お知らせ

大人のあるべき姿

2025.07.12

子どもたちの発達の差異は、偶然上手くかみ合う時もあればそうではない時もあります。進んでいる子にとっては「ものたりなさ」が残ります。まだ手前の発達段階の子にとっては、自分の楽しさ以上を求めることはありません。

これらの食い違いが集団には生じることが常のため、他クラスの子と交流することが有効になってきます。月齢が高い低いからと言って、必ずしも異なる発達段階ではないため、混ざり合うことによって「しっくりする」関係性も有りだと思います。

これは何も子どもたちだけの世界に限ったことではなく、何となく相性が合うおばあちゃんと乳児さんといった関係性を見つけ出す努力も必要だと思います。だからこそ様々な波長を発している、不特定多数との接点を持っていくことで、何かしら唯一の関係性をつくることも可能になってくるのです。

だから子どもたちには、そのような機会を積極的に作っていきたいと考えます。子ども自身は「男の人が苦手」、「賑やかの人が好き、苦手」等々、人に対しても個々異なる感覚を持っています。そんな相性に引き合わせていくことも、大人の環境準備と言えるのではないでしょうか?

人生は好きもあれば嫌いもある、良いもあれば悪いもある、上もあれば下もある、このような不変の2局的対立を避けることはできないのです。であるならば衝撃的、刺激的なものは避けるにしても、できるだけ様々に出会わせてあげたいものです。

モノはと言えば、タライに入った水の感触、シャワーヘッドをもって方々に水かけ、柔らかなぬいぐるみの感触、様々な長さや形を持つすくうための道具、人に対しては、おすもうさん、心身に障がいを持っている人、高齢者、外国の人・・・等々、様々な多様性の中で生活している人々に出会うことは、人生を豊かにそして自身の能力を伸ばしていく力にもなっていくはずです。

このような機会を逃してはなりません。そのためには、大人自身が様々なことに興味を持ち生活している背中を見せていくべきです。子どもは大好きなご家族、保育者、尊敬する人の背中を見て育ちます。大人自身が好き嫌いを超え、しっかりと大地を踏み締めていくことが、結局は子どものたくましい成長にもつながっているのです。

カテゴリ:教育

人が人間になるために必要な経験!

2025.07.12

子どもたちの世界は人や物との対面とお互いの作用がもたらす行動の結果に溢れています。つまりは「なかまの遊びを観て」、「興味があれば横取り(言葉は良くありません、行動のみで解釈すれば)し」、「取り合い」、「感情を吐露する」過程が必ずあるのです。

この過程を大人は大切にしていく必要があると思います。「ケンカはだめ!」、「ともだちとはなかよくね!」、大人はよく言います。そういうあなたは、子どもの頃けんかや言い争い、人とぶつかることを避けてきましたか?そんなはずはないと思います。

人間は争い、傷つき、嘲笑もされ、悔しい思いを味わい大きく成長していきます。ただし、自己を卑下したり他者を陥れたリ、ずるさを持つような人間にならぬよう、周りの大人は気を付けなければなりません。

そのことは発達の年齢によって「方法」を変えなければならないことも示しています。今の乳幼児期はとにかく欲求を受けとめ、心が満足していくようにしなければなりません。しかし大人から観て、これは「やり過ぎだ」、「人や物を大きく傷つける」と考えれば、諫めることも必要になってきます。

ただしその諫め方は一呼吸置き行うことが肝心です。感情任せに怒ってはいけません。日本人は昔から幼い子どもの諫め方や、道徳に対し子ども心が「クシャ!」とつぶれないような方法を行ってきました。それがわらべ歌などの文化的財産です。

「あそばせうた」、「いさめのことばかけ」、「よろこびをわかつうた」など、種類や場面に応じた「簡単なうた」に合わせた歌いかけ、スキンシップ、表情の表現、言葉のイントネーション等<によって豊かに教え導いてきたのです。古い言葉を使った同じ方法が必要だとは言いません。ただ「子ども心をどの様に扱ってきたか」これは学ぶべき点であることを強くお伝えしたいのです。

今週私は保育者を養成する学校を12校訪問しました。それは求人活動ばかりではなく、昨今の学生像、学校の姿勢を知り、人と会い対話することで様々な情報や考え方を自分自身が学ぶことでもあるのです。

キャリア担当者のお話し内容は、ここ5年くらいで現れている学生さんの心の弱さと、保護者の出過ぎた学校への苦情がどの学校でも聞かれです。一言でいえば「親の過干渉」が目立つのです。二十歳前後の青年をまるで学童期のような扱いをしている「親」の姿が浮かび上がっています。これは深刻です。青年が自立できない要因を大人が作っているに等しいからです。

中途半端ですが、この続きは必ず書きます。しばらくお待ちください。・・・・・・

すみません! 続きです!なぜ親が子どもの学生生活、就職活動にまで口出しするのでしょうか?このことは親自身が「子離れ」できていないこと、その干渉を受けた子どもの「心のもろさ」やふりかかった困難に対する「免疫力」が育たない弊害を生み出します。学校はモラトリアム期間として自己を試し「失敗と成功」、「挫折と達成」、「希望と絶望」を体験する機会であり、真に自立した大人になるための大切な挑戦期間と理解し自己解決を試していかなければならないのです。

これらの権利が一番身近な家族に保障されていない実態があらわになっているのです。人間の育ち、ましてや保育者の養成機関の学生におけるこの状況は危機的な現象と受け止めます。

私はカリヨンは元より蟹江町、そして全国の養成機関に「自律、自立に挑戦する心がある職員」が育っていく必要があると感じます。昨今の幼児施設、小中学校における教職者における盗撮などのとんでもない事件に、育つことを恐れ自己の欲求を解消しようとする「幼い社会人」の存在に人間社会の堕落を感じざるを得ません。しかし「希望」を持ち、関わる人々に伝え、啓蒙していくことの大切さに改めて立ち戻らねばと考える訪問機会となりました。

カテゴリ:教育

「農業を基幹産業に」内田 樹 氏 【視座】

2025.07.12

altスマート農業は本当に日本を救うのか?

おはようございます。
表題の論考が6日付中日新聞「視座」内田 樹 氏によって論説された。農業は基幹産業にはなりえないが、国の存続は「自給自足」が原則という、極めて辛口の国策批判だと感じました。日本はエネルギー、食料については自給率がとても低い、医療についてはかろうじて自給しているのが現状である。
今更農業従事者が増えることは期待できず、また農業の基盤である山、川、海、湖沼などをさんざん破壊し、維持(生態系の維持)に資金を投じてこなかったのだから、起こるべくして起きるであろう危機は他人ごとではないのではないか。それに比べ先進国ではフランスは農業従事者の所得の80%、アメリカでは50%を政府が補助金として支給している。農業従事者に生態系維持を有償で任せ、日本はボランティアである。農業が廃るのは眼に見えている。
現在日本はアメリカが発動する自動車関連の関税対応に四苦八苦しているが、食料となるとそれ以上に深刻な事態を招きかねない。自給率が低い日本は諸外国によって食糧封鎖を受ければ、真っ先に飢餓の危機に見舞われることが予想される。「農業を基幹産業に」と訴える内田氏自身が、それはあり得ないと考えているが、「旗印」としなければ国民は飢える、このような事態を招かないためにも「自給自足」を目指すほかないと思いを持つ重要性に心は揺れる。

カテゴリ:生き物・自然・人間

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