総裁選の行方
2025.09.27

おはようございます。
世界陸上では純粋なスポーツの友情(田中希実、山本有真 各選手)が報道されています。政治の世界はいかがなものでしょうか?どの候補も自分の味方を増やすことに必死で、総裁までの短距離走に勝利するための御託を並べているように見えます。少数与党であることは野党との協力体制は避けられず、思うように政権運営ができるとは考えられない状況です。自民党の「解党的立て直し」が実行されない限りは、誰がトップになっても国民の不信感はぬぐえないと覚悟すべきでしょう。
石破総理の様に国内政治に着手する以前に短命で終わることも十分に考えられます。本当の意味での派閥解消、金権政治の終焉、悪習慣の除去が実行されなければ、自民政治の明日はないものと考えてほしいものです。また、野党も現実的な政権政党としての責任ある発言、回答を用意し、国民が安心して任せられるような組織づくりを目指してほしいものです。
カテゴリ:政治・国際状況
子どもの何を育てるべきか!
2025.09.20



つくし組さんの発達は4人の個別性がとても強く現れています。つかまり立ち押し車歩き、ひたすら強く速く歩く、物(かばん)をもってバランスよく歩く、自由自在に難しい場所(1本橋)を歩く、4人4様で視ていて面白いです!
このような発達の個別性で必要となる支援は、つかまり立ちの段階に関しては転倒時に頭を打たないようにすること、つまりは安全確保、物を持ち歩く時も同じ目線が必要ですが、それは足腰の発達具合で変わります。安定して歩けるかは日頃様々な場面に対する歩行を観てキャッチしておく必要があるのです。だから一律な支援ではありません。よって大変です。
最大の初期発達における子ども自身の喜びは、視線や見えるものの見え方の変化です。寝返り、お座り、ハイハイ、つかまり立ち、だんだんと視界は高く広がり、「もっとみたい、さわりたい」といった欲求は高まりを見せます。この「こころ」の発達が身体使いをより活動的にしていくのです。
心と体の発達不一致が起きたとき、「ころぶ」等の事態が発生します。ですが転ぶことも学習機会ですので、今現在の身体能力や経験数で小さなケガで済むと判断できれば、むやみに助けることを避けることも必要となります。小さなケガを経験するからこそ大きなケガをしなくて済みます。
担任保育士に手をつないでもらい1本橋を渡っている様子は、おそらく本人が望んだ結果だと考えます。その判断(怖いから手をつないでもらう、もしくは自分で判断し止める)が、「今」の発達段階なのです。その姿がいずれ一人でも大丈夫と、落ちそうでも頑張る姿に変わっていきます。
このような判断に至るには、一人で挑んで平均台から落下し、「なんだ、あしでじめんをつかみ、ちょっとひざのクッションをつかえばだいじょうぶなのね!」といった経験を積み重ねることで、きっと早歩きで渡るほどの自信につながっていくと思います。
対照的にすべり台を滑り降りる姿は自信に満ち溢れています。保育園では室内でも、たぶんご家庭でもどこかでたくさん経験されているものと想像します。この経験の積み重ねの差異が、子どもの「ひとりで」または「てつだって」の判断材料になっていくものと考えられます。
そして新しく搬入した山砂(2トン車 2車分)、保育士との話し合いでも柔らかく、さらさらした感触は子どもたちの興味、関心、意欲を高め、結果砂場での集中時間が増していることが話題となりました。用意する環境の「質」が発達を促していることがよく分かります。丁度涼しくなるころを見計らい用意することが大切です。
子どもたちに用意されるべき環境、これは大人が考えていくことが必要です。それも個々の発達に見合った取り組み方を応援し、大人の思った通りの線路を行わせるような方法、内容ではなく、自発や挑戦意欲を自らの中に作り出していけるような成長を願ってでなければならないと考えます。
子ども自身の心と体が納得し腑に落ちてこそ、「自信」、「粘り強さ」、「立ち直りの心」が育っていきます。どんな技術や知識の教え込みよりも乳幼児期に身につけるべき力は、この様な力強い非認知能力(物事に対する姿勢や取り組み、他者との関係性構築の力)であることは、間違いなく今後の心身成長の土台となっていくのです。
カテゴリ:発達
読者が選ぶ中日グッとコラム(2025上半期)
2025.09.20

おはようございます。
中日新聞が9県で発行している紙面に若い記者が書くコラムが掲載されていました。読者が良かったコラムに感想付きで一票を投じるといった企画です。16名の若い記者それぞれの人となりが出ていてとても面白いと感じました。「誰が一番」というわけではなく、「この人のが一番自分にピッタリくるなー」という視点で良いと思います。私は長浜通信局(滋賀県)の「ハナコの話」を書いた平子宗太郎さんのコラムにグッときました!
最初は4匹いた、とある公園の一角に飼育されていたサルがハナコという名前でした。飼育員の方が最後に残ったサルに対しとても愛着を感じ、飼育員の仕事以上に冬は簡易暖房機を持ち込み、夏はアイスキャンディーを渡し、苦楽を共にしてきた様子が伝わってきました。きっとその行為は「必要以上の世話」、「行うべきでないこと」だったのかもと思います。しかし動物への愛着を持った人の優しさや、ルールを少々逸脱しても生き物を愛おしむ寛容な心、そこには人間同様心ある存在として相手を気遣う優しさに溢れた心を感じます。
私も子どもの頃、祖父が遠方から自転車に載せたジュウシマツを飼い、セキセイインコも繁殖させ育て、小さな命の生き死にを目の当たりにしてきました。そんな物言わぬ生き物と過ごした時間を今も鮮明に覚えています。生き物と過ごすことは、「命」がなんであるのかを学ぶことでもあります。そんな機会を与えてくれた今は亡き祖父に大きく感謝します。
この記事をの締めくくりは【ハナコは愛されていたんですね。つい言葉が出た。山岡さん(飼育員)は笑みを見せ、すぐに目を伏せた。ハナコを思う涙が何よりも悲しく、温かかった。】そんな記者自身の優しく、命を尊ぶ心さえ映し出していると感じ涙が浮かぶのでした。
カテゴリ:教える・伝える
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