子育てと発達
2025.11.03
子どもたちの成長は早いものです。あっという間に過ぎ去ってしまう乳児期をより大切にしたいと思うばかりです!
大人からすれば簡単なことも、子どもたちにとっては冒険だと思います。たとえば「あるく」、こんな当たり前の動作さえ、一歩一歩が喜びの瞬間であるはずです。だから「もう一歩すすみたい」のです!その一歩の感動を一緒に分かち合っていきたいものです。
発達は子ども自身にとっては「未知との出会い」、「嬉しさの体験」に他なりません。心も成長してくるとその中に「不安」や「疑い(だいじょうぶかな?)」などの感情が芽生えてきます。そこを一つひとつ大人の手も借りながら進めていくことで「安心」して冒険を楽しんでいくことができます。
「あるく」、「ける」、「いれる」、「すくう」など、自分自身の身体そのものを使う動きと、道具を媒介し獲得していく動きがあり、それは並行して行われていきます。常に発達しようとする心身は、年長者や大人の「砂の扱い等々・・」高度な方法(大きなバケツに砂を入れひっくり返す)にとても大きな関心を示します。
そのことが心の中で大きな「憧れ」となって自分自身を育てる種になります。「あんなふうにやりたいなー」、「ステキだなー」、このような環境を意図的に作り出すことも、保育園という様々な年齢が過ごす施設の役割でもあるのです。
もちろん「自己中心的時代」、特に乳児期は親御さん、ご家族様との関係性を充実することが第一に優先されなければなりません。ですが発達の特徴(平行して進んでいく)を考えると、「自己中心的時代」にも、次の発達段階の要素が環境(タイヤで遊ぶ、砂場であつまる集団)として存在することも必要に感じます。
3歳まで自宅で過ごすお子様が、時には児童館や子育て支援施設、本園のような「園庭開放」に行くことを勧められるのも、「子育てが孤立する要因」となる大人都合を予防するだけではなく、子どもにとって関わる同世代(同じくらいの発達の仲間又は近い)の存在が必要だからです。もちろんお母様の家庭生活が孤立することなく安定していることが、最も大切な前提条件であることは代えられません。
大人からすれば簡単なことも、子どもたちにとっては冒険だと思います。たとえば「あるく」、こんな当たり前の動作さえ、一歩一歩が喜びの瞬間であるはずです。だから「もう一歩すすみたい」のです!その一歩の感動を一緒に分かち合っていきたいものです。
発達は子ども自身にとっては「未知との出会い」、「嬉しさの体験」に他なりません。心も成長してくるとその中に「不安」や「疑い(だいじょうぶかな?)」などの感情が芽生えてきます。そこを一つひとつ大人の手も借りながら進めていくことで「安心」して冒険を楽しんでいくことができます。
「あるく」、「ける」、「いれる」、「すくう」など、自分自身の身体そのものを使う動きと、道具を媒介し獲得していく動きがあり、それは並行して行われていきます。常に発達しようとする心身は、年長者や大人の「砂の扱い等々・・」高度な方法(大きなバケツに砂を入れひっくり返す)にとても大きな関心を示します。
そのことが心の中で大きな「憧れ」となって自分自身を育てる種になります。「あんなふうにやりたいなー」、「ステキだなー」、このような環境を意図的に作り出すことも、保育園という様々な年齢が過ごす施設の役割でもあるのです。
もちろん「自己中心的時代」、特に乳児期は親御さん、ご家族様との関係性を充実することが第一に優先されなければなりません。ですが発達の特徴(平行して進んでいく)を考えると、「自己中心的時代」にも、次の発達段階の要素が環境(タイヤで遊ぶ、砂場であつまる集団)として存在することも必要に感じます。
3歳まで自宅で過ごすお子様が、時には児童館や子育て支援施設、本園のような「園庭開放」に行くことを勧められるのも、「子育てが孤立する要因」となる大人都合を予防するだけではなく、子どもにとって関わる同世代(同じくらいの発達の仲間又は近い)の存在が必要だからです。もちろんお母様の家庭生活が孤立することなく安定していることが、最も大切な前提条件であることは代えられません。
カテゴリ:発達
クマと人間の接触
2025.11.03
なめとこ山の熊 宮澤賢治おはようございます。
クマとの遭遇による人的被害が多発しています。特に生息数の多い東北地方では件数が増え、人里に現れ人家や倉庫内にも侵入し、深刻な事態を招いています。国は「緊急銃猟(狩猟が認められていない場所であっても緊急を要する場合市町村長の許可で許可できる)」執行、自衛隊を派遣し、最悪の場合に備えていますが、相手は一筋縄ではいかない猛獣であること、重ねてハンターが民家が立ち並ぶ場所での発砲による人的被害を怖れ、対応が進んでいるとは言えない状況です。
元々クマは神聖な生き物と位置付けられ、神に近い存在として扱われてきました。様々な風習や物語にもクマとの接点は大切に扱われています。特に知られている文化が「マタギ」という今はほぼ継承されなくなった職業(猟師)の存在でしょうか。東北地方の山村集落では人間が生きる糧を得るために、クマを殺し肉を食べる、熊の胆(薬・滋養強壮)、皮を売り生活のために金銭やコメ、豆、野菜などを購入し細々と生活してきました。残さず血の一滴まで使い切ることで、自然物、山の神への感謝と畏怖の念を伝えてきたのです。
宮澤賢治の童話にも「なめとこ山の熊」で、人間とクマとの関係性がとても分かりやすく描かれています。クマは本来生きる為にブナの実などを食べる雑食性の生き物です。子育てや冬眠前に食べ物が枯渇し致し方なく山里に下りてくることで、不幸にも人間と出くわし敵と認識し「やられる前に仕掛ける」といった行動につながると専門家は説明しています。
自然を破壊し他の生き物を脅かす権利など人間にはありません。気候の変動はもはや止める術もなく悪化の一途をたどるばかりです。他の生き物との「共生」を心底願うならば、私たちは自然破壊の引き金である山の開発、進みすぎる科学技術にあぐらをかくのではなく、AIが必要とする多量な電力を賄う必要があることを理由にして、原発を容認するべきではないと考えます。人間はすべての生き物の支配者ではありません。大いなるものへの尊厳を考えるべき時です。
カテゴリ:生き物・自然・人間
戦場での平和貢献と軍事利用
2025.11.03

おはようございます。
戦場で地雷を踏み亡くなる、あるいは足を吹き飛ばされるといった悲惨な状況は、戦中に限らず戦後においても民間人が犠牲になっている実態がかっての紛争地には存在しています。地雷は「悪魔の兵器」と言われる人類にとって最悪の武器です。ウクライナとロシア間の戦争は、国境を隣接しているNATO加盟国にとって、いつ何時外敵の侵攻があっても良いようにと地雷の埋設が始まることに繋がってしまっています。一方日本はコストがかからず、しかも安全な方法であるドローンを使った地雷探知に協力しています。
一方では日本メーカー(NEC)が作成した海底通信ケーブルを、ロシアが潜水艦探知用として転用した疑いが分かり、日本政府は過去の取引(故安倍晋三首相が北方領土問題を含む、平和条約締結を目指したロシアとの経済協力にて輸出した物品に関わる)ではあるが、外為法違反でNECに行政指導が行われる可能性があることを示唆しています(中日10.24一面記事)。
日本が様々な方法で「戦争回避、被害除去」を目的とした貢献をしていくことは素晴らしい活動です。反面、軍事予算を拡充(GDP2%)し戦争協力、戦争の後方支援をしていくことは、他国の紛争に巻き込まれていくことに繋がると思います。最新鋭の防衛装備をし「自国は自分たちで守る」、これはとても大事なことですが、米国やヨーロッパ、アジア諸国に協力するための方法については、必ずしも戦闘機やミサイルを配備すること、つまりは抑止力のための軍拡であるとは言えないと思います。誰かが間違って発砲してもその時点で戦争は始まり、庶民が巻き込まれる可能性があることを覚悟しなければなりません。
カテゴリ:戦争
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