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欲求の満足こそ つぎへのステップ!

2025.06.09



最近急速におにーちゃんっぽくなってきたYくん、幼き者たちにとてもやさしいですね!しかも決して自分の思うようにできないと無理をするのではなく、しっかり相手の出方を待ち丁寧に対応しています。実をいうと入園当初はかなりのツワモノで、次から次へとやりたいことを間髪入れず行い、隙があればイタズラ?を行う「自己中心性(何度もお伝えしているとおり我慢せず行う自我を作る発達)」を謳歌する様子が多々ありました。しかし、1年足らずでこのように他者への繊細な視方と、優しく接する力の成長につながっています。

もちろんご家庭でもご苦労が多かったのではないかと思います。ですがやはり思う存分思いをぶつけてきた子は、ある成長の点において、他者、様々な事物に大きな関心を寄せ、関りを慎重に求めていけるようになります。その時に思い切りその時点の発達をやり切ることが、このような状況を生むものと考えます。

ハイハイ、つかまり立ちを十二分に行う、自らの過去の発達を歩んでいる仲間に合わせ自分も楽しむ等の行動は、自身の発達の度合いを確かめながら、自分の成長を楽しんでいるように見えます。なかまの様子に合わせたり、反対に自分だけの世界(ブロックや絵本)にひとりで没頭することもとても大切な時間です。

そして、普段は園庭を歩いて探索している子どもたちが、バス見学ツアーのように皆で一緒の箱に納まって、同じものを見る、聴く、触れる経験をすることも、たまには知らず知らずの間に一体感、共感力を持つことに役位だっているのではないかと思います。

時々説明しなければ、子どもたちへの園生活の視方や方法について、誤解を招くことがあるかもしれません。例えば「避難車になぜ『つくし組さん全員』がのっているの?」、「園庭は歩けばいいのでは?」、今日も園庭開放で来ていたママが「どうしてカーテンをおろすの?」、「私たちがお邪魔なのかな?」と誤解される前に説明します。「食事、午睡時は気が散らないように情報をあえて少なくします」とお伝えすれば正しい視方で理解ができます。

どのような情報なのか?またどうしてルールは必要なのか?においても、一歩踏み込んで、しっかりと正しく受け取ってもらえる情報を自らが発信(言葉、対話)できているだろうか?等を私たち職員は振り返る必要があると思います。相手の気持ちを考えた上で、誤解を受けないような言葉を選び「情報」をお伝えすることが大切ですね。

今朝の「中日春秋」に1950年代以降の日韓交渉停滞期について、時の外相大平正芳氏が次のように述べています。【「一方は二階で四股を踏んでおるし、片方は一階で四股を踏んでおる。相撲をとろうとしても呼吸が合うはずがない」と振り返った。意見が違っても、同じ階にいて顔を合わせるのが大事。礼節を重んじ、息を合わせて四つに組みたい。】

人間同士は考え方や見解の相違をどのように乗り越えていくかに心を配らなければなりません。「分かり合いたい」といった尊い気持ちを、どのように現実の社会である「保護者と保育園」、「同僚間、先輩後輩」「役所と民間、住民」、「客と営業マン」、「契約者間」等の関係性において理解し合っていくかです。

その初歩的、基本的で大切な意味を含む行動は、幼い子どもたちの純粋な心の表れと行動が見事に見せてくれています。子どもの姿に学ぶ気持ちがあれば、戦争などいつまでも継続していくことはあり得ない事であり、悲劇としか言いようがありません。

カテゴリ:発達

長嶋茂雄さん逝去

2025.06.09

alt豪快で一途なプレーが日本人の心をとらえた!
alt病気と闘う姿も伝えた 決してファンを裏切らない

昨日3日に現役時代は「長さん」の愛称で親しまれた長嶋茂雄さんが、肺炎のため89歳で亡くなられました。最後まで病や老いと闘い続け、闘志とユーモアにあふれた生き様は、プレーと同じで、豪快、一途、笑いに溢れた生涯でした。
私の少年時代中日ファンでありながら、長嶋茂雄だけは大好きで私自身も三塁手を何度も経験し、あの華麗なスローイングをまねたものです!そしてユニフォームの背番号は「3」、少年野球でも背番号「3」が重なり笑えるチームだったことを覚えています。過去のインタビューで「あなたは天才ですか?」の質問に「普通の人間です」と答えられた姿が印象的でした。プロ野球選手としてファンには苦しい練習を一切見せることなく、黙々と闘志あふれる一流の姿を見せ、生涯一途で懸命、誠実に生きた方だったと思います。だからこそ国民は「長嶋茂雄」を人間として愛したのだと感じます。今も懸命に1日2時間もリハビリに励む姿が目に浮かびます。私たちはそんな素晴らしい生き方が、人知れず地道な努力にあったことを忘れてはならないと思います。心からご冥福と感謝の気持ちをお伝えしたいです。

カテゴリ:スポーツ

子どもの自我と自己中心性

2025.06.01

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「自分を強く主張する」、人生の中でこれほど「自己中心性」を発揮できる、また発揮しなければならない時期は、これから先それほど経験できるものではありません。自己主張は自分の言いたいこと、表現したいことをたとえ言葉が未熟な時代でも、自発的に自分を伝える意欲的な態度と言えます。

だから「しっかりと自分をつくり始めている」と捉えることが必要だと思います。親様として大人として「こまったな」と思うこともあるかと思います。しかしこの場面でもしトラブル以前に大人が止めてしまえば、自己の思いを主張する前に「大人の力」で気持ちのぶつかり合いすらなく事は通り過ぎていきます。

その事は子ども自身が頭を使い、感情が動き考えることを必要としません。つまりは大人が全部やってくれるので、今後も自己の感情を動かす必要もなくなるのです。これは「他律」を助長していくこととなります。「自立」し「自律」できる人格を持つためには、自分自身を自分勝手だろうが一度は表出することが必要です。

その行動によって反応する相手の行動は写真の通りです。「取り合い」が起こることでお互いが「怒り」、「悲しみ」といった感情に出会い味わうことが出来るのです。そして自分が抱いた感情(取った爽快感、取られた悲しみ)や立場がいつの日か逆転したときにこそ、何回かの場面の積み重ねで、はたと「気付き」が生まれます。しかし相手の身体を傷つけてしまいそうなときは放ってはおけません。ある程度争う場面を経験すれば十分です。

その後大人からの語り掛けも大切です。双方の気持ちに耳を傾け受け止めた上で、「こんな方法(ほかにも車があったよ、少し待ってみようか)もあったね」と目をしっかりと視て語り掛けてあげることは、大人の大切な支援だと考えます。たとえ言葉として伝わっていないにせよ、次も同じ行動であったとしても、真剣な大人の表情と目線、口調は幼い子どもたちにもしっかりと伝わっているはずです。

良くはない例です。大人が大きな声で叱る時、子どもたちは一瞬凍り付きます。大人の真剣で強い「怒り」が伝わってくるからです。子どもたちは何に恐怖を感じているかは一目瞭然です。「大人の強くて恐ろしい権威」です。大人の権威は子どもの心を委縮させ、大人に逆らえない弱さを思い知らせてしまいます。大きな声は必要ありません。真剣に「いけない」を伝える、「自分や友だちを傷つけるから」を表情と目線で伝えるので十分です。

でなければ「大人の権威」に従順で、顔色をうかがう癖が身についてしまいます。「自分で考える」がなくなり、権威ある人の言われるがままの人格となっていきます。極端な事例ですが最近の事件で「親に試験、勉強と言われ続けてきたことが、事件を起こした原因だ、親が悪い」と言い放った若者がいました。

「他律的に育つ」の恐ろしさを伝えています。だから自我の芽生え、本人の自己中心性が起こすトラブルは、とても貴重な体験なのです。誰にも左右されず自分自身の感情で起こした行動なのです。大人はそのような学びの機会を十分に尊重しながら、心身が必要以上に傷つかないようにすることにこそ心を向け、子ども心に寄り添うべきだと考えます。

カテゴリ:発達

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