お知らせ

京 お寺巡り

2026.03.29

alt常照寺 吉野門
alt光悦寺の竹垣
alt源光庵「悟りの窓」「迷いの窓」

おはようございます。
先週お彼岸で親戚の墓参りに京都へ出向き、お寺へ赴く時間もいただき、大好きな古刹を堪能しました。道が狭まり登りとなる洛北鷹峯にある常照寺【鷹峯周辺はもともと本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が江戸時代に徳川家康から拝領した土地であり、常照寺は元和二年(1616)光悦および息子の光瑳から寄進された地に日蓮宗の高僧 日乾上人を招聘して創建された。寛永四年(1627)に僧侶の学問所として鷹峯檀林が開設され、最盛期には30以上のお堂に数百人が集まり勉学に励んだと伝わるが、明治時代の新規学制導入と共に廃檀となった。境内には鬼子母尊神像を祀るお堂があり、子育て、子授けの神として信仰されている。また最澄作と伝わる大黒天、光悦真筆の扁額などの寺宝も所有している。また、江戸時代初期の芸姑 二代目吉野太夫(松田徳子)はその美貌はさることながら、和歌、書、茶湯、音曲、囲碁などあらゆる芸に秀でた人物であった。吉野は芸を通じて親交のあった光悦の縁故で常照寺の開祖 日乾上人と対面した際、その学徳に帰依し寛永五年(1628)当寺に朱色の門を寄進した。この門が現在も残る吉野門である。茶室 遺芳庵の大丸窓は吉野が好んだことから吉野窓と呼ばれる。】光悦寺は茶人本阿弥光悦ゆかりの寺【参道や境内にカエデなどが植えられ、紅葉と参道の石畳・竹垣(光悦寺垣)・緑の苔などの光景が美しいと言われています。紅葉のトンネルになる参道は写真撮影スポットになっています。背後のふた山を借景し、遠く東山を臨み何とも言えない落ち着きを感じさせる立地で、まさに茶の湯に相応しい雰囲気を味わえます。】、源光庵は伏見城遺構が天井にあり【本堂の⾎天井は、伏⾒桃⼭城の遺構です。慶⻑5年7⽉(1600年)徳川家康の忠⾂・⿃ 居彦右衛⾨元忠⼀党1800⼈が⽯⽥三成の軍勢と交戦し討死、残る380余⼈が⾃刃して相果てたときの恨跡です。また、曹洞宗所以の2つの窓は良く知られており、悟りの窓の円型は「禅と円通」の⼼を表し、円は⼤宇宙を表現しています。円迷いの窓の⾓型は「⼈間の⽣涯」を象徴し、⽣⽼病死の四苦⼋苦を表しています。】、主君のため命を散らした武士の魂を感じます。それぞれの寺は数百年の歴史があり、先人の苦労と思いの結晶でもあります。古の心に触れ心を新たにする時間となりました。

カテゴリ:宗教・文化

日本とアメリカの関係

2026.03.29

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おはようございます。
日米首脳会談が終了し、思ったほどトランプ氏の無茶ぶりがなかったにせよ、「したたかな外交」の意味が親密さを前面に表現した方法だけ(もちろん日本の法律で自衛隊艦船を派遣できないことを伝えたことは評価できますが)でうまくいったと思うのは安易だと感じます。イランは日本との友好関係を保とうとする姿勢を見せています(ホルムズ海峡の日本タンカー通過容認-アラグチ外相)。高市氏はイランの湾岸諸国に対する攻撃やホルムズ海峡封鎖を批判し、アメリカの武力行使、世界秩序と国際法違反については何ら触れていません。どう考えても二枚舌を使い、トランプ氏の面子を考えた言動で乗り切ろうとしているとしか見えません。「したたかな外交」の真意はいったいどこにあるのでしょうか?
春を迎え太田裕美の「木綿のハンカチーフ」で、都会に就職した恋人が、自分を忘れ色に染まらないことを願うのとはわけが違うかもしれませんが、戦後以来のアメリカとの関係性を、今後どの様に捉え独立国としての考えを貫いていくのか、イランとの文化的交流を大切にしながら、核や軍事力行使を非難するならば、当然大国であろうが、同盟国であろうが、公平に意見表明していくことが、アメリカから民主主義を伝えてもらった日本のなすべき仕事だと思います。世界の警察を止めたアメリカが、今は武力で他国を制圧する「ならずもの」のように見えてきます。

カテゴリ:政治・国際状況

素材や用具へ目をみはる子どもの力!

2026.03.21

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子どもたちが目を見張る力は凄いものです!昨日はなかった押車、レモンの葉っぱ、小枝などを目ざとく見つけ、遊び道具として使っています。もちろんドングリやカリン、松かさ、葉っぱ、小枝などの自然物、道具も、新しいものと同様に様々な使い方を試し、新たな発見をしている様子も見られます。

それぞれの子どもたちには、自分の好きな遊び方があるようです。その自分らしさを追求していくことで、今の自分自身の発達を伸ばしていると感じます。「すきこそもののじょうずなれ」という言葉があります。まさに子どもたちは自分の「好き」から、自らの力を伸ばしているのです。

なわ跳び縄を樹木に巻き付け回そうとしています。以前保育士とたんぽぽさんが行っていたあそびを、自分でもやりたいと奮闘しているのだと思います。2台の車にまたがり少し欲張りな遊び方をしています。どっちにも乗りたいといった気持ちが、新たな乗り方へと導いているかのようです。

シャボン玉が飛んでくると、なぜだか「パチン!」と手でたたきたくなりますね、これは子どもも大人も同じです。不思議に輝くきれいなシャボン玉、本能的に捕まえたい、パチンしたいと体が動きます。なんだか猫がネコじゃらしやボールに反応し、追いかけたり手で押さえようとしていることに似ていますね。

同じモノをたくさん集めて心が嬉しくなったり、なかまと同じことをすることで喜びを感じたりすることも、やはり人間の心の奥底にある本能が、その様にさせているのではないかと考えます。人間はそんな遊び心を持った存在であり、だから様々な知恵も育ち手先指先、全身が連動して物事を楽しみながら、自らの力としていくことが出来るように「神?」から与えられた動物なのでしょうか?

このような行動は人間に「欲」があるからです。欲は使いようによっては、人間社会のプラスになっていきますが、悪用されると人間同士の繋がりを破壊したり、貧困や犯罪を助長してしまいます。ほどほどにすることは「足るを知る」につながります。そして「たるをしる」は「足を使う」等の意味にも使われます。面倒がらずに自らの足を使って活動することこそ、人間の使命でもあります。

楽しそうだとすぐに行動する子どもたちの姿は、私たち大人に「自分の身体」、「自分の声」、「自分の考え」をしっかりと伝えることの重要性を伝える存在だと思える時があります。子どもはある意味「小仏様」のような存在であると思います。子どもは大人の生き写しです。親として社会人として子どもたちには恥ずかしくない生き方を背中で見せていきたいですね。

カテゴリ:教育

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