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追う 追われる あそびの発達

2025.12.23

alt追う 追われるのたのしさ役割認識の発達
alt身体と身体がぶつかり合うことで知る相手の身体の柔らかさ

子どもたちの人との関りの世界は、訳もなく追う追われる、押す押される等の動きを行ってみることから、本人なりに意味を見出していくのではないかと思います。「からだがおはなしをする?」などという表現がぴったりくるかもしれません!

特に「追われる」に関しては、最初は追ってくるのが安心できる大人であることが、最も嬉しい出来事となっていますね!とても自然なことで大好きな大人に追いかけれらることが嬉しいのは、「自分と遊んでもらっている」といった安心感?独占欲を満たすにふさわしいやり取りだからだと感じます。

最初は大人が追う役割であったのが、ある程度満足できれば役割が交替、子どもが大人を追いかけます。そして仲間同士に進み、さらに発展すれば自分より小さな子や知らない相手でもルールに従って追いかける、追われることに「楽しさとスリル」を味わえるように心が発達していきます。

今日の写真は、同じ子(1歳児クラス)がステップ「①仲間同士の追う追われる」と「②大きな子に追いかけられる」を体験している場面が生じています。

幼さによって表現される他者を求める心はぎこちないですが、徐々にその気持ちは強く現れてきます。このように様々な行動を起こしてみて、その結果から考えを導き出そうとする様子は、乳幼児期ならではだと思います。

時には仲間との距離が縮まり過ぎることで相手に嫌がられたり、昨日の様に大きい子の所有物を利用しようとすることで制止を受けたりを繰り返しながら、人や物との距離感を少しづつ捉えていくのだと思います。何度伝えても中々理解できない子もいます。しかし長い発達の過程を考えますと、これも一瞬の時間のことだと考えます。

だから子どもの成長速度や質量について他の子と比べてばかりいると、気持ちが萎えてしまいます。子どもは一人ひとり唯一の存在です。生まれてから小学校就学前までは差があって当然、、しかしなぜか学童期になるとほぼ一列に成長がそろってくるようになるものです。身体の大きさこそ違いはありますが、神経質になることではありません。むしろその不安な心が子どもに伝わることがよくない影響を及ぼします。「だいじょうぶ!なんとかなる」この気持ちを忘れず子どもと笑顔で暮らしていけると良いと思います。

カテゴリ:教育

今年の一字 「熊」

2025.12.23

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おはようございます。
恒例の清水寺今年の一文字は「熊」。あれだけ人里に出没し、不幸にも死亡事故が起きたことを思うと、一番のトピックス、人類の課題と言ってよいのかもしれません。政治の世界すら何ともできない人間が、自然の脅威を何とかすることなどできはしないと初めから分かっていることです。事が起きてからの対策では功を奏することは難しいでしょう。だから普段が大切です。「自然を大切にしてきたでしょうか」、「自然を伝える努力をしてきたでしょうか?」、「自然体験と行動を幼少期より行う環境を確保してきたでしょうか?」。
人類が危機に瀕するような今の事態は人間がまいた種が原因です。さらに人間同士が殺しあうことは「戦争」ばかりではありません。昨今世界で起きている「無差別殺人」も、他者への「嫌悪」を自らを害する「異物」と判断し、実際の殲滅行動に移している恐ろしさが感じられます。自分とは異なることを理性的に理解する、寛容に受け止め平和的努力を惜しまない、AIやSNS、人や対話を介さない安易な手段によって解決を図ろうとする、いわば人間同士のややこしい手間を省いた行いこそ、このような短絡的な判断と「即拒絶」、「即争い」の社会風土を生み出していると思います。人間同士の理解は時間と過ちと納得の繰り返しです。でもその手間の中にこそ「人間である所以、人間らしさ」があるのです「手間と失敗をしなければ分かりあえない」、ここを諦めてはなりません!
「自然との距離感の意識化」、「地球に共生する生き物同士」等々、自然を学ぶことは何千何万年も前から「畏敬」、「共存」の対象として人類がうまく付き合ってきた「生き物をつかさどる対象」を知る事でもあります。その本質から離れていくことによる、自然の逆襲は、人類に警告を与えていることだと知るべきです。

カテゴリ:生き物・自然・人間

夏草や兵どもが夢のあと

2025.12.23

alt園庭のイチジクにかかった「兵の証」
alt両親から離れ祖父母宅でたくましく遊ぶ! 孫バカです!だから育つことができるのかも

おはようございます。
日没後、車に乗ろうとしたら目の前のイチジクの木に、たくさんのタイヤがひっかけてあるのを観ました。子どもたちがタイヤとイチジクの枝と格闘し、この景観が残ったことを思うと心の中が温かくなりました。枝折れが少し心配!子どものために頑張って!
週末にいつも通り孫が我が家にやってきて、定番の遊びをいくつもこなし、最後はスーパーボールを部屋いっぱいにバラマキ、収集車で集める!で締めです。絵に描いたように昼寝をし損ねた心と身体は、何かのきっかけ(転ぶ、頭を壁にぶつける等)で崩れ母を求める叫び声に変わります。「兵(つわもの)」も最後には我慢した心を「母親」に求めます。幼いなりに仕事や他用で子どもの元を離れている母親の姿を、子ども心はいつもどこかで追っかけていることは紛れもない事実です。その心がどこかで満たされない限りは、「不安(大好きな存在との分離)」がどこかに残ってしまうことになります。
ですが子どもの心は、エネルギーを充填されればまた復活し、外で過ごす力が回復し、その力で自分の成長も後押しできるような心身の体力を、少しづつ育てていくことができるのです。出かける時に母が声をかけても、わざと?見向きもしません!愛らしい表現で寂しさをぶつける姿が、何ともいじらしく感じます!だから目いっぱい受け止め、真剣に遊びます!
暗くなった園庭に浮かぶ「兵の夢跡」は、奥州藤原氏が興亡の末はかなく滅びた姿ではなく、何度も繰り返される生き生きとした子どもたちの足跡だと勝手な解釈をしています。1日が終わればゆっくりと家族の愛にみたされ、そして翌日にはまた力をスキルアップさせ、集団や異なる世界で頑張る頼もしい力となっていきます。

カテゴリ:あそび

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