「アウシュビッツの反対側」中日新聞視座12.21
2026.01.02

おはようございます。
表題の通り21日付け中日新聞「視座」に、過去の戦争をどのように捉えて、現世代に生かしていくかといった視点で「中央大学教授、目加田 説子 氏」による論説が掲載されました。
ご承知の通りドイツは第二次世界大戦で他国を侵略し、強制収容所でユダヤ人、ポーランド人等一般市民を大量虐殺した負の歴史を持っています。国としてこの過ちを深く反省し、専門家ばかりではなく市民も加わって検証していくことが、同じ轍を踏まない道筋であることを、ドイツ国民はよく理解しており、その様な方法を教育によって次世代に伝える努力を行っているのです。「ナチズム」は選挙と世論が作り出した過ちであることを深く心に留め、こうして教育を受けたドイツ現世代には「ナティスがしたことに責任はない」が、「同じことが起きたら、それは私たちの責任だから」といった考えが広く共有されています。
日本でも今後戦争への舵が切られないとは限りません。現に官邸筋の首相に助言を行う高官が「核は持つべき」等といった無責任な発言があったことが、オフレコ報道によって公開されたことで発覚しました。約束を破るメディアの行動、オフレコだからといって国の威信にかかわる発言を、軽率に行ったしかるべき位置にいる者の浅はかさ、等々日本が戦争に傾く危険は十分にあると考えられます。
そのような時(民主主義の危機)、一日本国民に「物申せる環境」がなければなりません。言論、報道、活動の自由が制限されるような世界になっていれば、一部の人間によって戦争に加担する結果を招くことになるでしょう。ドイツは軍事力を保持していますが、一市民として「おかしい」と感じたときに、いつでも引き返せる仕組みを真剣に考え作り出す努力をしていると思います。日本の現世代、政治家は太平洋戦争で日本人が行った、侵略、虐殺、今なお苦しみが残る集団自決、原爆放射線、特攻、玉砕等について本当に歯止めを利かせられるのでしょうか?
カテゴリ:戦争
熊 パンダ 隣国関係
2026.01.02

おはようございます。
絶滅を防ぐことを目的として、世界各地に貸し出されているパンダちゃん!日本でも契約期間が満了し、中国からお借りしているパンダ、日本で生まれた子パンダも返還が決まっています。多くの日本人の子どもたちにも大人気だったパンダが帰還してしまうことはとても寂しいことですね。何とか再度借りられることを望んでいます。中国とは今がとても大切な時だと思います。パンダが日中をつなぐ架け橋の役割を担ってくれたことを忘れず無駄にしてはならないと思います。【パンダ (panda) は、ネコ目(食肉目)に属するジャイアントパンダ(クマ科)とレッサーパンダ(レッサーパンダ科)の2種の総称。熊猫(シュウマオ)とも。ただし単にパンダといった場合、ジャイアントパンダのことを指すことが多い。ジャイアントパンダとレッサーパンダは食肉目に属しながらともに草食適応を果たした種であるが、Ledje and Arnason(1996a, b)の分子系統解析などにより両者は近縁ではないと結論づけられている。中国を代表する動物だが、生息地は四川省の一部などと狭く、中国全土に生息しているわけではない。】
カテゴリ:生き物・自然・人間
追う 追われる あそびの発達
2025.12.23
追う 追われるのたのしさ役割認識の発達
身体と身体がぶつかり合うことで知る相手の身体の柔らかさ子どもたちの人との関りの世界は、訳もなく追う追われる、押す押される等の動きを行ってみることから、本人なりに意味を見出していくのではないかと思います。「からだがおはなしをする?」などという表現がぴったりくるかもしれません!
特に「追われる」に関しては、最初は追ってくるのが安心できる大人であることが、最も嬉しい出来事となっていますね!とても自然なことで大好きな大人に追いかけれらることが嬉しいのは、「自分と遊んでもらっている」といった安心感?独占欲を満たすにふさわしいやり取りだからだと感じます。
最初は大人が追う役割であったのが、ある程度満足できれば役割が交替、子どもが大人を追いかけます。そして仲間同士に進み、さらに発展すれば自分より小さな子や知らない相手でもルールに従って追いかける、追われることに「楽しさとスリル」を味わえるように心が発達していきます。
今日の写真は、同じ子(1歳児クラス)がステップ「①仲間同士の追う追われる」と「②大きな子に追いかけられる」を体験している場面が生じています。
幼さによって表現される他者を求める心はぎこちないですが、徐々にその気持ちは強く現れてきます。このように様々な行動を起こしてみて、その結果から考えを導き出そうとする様子は、乳幼児期ならではだと思います。
時には仲間との距離が縮まり過ぎることで相手に嫌がられたり、昨日の様に大きい子の所有物を利用しようとすることで制止を受けたりを繰り返しながら、人や物との距離感を少しづつ捉えていくのだと思います。何度伝えても中々理解できない子もいます。しかし長い発達の過程を考えますと、これも一瞬の時間のことだと考えます。
だから子どもの成長速度や質量について他の子と比べてばかりいると、気持ちが萎えてしまいます。子どもは一人ひとり唯一の存在です。生まれてから小学校就学前までは差があって当然、、しかしなぜか学童期になるとほぼ一列に成長がそろってくるようになるものです。身体の大きさこそ違いはありますが、神経質になることではありません。むしろその不安な心が子どもに伝わることがよくない影響を及ぼします。「だいじょうぶ!なんとかなる」この気持ちを忘れず子どもと笑顔で暮らしていけると良いと思います。
カテゴリ:教育
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