100歳のマハティール氏が語る
2026.01.12

おはようございます。
100歳になったマハティール氏は、ルック・イースト(東方政策-日本を見本とした経済政策)を掲げ、国内外(ASEAN)で平和と経済振興を進めたマレーシアの元首相です。中日新聞(26.1.1 朝刊6面)には、「戦争は何も解決しない」と題し、防衛力を高める日本に対し何度も軍事力以外の解決策を提言していることを報じています。日本はアメリカ追随から少しづつでも離脱し、自律した国家としての役割を世界に向け発信していくべき時ではないかと思います。人間そのもの、関係性がおかしくなりつつある今の日本だからこそ、しっかりとした見通しを国民に示すべきだと考えます。
また国民も黙っていてはならないはずです。未来を作っていくのは政治家が主体ではなく一市民であるべきです。中島みゆきの「世情」を聴きながら、その時代に生きた自分ではありませんが、激しく国家権力と闘った学生(安保闘争)たちの気概(もちろん暴力は肯定してはなりません)に「学ぶべきあり!」とも感じます。
またトランプ大統領の関税政策や平和に貢献したという理由で、FIFA(国際サッカー連盟)が平和賞を与えたことに対し疑問を投げかけてもいます。スポーツには政治や紛争を持ち込んではいけません。平和の中でスポーツによって力を競い合うことがとても大事でもあり争う国同士の関係改善のきっかけにもなるからです。領有権や内政問題等国が威信をかけていることに対し、軍事力による威嚇、干渉となるような発言等攻撃的になるべきではないとも言っています。
国連、国際司法裁判所、国際刑事裁判所などの機能が働かず、大国は拒否権や力による現状変更を堂々と行い、国際機関は戦争犯罪者に対し逮捕状を発行するなど、自由と平和を守ろうと公平な裁定を行ってはいますが、大国は権威主義や自国第一主義を掲げ身勝手な振舞をしています。
マハティール氏のような良識ある知識人、政治家が発信している内容を、現職にある各国のリーダーは真摯に受け止めるべきです。このまま世界に自国第一、自分優先、排斥や差別、紛争が深まれば第二次大戦の二の舞となってしまいます。権威を持った者たちの良識ある判断と実行力に世界の平和はかかっています。
カテゴリ:政治・国際状況
モミジバフウ っておもしろい!
2026.01.12
街路樹として見かけます
自宅近くの遊歩道の脇で楽しめます
トゲトゲですこし危ないのがいいんです!おはようございます。
自宅近くの遊歩道の脇にあるモミジバフウは、様々な楽しみ方を教えてくれます。落葉する寸前の葉っぱはまるで人型のようにも見えます。そして調べてみると、種は緑色の丸い実が徐々に褐色トゲトゲに変わり「いかつい」風貌に変わる前に、種は強い風に乗って遠くまで運ばれていくようです。同じような風媒花はもみじ(二枚の羽根が分離してもクルクルと回る)でも見られますが、実に子孫を残すための素晴らしい戦略を持ち進化したものです。子孫繁栄はどんな生き物にとっても最優先されるべきことのようです。【紅葉の美しい木で、公園樹、街路樹として多く植えられています。江戸時代に中国中南部、台湾などに自生するフウ楓という植物が渡来しました。フウに似て、北米原産の植物で、葉がモミジのように見えるとか、アメリカから渡来したことなどからの名前です。葉先が5~7裂している姿は、まるでカエデの仲間のように見えますが、フウ科というグループ(従来の分類ではマンサク科)に分類されています。葉の付き方に注目してください。カエデの仲間は同じところから2枚の葉が対生しますが、モミジバフウ(フウも同じ仲間ですが、葉は3裂します)は2枚の葉がずれて互生していますから、確認してみてください。日本へは昭和12(1937)年にアメリカ庭園協会から贈られたという記録が残っています。秋に熟す果実は毬栗みたいと表現されるように、刺に覆われます。刺の隙間に穴が開いて、そこから翼のある種子が風に舞います。発芽率は50~75%との報告がありますが、強剪定されることが多いからでしょうか、所かまわず発芽する姿を見かけることはあまりないようです。クラフトの材料として、人気を集めます。】
さて人間がその必要性を見失いつつある傾向(少子化)にあることは、人類滅亡にも繋がりかねない一大事です。内閣府が日本の少子化について説明していますが(専門調査会-「選択する」未来委員会)、文明化が進むと少子化も進むという論理(英国生活サイト)もあります。【少子化は「豊かさの副作用」である。まず確認しておきたいのは、少子化は決して「貧困」からくる現象ではないということだ。むしろ逆であり、経済的・社会的に豊かになればなるほど出生率は低下するという統計的な傾向がある。イギリスは産業革命の発祥地として知られ、19世紀以降、近代化と都市化を他国に先駆けて経験してきた国である。その中で「子どもは労働力である」という前近代的な価値観から、「子どもは投資対象である」という現代的な価値観へと大きくパラダイムシフトが起きた。子どもの数は「生活のために必要な数」ではなく、「社会的・経済的に許容可能な数」となり、やがて「人生設計の一部」として扱われるようになった。教育水準の向上、女性の社会進出、セクシャル・リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)の確立、そしてライフスタイルの多様化――これらはすべて、文明が進歩する上で望ましい成果であるが、その裏返しとして「子どもを産む理由」が希薄化していったのだ。
少子化という現象は、単なる人口問題ではなく、人間という存在そのものを問い直す鏡なのかもしれない。「人間とは何か?」「なぜ子どもを持つのか?」「文明とは進化なのか、退化なのか?」こうした問いに、種としての本能と、文明的理性の両面から向き合うことこそが、これからの人類が選ぶべき知的態度である。】
西洋文化は人、物事を現実的に捉えようとします。しかし東洋思想はそもそも「命」とはその意義を見つけ出そうとするものではなく、天地の創造であり「意義を問うべき対象ではない」【何故という疑惑や打算を入れる余地のない第一原則である(酔古堂剣掃-立命の解釈)】と述べられている。「どちらが・・・」という問題でないとは思うが、神秘な存在、人間そのものが小宇宙であるという考えは腑に落ちる。
カテゴリ:生き物・自然・人間
クリスマスに思う 「子どもの保育、教育」と「カスタマー・ハラスメント」
2026.01.02
おはようございます。
長男夫婦には3歳男児と1歳女児の子どもがいます。私にとっては孫ですがつい最近次男にも男児が誕生し、病院に会いに行きました。そこで私は次男が生まれた時は、宿泊仕事で不在だったという話をしたら、「今なら離婚だ!」と次男に言われ、時代変化の速さに驚かされる始末です。現代は「イクメン」なる言葉もあり、父親が育児に参加し育休を取得することも当たり前の世の中に変わってきました。そのことはとても良いことだと考えますが、すべてを半分負担することは正しいとは思いません。母親にしかできないことはあります。しかし父親も育児を学び、抱っこの仕方、授乳、食事、入浴方法などはもちろんですが、「保育」、「教育」に対する理解も母親と共に必要な時代だと思います。
ただ思うことは、昨今の「カスタマー・ハラスメント【行為の例・身体的・精神的な攻撃・威圧的・差別的で執拗な言動・不当な謝罪要求・個人への攻撃や嫌がらせ など】」に近い状況が、幼稚園、小学校、中学校などで起きていることへの戸惑いです。十年前に前職を辞したときも、既に「大学生への親の過干渉」、「子に対し親離れができない」が問題、という認識はありましたが、その年齢が高くなっている状況が目立ちます。親はいい年をしていつまでも子どもじみたことに親子の喜びを見出そうとするものではありません。本当に子どもが「真の人生の夢」を持てるように育てるには、親こそ稚拙な関りから脱却し、年相応に大人としての関係性と距離感を自らの分身に持たなければ子どもは自立、自律共が危うくなります。
学校現場ではしつこく担任教師に連絡し文句を言い続ける親が増えています。これはもうストーカーに近いやり方です。子どもはたとえ幼くても一人の人格を持つ人間です。多くの保育者、教員に対する「ハラスメント」は、大人になり切れていない親の「稚拙な心」、「自己中心性」を社会組織にぶつけ駄々をこねる子どもと一緒の言動です。主張を紐解けば子どものことを考えているようで、実は「自己中心」の塊のような主張を耳にするたびに、結果子どもは親の権威に屈し、利用し依存的な人格が形成される結果を生み出すであろうことが予測できます。そして思うようにならなければ人を傷つけ、反社会的行動をとるようになってしまうことも考えられるのです。それが大人になっていない幼稚な言動と、無理難題を言う親の姿から学んだ素直な子どもの生き方です。子どもに罪はないのです。少し言い過ぎかもしれませんが、このような状況が続けば教職を目指す青年は失望し、挙句の果てに保育、教育の場が疲弊し教育力が低下していくことも必須です。
「イクメン」、結構なことです。しかし子どもは所有物ではなく一人の人格を有する独立した存在として扱い、父母、祖父母がそれぞれの年齢と経験に応じた役割を果たし、少子化の時代における「過干渉」の反省と、「親離れ」、「子離れ」がスムースに行えるように支えていくことは、現代家族が配慮せねばならぬ人の在り方だと考えます。
子どもらしい「夢(サンタ・プレゼント)」を、クリスマスに心待ちにする期待感は乳幼児期だからこそ大切です。しかしそれは遅くとも学童期後半には異なる夢に変わり始めなければなりません。親や大人も当然接し方、物ではない大切な贈り物に変えるべきです。そして公的機関や我々のような保育、教育に携わる者も、地域や、家族と共生していく具体的な実践を「目に見えない贈り物(自立・自律・利他)」として示し、分かち合っていけるように環境を整え、心して取り組んでいくべきだと考えています。
長男夫婦には3歳男児と1歳女児の子どもがいます。私にとっては孫ですがつい最近次男にも男児が誕生し、病院に会いに行きました。そこで私は次男が生まれた時は、宿泊仕事で不在だったという話をしたら、「今なら離婚だ!」と次男に言われ、時代変化の速さに驚かされる始末です。現代は「イクメン」なる言葉もあり、父親が育児に参加し育休を取得することも当たり前の世の中に変わってきました。そのことはとても良いことだと考えますが、すべてを半分負担することは正しいとは思いません。母親にしかできないことはあります。しかし父親も育児を学び、抱っこの仕方、授乳、食事、入浴方法などはもちろんですが、「保育」、「教育」に対する理解も母親と共に必要な時代だと思います。
ただ思うことは、昨今の「カスタマー・ハラスメント【行為の例・身体的・精神的な攻撃・威圧的・差別的で執拗な言動・不当な謝罪要求・個人への攻撃や嫌がらせ など】」に近い状況が、幼稚園、小学校、中学校などで起きていることへの戸惑いです。十年前に前職を辞したときも、既に「大学生への親の過干渉」、「子に対し親離れができない」が問題、という認識はありましたが、その年齢が高くなっている状況が目立ちます。親はいい年をしていつまでも子どもじみたことに親子の喜びを見出そうとするものではありません。本当に子どもが「真の人生の夢」を持てるように育てるには、親こそ稚拙な関りから脱却し、年相応に大人としての関係性と距離感を自らの分身に持たなければ子どもは自立、自律共が危うくなります。
学校現場ではしつこく担任教師に連絡し文句を言い続ける親が増えています。これはもうストーカーに近いやり方です。子どもはたとえ幼くても一人の人格を持つ人間です。多くの保育者、教員に対する「ハラスメント」は、大人になり切れていない親の「稚拙な心」、「自己中心性」を社会組織にぶつけ駄々をこねる子どもと一緒の言動です。主張を紐解けば子どものことを考えているようで、実は「自己中心」の塊のような主張を耳にするたびに、結果子どもは親の権威に屈し、利用し依存的な人格が形成される結果を生み出すであろうことが予測できます。そして思うようにならなければ人を傷つけ、反社会的行動をとるようになってしまうことも考えられるのです。それが大人になっていない幼稚な言動と、無理難題を言う親の姿から学んだ素直な子どもの生き方です。子どもに罪はないのです。少し言い過ぎかもしれませんが、このような状況が続けば教職を目指す青年は失望し、挙句の果てに保育、教育の場が疲弊し教育力が低下していくことも必須です。
「イクメン」、結構なことです。しかし子どもは所有物ではなく一人の人格を有する独立した存在として扱い、父母、祖父母がそれぞれの年齢と経験に応じた役割を果たし、少子化の時代における「過干渉」の反省と、「親離れ」、「子離れ」がスムースに行えるように支えていくことは、現代家族が配慮せねばならぬ人の在り方だと考えます。
子どもらしい「夢(サンタ・プレゼント)」を、クリスマスに心待ちにする期待感は乳幼児期だからこそ大切です。しかしそれは遅くとも学童期後半には異なる夢に変わり始めなければなりません。親や大人も当然接し方、物ではない大切な贈り物に変えるべきです。そして公的機関や我々のような保育、教育に携わる者も、地域や、家族と共生していく具体的な実践を「目に見えない贈り物(自立・自律・利他)」として示し、分かち合っていけるように環境を整え、心して取り組んでいくべきだと考えています。
カテゴリ:子育て
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