子どもたちの世界から学ぶこと
2026.01.12




人、モノがあればそこにはやり取りが生まれます。気に入らないやり取り(取ったとられた)、嬉しいやり取り(してもらった、まってくれた)等々、人間同士は何かと物を通じて、ある時は力づく、成長すれば言葉によって自己を主張し、意見が通らなければ怒ったり泣いたり、譲歩があれば嬉しくなる。そんなことの繰り返しをしていくうちに、自分と相手の満足を得られる状況を見つけだしていくのだと思います。
人間同士は紛争や諍いを解決するために法律や条例を設けました。しかし本来は目に見える形のルールではなく、倫理や道徳、お互いの慮りの中で物事を解決していくことが理想です。人間が人間らしくいられるのは、四角四面に法律に沿う生き方がすべて正しいわけではないと思います。
そんなことを考えていると昨今の大人の世界は、実に非人間的な行動が目立ちます。紛争を武力、圧力によって解決しようとする、縁もゆかりもない相手の財産や命まで奪う極悪犯罪等、悪いモデルを子どもたちに見せているのが、大人?そして世界のリーダーたちの姿だと思います。このような様を子どもたちに見せていくことは、教育以前の問題であることは間違いないですね。
さて、純粋、純朴な子どもたちの世界に立ち返りましょう。ままごとの場面ではお友だちが場所を使っていることに対し、終わるのを待っている子どもの姿があります。何であるのかは定かではありませんが、「物を交換したり、返してあげる」場面が写っています。このような行動は、一緒に暮らしている仲間との暗黙の了解の中で、成り立っている関係性だと感じます。
決して決めつけで相手を判断するのではなく、いつも一緒にいるという安心感のなかで、共に許しあえている関係性が自然に存在しているのが、子どもたちが作り出す世界なのです。この様な人間らしさを大人になるまで守っていかなければなりません。大人の偏見や決めつけ、否定、条件付け、交換条件などを、子どものころから経験していけば、心がねじ曲がることは目に見えています。
子どもたちはいつまでも純粋、純朴でいられるとは言えません。ですが子どもの頃に出会った楽しさや嬉しさ、苦しさや悲しみに出会った時に、大人に優しくしてもらう、手を握ってもらったことで得た安心感は、生涯一人の人間の成長過程における、心の支えとなっていくのです。記憶として場面場面で残っていなくても、「考え方」、「思考特性」として後天的に影響を与え続けていくこととなります。
3歳までは特にこの「養護的関り」が大切です。その後は絶対的安心感で得られた自己肯定感と仲間と共に過ごすことの楽しさを通じて、少しばかりの負の心に負けず、自分の信じた道を歩けるようになっていきます。またその力は教科学習の習得にも影響を与えていきます。
子どもの保育教育は順番が大切です。上記のような順序は尊重しなければなりません。知識技術を先取りした教育は、最終的には心の力が足りないため、どこかで歪が現れます。そうならないように、「今」は子どもたちの生活に、ある程度の時間と中身ある関りを持つべき時だと思います。
カテゴリ:教える・伝える
100歳のマハティール氏が語る
2026.01.12

おはようございます。
100歳になったマハティール氏は、ルック・イースト(東方政策-日本を見本とした経済政策)を掲げ、国内外(ASEAN)で平和と経済振興を進めたマレーシアの元首相です。中日新聞(26.1.1 朝刊6面)には、「戦争は何も解決しない」と題し、防衛力を高める日本に対し何度も軍事力以外の解決策を提言していることを報じています。日本はアメリカ追随から少しづつでも離脱し、自律した国家としての役割を世界に向け発信していくべき時ではないかと思います。人間そのもの、関係性がおかしくなりつつある今の日本だからこそ、しっかりとした見通しを国民に示すべきだと考えます。
また国民も黙っていてはならないはずです。未来を作っていくのは政治家が主体ではなく一市民であるべきです。中島みゆきの「世情」を聴きながら、その時代に生きた自分ではありませんが、激しく国家権力と闘った学生(安保闘争)たちの気概(もちろん暴力は肯定してはなりません)に「学ぶべきあり!」とも感じます。
またトランプ大統領の関税政策や平和に貢献したという理由で、FIFA(国際サッカー連盟)が平和賞を与えたことに対し疑問を投げかけてもいます。スポーツには政治や紛争を持ち込んではいけません。平和の中でスポーツによって力を競い合うことがとても大事でもあり争う国同士の関係改善のきっかけにもなるからです。領有権や内政問題等国が威信をかけていることに対し、軍事力による威嚇、干渉となるような発言等攻撃的になるべきではないとも言っています。
国連、国際司法裁判所、国際刑事裁判所などの機能が働かず、大国は拒否権や力による現状変更を堂々と行い、国際機関は戦争犯罪者に対し逮捕状を発行するなど、自由と平和を守ろうと公平な裁定を行ってはいますが、大国は権威主義や自国第一主義を掲げ身勝手な振舞をしています。
マハティール氏のような良識ある知識人、政治家が発信している内容を、現職にある各国のリーダーは真摯に受け止めるべきです。このまま世界に自国第一、自分優先、排斥や差別、紛争が深まれば第二次大戦の二の舞となってしまいます。権威を持った者たちの良識ある判断と実行力に世界の平和はかかっています。
カテゴリ:政治・国際状況
モミジバフウ っておもしろい!
2026.01.12
街路樹として見かけます
自宅近くの遊歩道の脇で楽しめます
トゲトゲですこし危ないのがいいんです!おはようございます。
自宅近くの遊歩道の脇にあるモミジバフウは、様々な楽しみ方を教えてくれます。落葉する寸前の葉っぱはまるで人型のようにも見えます。そして調べてみると、種は緑色の丸い実が徐々に褐色トゲトゲに変わり「いかつい」風貌に変わる前に、種は強い風に乗って遠くまで運ばれていくようです。同じような風媒花はもみじ(二枚の羽根が分離してもクルクルと回る)でも見られますが、実に子孫を残すための素晴らしい戦略を持ち進化したものです。子孫繁栄はどんな生き物にとっても最優先されるべきことのようです。【紅葉の美しい木で、公園樹、街路樹として多く植えられています。江戸時代に中国中南部、台湾などに自生するフウ楓という植物が渡来しました。フウに似て、北米原産の植物で、葉がモミジのように見えるとか、アメリカから渡来したことなどからの名前です。葉先が5~7裂している姿は、まるでカエデの仲間のように見えますが、フウ科というグループ(従来の分類ではマンサク科)に分類されています。葉の付き方に注目してください。カエデの仲間は同じところから2枚の葉が対生しますが、モミジバフウ(フウも同じ仲間ですが、葉は3裂します)は2枚の葉がずれて互生していますから、確認してみてください。日本へは昭和12(1937)年にアメリカ庭園協会から贈られたという記録が残っています。秋に熟す果実は毬栗みたいと表現されるように、刺に覆われます。刺の隙間に穴が開いて、そこから翼のある種子が風に舞います。発芽率は50~75%との報告がありますが、強剪定されることが多いからでしょうか、所かまわず発芽する姿を見かけることはあまりないようです。クラフトの材料として、人気を集めます。】
さて人間がその必要性を見失いつつある傾向(少子化)にあることは、人類滅亡にも繋がりかねない一大事です。内閣府が日本の少子化について説明していますが(専門調査会-「選択する」未来委員会)、文明化が進むと少子化も進むという論理(英国生活サイト)もあります。【少子化は「豊かさの副作用」である。まず確認しておきたいのは、少子化は決して「貧困」からくる現象ではないということだ。むしろ逆であり、経済的・社会的に豊かになればなるほど出生率は低下するという統計的な傾向がある。イギリスは産業革命の発祥地として知られ、19世紀以降、近代化と都市化を他国に先駆けて経験してきた国である。その中で「子どもは労働力である」という前近代的な価値観から、「子どもは投資対象である」という現代的な価値観へと大きくパラダイムシフトが起きた。子どもの数は「生活のために必要な数」ではなく、「社会的・経済的に許容可能な数」となり、やがて「人生設計の一部」として扱われるようになった。教育水準の向上、女性の社会進出、セクシャル・リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)の確立、そしてライフスタイルの多様化――これらはすべて、文明が進歩する上で望ましい成果であるが、その裏返しとして「子どもを産む理由」が希薄化していったのだ。
少子化という現象は、単なる人口問題ではなく、人間という存在そのものを問い直す鏡なのかもしれない。「人間とは何か?」「なぜ子どもを持つのか?」「文明とは進化なのか、退化なのか?」こうした問いに、種としての本能と、文明的理性の両面から向き合うことこそが、これからの人類が選ぶべき知的態度である。】
西洋文化は人、物事を現実的に捉えようとします。しかし東洋思想はそもそも「命」とはその意義を見つけ出そうとするものではなく、天地の創造であり「意義を問うべき対象ではない」【何故という疑惑や打算を入れる余地のない第一原則である(酔古堂剣掃-立命の解釈)】と述べられている。「どちらが・・・」という問題でないとは思うが、神秘な存在、人間そのものが小宇宙であるという考えは腑に落ちる。
カテゴリ:生き物・自然・人間
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