お知らせ

「推し活」を恐れるな

2026.02.22

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おはようございます。
「視座(26.2.15 中日新聞2面)」に宇野重規さん(東京大学教授)の記事が載っていました。高市首相、自民党の今回の衆議院選挙について、「大義無き解散」、「政策論議を欠いたむなしい選挙戦」と批判を受けながらも、圧倒的勝利を遂げた事実を、どの様に受け止めるかについて論説されていました。
この勝利のキーワードはまさに「推し活」ではなかったでしょうか?高市氏のパーソナルな物語(政策論議ではない)に共感し、私が支えたいといった、まるでアイドルを追っかけるような有権者心理がもたらした結果ともいえると感じます。アメリカのトランプ大統領もSNSを駆使し、自らを推す民衆を増やしている、増やすために極端な政策を強引に行い続けているのではと考えられます。このような熱狂的に指示する人々のことを「ファンダム」というそうです。ファンダム政治ともいえる現象は、今後ますます加速していくのではと心配もします。確かに「顔が見える政治」は大切ですが、「社会がいかにあるべきか」といった政策的選択肢の提示、選挙時だけではなく毎日の政治活動において、地道に政策論議できる「人」をこそ推し活する必要があるのではないでしょうか。およそこのような内容だと思います。逐一共感し、今回推し活に屈した「中道他野党」が、どのように立て直しをしていくかに注目していきたいと思います。

カテゴリ:政治・国際状況

スノボ 村瀬選手 ジャンプ 丸山選手  

2026.02.14

alt外国人選手に祝福を受ける
alt亡き母に捧げる悲願のメダル

おはようございます。
スノーボードビックエアー、ジャンプ、フィギュアスケート、スピードスケート等、日本選手の姿には、それぞれの事情を抱えながらも頑張る、若いアスリートの底力がありました。
スノーボードの村瀬選手、スキージャンプの丸山選手は、2人とも過去ケガに見舞われ回復期間の中で様々な思いを抱きながらこの大会に臨みました。村瀬選手の言葉【「夢見ているんじゃないかと嬉しくて。最後まであきらめずに挑むということができて良かった。皆さんの応援が届いて、感謝しかないです。」と笑顔。最年少銅メダルの前回に続いての快挙に、「銅メダルも重かったが、違った重みで。全部詰まっているような重みがあって。重たいです」と語った。】金メダルには今までの忍耐と苦労が実ったこと、そして応援を受けたすべての人に対する感謝の心がありました。また、大会に参加した各国の選手が温かく祝福するスノ-ボーダーの文化がある事にも、心の底からカッコよさを感じます。このオリンピックを最後に引退するレジェンド、アンナ・ガッサー(オーストリア)も村瀬を祝福、同じスポーツを愛する若者の力を、誠実に称える人間関係に素晴らしさを感じました。
ジャンプの丸山選手は北京オリンピック前のケガで競技参加できなかったとき【失意の中で自宅にいた丸山の元に一通のメッセージが届いた。送り主は、リハビリ中に知り合った21年東京五輪ソフトボール金メダリストの藤田倭(ビックカメラ高崎)だった。「4年に1回あるだけで幸せだよ」。五輪が実施されない期間があったソフトボールに思いをはせ、「4年に1度目指せるのは凄く幸せなことなんだ」と心に響いた。ミラノ・コルティナを目指す、強いモチベーションになった。また、自身が高校生の時に他界した母親の言葉「常に一番になりなさい」に励まされてきた。】、村瀬同様、アスリート、そして母親の思いに助けられたことへの深い感謝を秘めていました。
スポーツを通じた友情は、崇高な人間性の現われでもあります。苦しさを乗り越え分かつものは、「他者への慮り」にほかなりません。きな臭い国際情勢とは対照的な、オリンピックがこの時期に開催されたことで、少しは争い方に人間性が戻ることを祈りたいものです。

カテゴリ:スポーツ

これからが評価の対象!

2026.02.14

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おはようございます。
オリンピックの気持ちよさとは裏腹に、日本の政治状況はいよいよ混迷の頂点を極めたかのように感じます。「何を言うか、すっきりしたではないか!」との声も聞こえてきそうですが、ひとつの勢力が、思うままにその世界を動かすことができるようになることは、ある意味「危険」であると言わざるを得ません。つまり均衡がとれなくなることに対し、歯止めが利かなくなることが予想されるからです。野球界で言えば、読売ジャイアンツが9連覇を達成した時代がありましたが、これもまた結果が見えすぎて面白さに欠けた時期ではなかったでしょうか。ドジャーズも財力に物を言わせ著名選手と契約しています。強さ、スター選手が一極集中することはどうなのでしょうか?
人間社会は頂点を極めれば、下り坂になることはよく知られています。スポーツの世界と政治は異なりますが、バランス、中庸、中間といった思想は、良くも悪くも必要な考え方であることを想いだし、右左、上下等両極端をなす環境を、できるだけ避けられるようなシステムを構築していくことを、目指す必要があるように感じます。過去の歴史は様々に物語っています。どちらかに偏ることは自身の生きる幅をも限定し、「排除」、「争い」が加速していく構図を生んでいくのではないかと危惧します。

カテゴリ:政治・国際状況

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