お知らせ

積む ならべる

2025.01.29



ブロックや積み木を積み上げる、並べるなどは発達の目安として、公的機関でも使用していることが多いです。しかし慣れない場所や普段とは異なる環境や用具であるため、いつもやれていたのだけれどこの日に限って「できない」、ということはよくあります。保健士さんや支援員さんもそのことは十分想定していると思います。普段ある程度行えていれば心配ありません。また発達は個人差が大きいのでゆっくりの方もいます。心配し過ぎる方が良くないとも言えます。

さて中々素晴らしい積み上げを見せてくれていますね!Bブロックは基礎版があるため、積み上げも高くできますし、達成感も大きく持ちやすいのです。この「やれた」という感覚が子どもたちにとっては大切です。次の課題や困難に対しての「意欲」につながるからです。

幼い頃の「成功体験」はとても大切です。これから成長するにつけ失敗と困難はつきものです。何度失敗してもまたチャレンジしようといった意欲的姿勢は、簡単なことでも成功した喜びを積み重ねていくことが原動力となるのです。最初の積み上げの喜びとさらに積んだ時の表情は明らかに心の中は違っているはずです。

だからこそ自分の背丈よりはるかに高い積み上げに対しても、粘り強く取り組もうとする意欲が育っていくのです。周りがたくさん褒めることも大事ですが、何よりも「自分自身の頭(考える)、手足を使った」といった点において、本人が一番その成果を自覚しているに違いないのです。このような環境を作り出してくれるBブロックは、室内玩具としては本当に素晴らしい素材だと考えています。

カテゴリ:発達

保育参加

2025.01.29



今日も保護者様にご来園いただきありがとうございました。「保育参加」はもちろんお子様の保育園での生活を理解していただく、集団の中で頑張っている我が子を感じる、保育士の役割を理解するなどがありますが、もう一つ大切な役割があると考えます。

子どもたちは初めて会う人でも、もちろん遠慮なく「あそんで!」と関りを求めていきます。快く応じてくださり感謝しております。幼い子どもたちにとって、自分の父母ではない大人の人に遊んでもらう経験は、保育士以外でたくさんあるとは限りません。子どもの頃はできるだけたくさんの人に出会い、触れ合っていくことが大切だと考えます。それは人への信頼感、地域への安心感、安全な大人の識別能力を培うためにも必要な触れ合いだと思います。

ひと昔以上前は子どもがあぶないことやいけないことをしていると、遠慮なく叱られたものです。私もよく近所の人に叱られました。集合住宅の壁に軟式ボールでキャッチボール(家の中まで響く)、階段の踊り場にボールを投げ入れたらどうなるか(誰かいたらあぶない)、大きなヒキガエルを3階から落とすと(なんと無傷です)?電車沿いに自転車競走をし踏切待ちの車に激突!(ジャイアント馬場のようなおっかないおじさんに大目玉!車に傷がついたはず、にもかかわらず何もありませんでした)等たくさんの悪さをしでかしました。しかし大人はきつく叱っても「寛容」でした。

顔見知りであれば「○○ちゃん!それはいけないよ」と心から言えますし、子どもも叱られた人の顔を知っていることで、思いをしっかりと受け止められるでしょう。その様な関係性を作っていくためにも、たとえ1回きりの「保育参加」であっても、行事(卒園式)・進級時にその関係性が生かされることでしょう。「あの時の・・・・・」、楽しかった思い出、手伝ってもらった優しさ、他者の手のぬくもり、優しい一言、自分のためを思っての叱責は何となく記憶に残っていくと思います。

知らない人から知っている人、遊んでもらった人と、関係性や絆が広がっていけば、万が一災害や事故が起きたとき、「娘と息子と同じ保育園に通っていた子」と捉えることもできます。昔の言葉で言えば「よしみ(親しい付き合い)」=「同窓のよしみ」「隣のよしみ」「昔のよしみ」「よしみを結ぶ」「よしみを通じる」と表現できますね。同じような言葉に縁故(えんこ:人と人、人と物とのつながり)、縁(えん:人と人とのつながり)、つて(手ががり・手づる)、こね(親しいつながり・手づる・縁故)等があります。言葉からも関係性が必要なことがうかがわれます。

関係性が近いと時にリスクも生まれますので、一線引くべきところは配慮しつつ、いざという時のことを考えると普段から隣近所、保育施設、地域とは良好で愉快な関係性を作っておくことに越したことはないと思います。子どもは親や先生の背中を見て育ちます。子どもたちに言動を真似されても、恥ずかしくないような姿勢を保つことは我々保育者も注意しなければならないと考えています。

カテゴリ:子育て

他者理解へのスタートライン

2025.01.29

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3歳から4歳にかけての遊びは、まだまだ具体性に欠け集中時間もさほど長くはありません。しかし確実に何となくそれらしい遊びが現れ、持続してくる頃でもあります。

見立てる際に具体的な色や形が有れば、すぐにごはん作りや、配膳が始まります。しかし具体物であるほど長続きしないのも確かです。つまりは遊びの発展に限度があるため、遊び方が広がらないとも言えます。この年齢にとってはやはり砂を詰めひっくり返して形を見る、作る等することに挑戦性を感じることが必要だと思います。型抜きはいつも成功するとは限らないため、その失敗が何度も何度も挑戦してみたいといった意欲を引き出すとも言えます。

押し車は年齢が低い時は自分一人で押したり乗ることで満足していますが、2歳児クラスでは同じ遊びを行っている仲間に興味を持ち、一緒にいること、同じ遊びをすることを求めるようになります。そのやり取りもうまくいったりそうではなかったり、思い通りにいかないことに出くわしながら、自分の頭で考え解決する方法、大好きな仲間と気持ちよく一所に居られる方法を見つけ出すのだと思います。だからこそ「特定の相手=大好きな人」の関係性が大切だと思います。ここが人間関係のスタート地点だと感じます。「思いやり」、「優しさ」の感情、「一歩引く」等の譲歩は、相手が大切な人だと思えるから湧き出す感情です。少しずつ人間関係が広がっていく過程の中で、最初は「好き」といった気持ちがなければ始まらないのです。

「かくれんぼしよう!」とよく誘ってくれます。子どもたちは好き勝手に「ぼくが鬼、逃げる人」と宣言すると、すぐに遊びは始まります。その通りに行かなければ自分の言った通りになるまで頑として考えを変えない場合もあります。だからたくさん子どもたちがいると、それぞれの欲求に配慮する間などありません、「わかった、やるよ」と言って、数を数え始めたり、走ってその場を離れるだけで遊びは成立するのです。隠れている本人も見つけてもらえないと自分から「ここだよ」と知らせる、隠れていても自分の目線が隠れているだけ等、とてもかわいらしい「自己中心」なかくれんぼなのです。

適度にゆるいゆるいおおまかな決定の中で、柔軟性を持って対応していかざるを得ません。子どもたちもそこはとても「いいかげん(良い意味です)」で、ルールや役割に厳格ではありませんので、何となくあそび集団が成り立っていくのです。「あーたのしかった」その満足感さえ得られれば、今の発達段階ではベリーグッドなのです!

あそびは元来個人の自由な感性で捉え遊べばよいものです。ですがいずれ自分だけでは「おもしろくない」と感じる時がやってくるのです。その時こそ自分たちでルールを考え、みんなの楽しさや協力するなどのチーム力を楽しむ時代の到来です。まだまだ遠い未来です。「今は今」の段階を思い切り遊びこむことが、子どもたちひとり一人の成長を支援していきます。大人はそんな環境(物的、人的)を保証していかなければならないのです。

カテゴリ:発達

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