第二次高市内閣 「所信表明」「怪力」を振るえば(中日社説)
2026.03.01


おはようございます。
「強く豊かな国 日本」を掲げる第二次高市内閣がスタートしました。議席数を背景に年度内の8年度予算成立を急ぐ動きが目立ってきています。野党は時間をかけ議論をすべきと時短成立をけん制しています。民主主義は十分な討論あってこそ健全な政治運営力を発揮します。バランスを保つことで真に国民にとって正しい方法は納得できるものとなります。
中日新聞(26.2.22社説 もし「怪力」を振るえば)にあるように、「ヘラクレス」、「天手力男命(あまのたぢからをのみこと)ーアマテラスが閉じこもる岩戸を、怪力でこじ開け扉を信州まで放り投げた神話の神)」のように真に人間のための力の用い方なら良いのですが、民主主義を殺しかねない「二十日鼠と人間」の主人公青年「レニー」のように、加減が分からず生き物(国民・国力・国政)を怪力ゆえの所業で殺してしまうのであれば、私たちの選択は正しくなかったと言わざるを得ません。
アメリカのトランプ大統領が行った、一連の関税政策が米連邦最高裁の判決で、米国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づく方法ではないと判断されました。たとえ一国の大統領であっても、憲法に沿わない方法については、法律で判断されることになります。権威主義国家に近づき独裁色が先行する方法が民主主義とは言えないことを、アメリカ国民は憲法によって示そうともしています。大国の暴君による大義なき力業に先行不透明、世界の不安が現れています。
アメリカも日本も正念場のように感じます。様々なフェークや推し活的メディアの勢いに対し、正しい目線を持てるように国民は両目を開き、学び、権力をかさに着た為政者に騙されることがないようにしなければなりません。「中道」とは政党名を指しているのが原義ではなく、中国4000年の歴史に生きた「老子」や多くの先達者の中で磨き上げられた思想、言葉です。どちらかに偏ることは一時の驕った人間の所業でしかありません。
平家物語「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす。奢(おご)れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛(たけ)き者も遂(つい)には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」
オリンピックで勝利を得た者、政治家、時の人、一時のブームはいつかは下火となります。人間は頂点からの衰退、どん底からどのように生きていくかこそ真骨頂だと思います。決して諦めてはならないのです。
カテゴリ:政治・国際状況
子どもの見通しの育ちと自然
2026.02.22

たくましくなってきたつくし組のこどもたち、園庭でも自由奔放に興味を持った事物に果敢に挑んでいます。いつしか危なっかしさも影を潜め、自信をもって取り組む様子は、観ていて心の底から嬉しい気持ちが湧き上がってきます。
1年近く保育園の園庭で過ごしていれば、「どこに何があって」、「ここからは何が見えて」、「備品やおもちゃはこんなふうに使うとおもしろいと」いうことも分かってきます。これが何度も目にしているもの、風景、人に対する「見通し」だと考えます。それはイコールいつもそこに有るといった「安心感」にもなっています。
季節がうつろい自然は徐々に姿を変えていきます。その変化に伴い植物、昆虫も大きく姿を変えていきます。その変化は、しばらくなかったものが久しぶりに現れる、そのことによって体験したときの「感動」がよみがえる瞬間でもあります。自然の変化は春夏秋冬そのスパンが長いため、日常の物品や人との接点とは、また異なる感覚だろうと思います。
数十年を重ねることで「待ち遠しい夏休み」、「はやくスキーがしたい」、「カキが食べたい」などのスパンの長い「見通し」は育っていきます。こればかりは長く生きることでしか、得られる感覚ではないかもしれないと思います。
だから子どもたちにとって自然はとても面白く、そして「挑みがいが大きい」相手です。いつまでたっても答えが出ない、今日も明日も今年も来年も、いつも何かしら未知の部分が浮かび上がってくるのが自然だと思います。しかし毎年の繰り返しを経験することで、暖かくなってきた春先には梅がいち早く花を開き、鳥のさえずりもいっぱい聞こえるようになってくるのだ、といった変化に気付ける感性が育っていきます。
そうすることによって「待ち遠しい」といった心も育っていきます。春が来るから、夏が来るから、冬が来るから、それなりの楽しみが見つけられる自然だからこそなせる業でもあります。
子どもには自然が必要です。それは人間では作り出すことのできない多様性が存在し、子どもばかりか大人の感性をも磨く要素を含むとてつもない魅力力を持っているからだと思います。
カテゴリ:教育
躊躇と挑戦!
2026.02.22

おはようございます。
守山区の小幡緑地公園に孫とあそびに行きました。その日は春の陽気でとても過ごしやすく、子ども心も開放的になりとても嬉しそうでした。写真は公園内にある遊具ですが、3歳から6歳向けのため少し孫には早いのですが、それなりの思いで葛藤しながら挑戦していたようです。ひやひやしながらも本人の選択に大きな間違いがなければ見守り、落下にだけは気を付け、キャッチできる距離を保ちました。
こと遊びにおいては、たとえ幼くてもできるだけ本人の「自己選択と決定」を大事にしたいと考えています。しかし性格や気質は、生まれた時から変わらないものでもあるため、「もっとこうしてほしい」といった大人の思いを押し付けそうになってしまうこともあると感じます。写真でも思わぬ高さに驚き恐さと不安を感じている様子がうかがえます。また他の大きな友だちに圧倒され、並んでいてもどんどん抜かされるなどの状況がみられるのでした。このような躊躇している心の時が大切だと思います。「どうしよう、おりよう、やめよう・・・・」そんな心の葛藤が手に取るようにみえます。この様な状況を「反面教師」のような見方をするのではなく、単に血のつながったかわいい孫としてみていきたいと思います。記憶にはありませんが、きっと自分自身の性格から考えると同じような状況だったのではと想像します。孫には敵いません!
カテゴリ:子育て
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