お知らせ

「沖縄慰霊の日」

2025.06.29

alt沖縄 摩文仁(まぶみ)の丘 美しい崖から多くの民間人と日本兵が身を投げた

おはようございます。
昨日23日は「沖縄慰霊の日」でした。毎年この日にこの話題に触れるのは、戦争の悲惨を忘れず戦争を知らない世代に「決して起こしてはならない戦争」を引き継いでいくために重要だと思うからです。
太平洋戦争の終戦日は8月15日であることを知らない人はいないと思います。しかし日本で唯一の地上戦があり、多くの島民の命が奪われた戦争、対馬丸の沈没、終戦日以後の特攻隊員の死等々、様々な悲惨な状況がかってあったことは時代の変遷で忘れ去られていきます。だからこそ「慰霊の日」は、埋もれかけた負の歴史を忘れてはならないことを想いだすことができる歴史として、未来を生きる人々の心に、永遠に記憶にとどめておく必要があるのです。
22日の中日新聞社説には、慰霊の日がどのような日なのか、政治家の誤った認識と発言(自民党西田昌司氏)、過去の政治家の大切な見解(初代沖縄開発庁長官山中貞則氏の本土復帰と沖縄振興、小渕恵三氏の反対された沖縄サミットの開催、野中広務氏沖縄戦を忘れてはならない理由の発言)を掲載し、沖縄を忘れないことの大切さを伝えています。
心配なことがあります。「ひめゆり記念館」等の来場者数の減少、各地の戦跡や戦争にまつわる記念館が運営者の高齢化により維持できなくなってきているという事実です。原爆記念館は逆に来場者数が増えていることは喜ばしいのですが、戦争はもっともっと身近な悲惨もあったことを伝えるための場所が廃っていくことは見逃せません。名古屋にも「ピースあいち」という施設が名古屋市名東区にあります。とても小さな施設ですが、戦争のことを細かく伝えている場所です。一度は来館いただくことをお勧めします。(https://peace-aichi.com/)

カテゴリ:戦争

自律 自立 への第一歩!

2025.06.22





きれいでなくてもよいのです やってみようとする心が自立への一歩!


いつもの保育室とは異なる場所に行き、異なる仲間と共に過ごすことは、何かと刺激が増え新たな楽しさに繋がることもたくさんあるようです。直接の接点はそれほど多くはありませんが、お互いは視て、聴いて、感じ合っています。

人格、発達等様々な違いが、多様な接点を生み出し、自分にはできないこと、思いつかなかったこと、難しいことに対して興味を持つようになり、「やってみよう」と行動を起こすこともあります。

だから異年齢、人同士の交流は大切な「自分自身を広げる」チャンスだと捉えていくことが大切です。大人でも何事もひとりで考えひとりで行おうとする人は、人に左右されることなく、独立独歩の精神を日ごろから磨き上げていると言えます。

子どもの頃は何でもひとりで行っていても、大人になって仲間や好き嫌いの関係、教師に依存的になってしまうのは、自分自身に自信を見出せない結果だとも言えます。失敗も成功も身一つで感じ取り、自らの責任としていく覚悟があれば、「真実」は近づいてきてくれます。

子どものころからたくさんの様々な人と接点を持つことは、新たな世界への抵抗感や躊躇を減らしていきます。過去の日本政府は障がいを持つ人を山里、離島に隔離し、「自分とは異なる」を排除してきました。現代のような情報が行き交う時代になってもその名残は今もなお人々を苦しめています。

「人間」であることの意味は、まさに「ヒト(生物学的)」を超える存在でなければ、人間と呼ばれるにふさわしいとは言えないのです。冒頭に登場した「雨森芳洲」は、まさに異国人との違いで人や物事を見るのではなく、同じ人間としての善意と尊厳に訴えかけた人だと思います。皆様も承知の西郷隆盛も「シナ(中国)を理解するには、シナ人にならなければならないならない」と述べているほどです。真の国際人とはどのような人を言うのでしょうか?それは知識や技術、言語優先ではなく、「相手の心に対する誠意」だと思います。誠意があれば住み分けや干渉しない等の知恵で争いは回避できるはずです。

子どものころから様々な「違い」と接していくことは、大人になってからにしか分からない、「他者、違い」を自分事として考えられる人格を作り出す大切な経験だと思います。できるだけ「違い」を感じられる環境(もちろん人見知り、場所見知り、ある程度の小さな範囲が必要な発達段階もあります)を用意していくことが、ひとりの人間の世界を広く大きくし、分け隔てをせず、平等感を大切にする人格の育成につながっていくことは間違いないと考えています。

カテゴリ:子育て

コメ問題を考えよう

2025.06.22

alt
穀物自給率
alt
農業従事者数

おはようございます。
今回の米騒動は備蓄米の放出によって、いったんは落ち着きを見せ始めています。しかし根本的に日本人の主食である米の需要と供給について解決しているわけではありません。政府は米の輸出を奨励するため、生産者に補助金を出し生産量を増やそうとしているようです。その理由はトランプ関税に振り回され、見直しをお願いすための「何でも差出しいけにえ外交(6.15中日 大図解-鈴木宣弘 氏)」ともいえるでしょうか?米までをも輸入に頼る状況が生じれば、輸入が止まれば飢えるのは日本国民となってしまいます。米食の習慣、農業畜産従事者の守護と促進、農作物自給率を挙げていくために目先にとらわれることなく、日本の農業を守るすべを真剣に国民ひとり一人が考え行動すべき時です。自然や生き物と共に生きていく生活は、子どもたちの「生命」への捉え方にも影響します。そのことは「生きる」ということの根源的意味を継承していくことにもつながっているのです。

カテゴリ:政治・国際状況

記事検索

RSSフィード

- CafeLog -