きくなる」などという科学的なことはあまり考えていないような気がします。ただただ大人を真似る、自然現象のおもしろさ(水が落ちる楽しさ・たんぽぽの綿毛がフワフワ飛んでいく不思議・ダンゴムシが丸くなる等)に見入るだけだと感じます。ですがそんな体験をすることが、子どもの「ワクワク感」を育て、探究したいという粘り強い心を作り上げていくのです。科学の「眼」が心に出始めたとき、後年難解な遺伝子の公式を解読する力となっていくかもしれません。
人との関りにおいても、最初は単に「同じことが好き」、「一緒がおもしろい」ただこれだけです。しかし、回数を重ねるたびに相手が行うことは、自分と同じだから受け留めることができるようになります。相手の言動を受け留めることは「子どもたちにとって至難」です。その困難を簡単にクリアーしてしまう瞬間こそ、「自己中心性」から離れ去るための「きっかけ」です。この力は今なお「自己を押し通す強さ」を抱え矛盾しながらも、安定することなく時々静かに現れます。毎日繰り返していくことで少しづつ少しづつ、自己中心が剝がされていくような感じではないでしょうか。
いずれにせよ一足飛びで培われる力ではないのです。この時期ならではの「どうしようもなさ」を「かわいらしさ」にすり替える絶妙な「生きる戦略」ではないかと、科学者ぶった考えも頭をよぎるのです。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!
卒園生・転園生のみなさん6
2023.04.28
4月28日 朝
2001宇宙の旅

モノリスの秘密

おはようございます。今日も快晴です。相変わらず朝晩の気温差は大きいようで、乳幼児、高齢者には厳しい気候です。他の園でも胃腸風邪や手足口病、咳やのどの痛みを訴える子も増えています。お気を付けください。
さて、民間で初の月着陸が試みられました。残念ながら失敗でしたが、成功するのもさほど遠くの話でもなさそうです。
宇宙と言えば私は「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督)という映画を思い出します。脚本はキューブリック監督とアーサー・C・クラークによるもので、音楽【リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲した交響詩。『ツァラトゥストラはかく語りき』】も素晴らしくとても神秘的な映画です。クラークは小説「幼年期の終わり」【宇宙の大きな秩序のために百数十年間にわたって「飼育」される人類の姿と、変貌する地球の風景を、哲学的思索をまじえて描いた作品】にて、とても衝撃的で、思わず引き込まれる人類の未来を描いています。ご興味のある方は、ぜひご一読を、とても面白いですよ。
日本では平安から現代においても、月は詩、物語りとしても表され、大変風情ある対象として大切に扱われてきました。しかしアポロ11号が月面に着陸し、「美しい月」から実際に人間が降り立つことで、クレーターや無機質な状況であることを明らかにしました。
人間は「知らない」ことで様々に夢想し、美しさを表現しますが、「知る」ことで現実が明らかとなり、さらに科学的事実を解明しようとします。文化と科学は相対する本質を持つとも言えますが、「知らないこと」が人間の精神性を高めるとすれば、「それもいいのでは」などと、「幼年期の終わり」でワクワクした気持ちを思い出し、今回の着陸失敗になぜかほっとしてしまいます。もちろん今回「知」を結集し、努力された科学者の皆様には、敬意をもって称賛する必要はありますが。頭の中がすっきりしないときは、壮大な宇宙に心を向けるのも、細々とした世の出来事から切り替え、もっと大きな存在に気付けるチャンスになると思います。
今日も現実と心の中に小宇宙を持っている子どもたちの夢想のはざまで「どっちつかずもよし」、としながら生きてみますね。行ってらっしゃい。
2001宇宙の旅

モノリスの秘密

おはようございます。今日も快晴です。相変わらず朝晩の気温差は大きいようで、乳幼児、高齢者には厳しい気候です。他の園でも胃腸風邪や手足口病、咳やのどの痛みを訴える子も増えています。お気を付けください。
さて、民間で初の月着陸が試みられました。残念ながら失敗でしたが、成功するのもさほど遠くの話でもなさそうです。
宇宙と言えば私は「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督)という映画を思い出します。脚本はキューブリック監督とアーサー・C・クラークによるもので、音楽【リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲した交響詩。『ツァラトゥストラはかく語りき』】も素晴らしくとても神秘的な映画です。クラークは小説「幼年期の終わり」【宇宙の大きな秩序のために百数十年間にわたって「飼育」される人類の姿と、変貌する地球の風景を、哲学的思索をまじえて描いた作品】にて、とても衝撃的で、思わず引き込まれる人類の未来を描いています。ご興味のある方は、ぜひご一読を、とても面白いですよ。
日本では平安から現代においても、月は詩、物語りとしても表され、大変風情ある対象として大切に扱われてきました。しかしアポロ11号が月面に着陸し、「美しい月」から実際に人間が降り立つことで、クレーターや無機質な状況であることを明らかにしました。
人間は「知らない」ことで様々に夢想し、美しさを表現しますが、「知る」ことで現実が明らかとなり、さらに科学的事実を解明しようとします。文化と科学は相対する本質を持つとも言えますが、「知らないこと」が人間の精神性を高めるとすれば、「それもいいのでは」などと、「幼年期の終わり」でワクワクした気持ちを思い出し、今回の着陸失敗になぜかほっとしてしまいます。もちろん今回「知」を結集し、努力された科学者の皆様には、敬意をもって称賛する必要はありますが。頭の中がすっきりしないときは、壮大な宇宙に心を向けるのも、細々とした世の出来事から切り替え、もっと大きな存在に気付けるチャンスになると思います。
今日も現実と心の中に小宇宙を持っている子どもたちの夢想のはざまで「どっちつかずもよし」、としながら生きてみますね。行ってらっしゃい。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!