日本とアメリカの関係
2026.03.29


おはようございます。
日米首脳会談が終了し、思ったほどトランプ氏の無茶ぶりがなかったにせよ、「したたかな外交」の意味が親密さを前面に表現した方法だけ(もちろん日本の法律で自衛隊艦船を派遣できないことを伝えたことは評価できますが)でうまくいったと思うのは安易だと感じます。イランは日本との友好関係を保とうとする姿勢を見せています(ホルムズ海峡の日本タンカー通過容認-アラグチ外相)。高市氏はイランの湾岸諸国に対する攻撃やホルムズ海峡封鎖を批判し、アメリカの武力行使、世界秩序と国際法違反については何ら触れていません。どう考えても二枚舌を使い、トランプ氏の面子を考えた言動で乗り切ろうとしているとしか見えません。「したたかな外交」の真意はいったいどこにあるのでしょうか?
春を迎え太田裕美の「木綿のハンカチーフ」で、都会に就職した恋人が、自分を忘れ色に染まらないことを願うのとはわけが違うかもしれませんが、戦後以来のアメリカとの関係性を、今後どの様に捉え独立国としての考えを貫いていくのか、イランとの文化的交流を大切にしながら、核や軍事力行使を非難するならば、当然大国であろうが、同盟国であろうが、公平に意見表明していくことが、アメリカから民主主義を伝えてもらった日本のなすべき仕事だと思います。世界の警察を止めたアメリカが、今は武力で他国を制圧する「ならずもの」のように見えてきます。
カテゴリ:政治・国際状況
素材や用具へ目をみはる子どもの力!
2026.03.21

子どもたちが目を見張る力は凄いものです!昨日はなかった押車、レモンの葉っぱ、小枝などを目ざとく見つけ、遊び道具として使っています。もちろんドングリやカリン、松かさ、葉っぱ、小枝などの自然物、道具も、新しいものと同様に様々な使い方を試し、新たな発見をしている様子も見られます。
それぞれの子どもたちには、自分の好きな遊び方があるようです。その自分らしさを追求していくことで、今の自分自身の発達を伸ばしていると感じます。「すきこそもののじょうずなれ」という言葉があります。まさに子どもたちは自分の「好き」から、自らの力を伸ばしているのです。
なわ跳び縄を樹木に巻き付け回そうとしています。以前保育士とたんぽぽさんが行っていたあそびを、自分でもやりたいと奮闘しているのだと思います。2台の車にまたがり少し欲張りな遊び方をしています。どっちにも乗りたいといった気持ちが、新たな乗り方へと導いているかのようです。
シャボン玉が飛んでくると、なぜだか「パチン!」と手でたたきたくなりますね、これは子どもも大人も同じです。不思議に輝くきれいなシャボン玉、本能的に捕まえたい、パチンしたいと体が動きます。なんだか猫がネコじゃらしやボールに反応し、追いかけたり手で押さえようとしていることに似ていますね。
同じモノをたくさん集めて心が嬉しくなったり、なかまと同じことをすることで喜びを感じたりすることも、やはり人間の心の奥底にある本能が、その様にさせているのではないかと考えます。人間はそんな遊び心を持った存在であり、だから様々な知恵も育ち手先指先、全身が連動して物事を楽しみながら、自らの力としていくことが出来るように「神?」から与えられた動物なのでしょうか?
このような行動は人間に「欲」があるからです。欲は使いようによっては、人間社会のプラスになっていきますが、悪用されると人間同士の繋がりを破壊したり、貧困や犯罪を助長してしまいます。ほどほどにすることは「足るを知る」につながります。そして「たるをしる」は「足を使う」等の意味にも使われます。面倒がらずに自らの足を使って活動することこそ、人間の使命でもあります。
楽しそうだとすぐに行動する子どもたちの姿は、私たち大人に「自分の身体」、「自分の声」、「自分の考え」をしっかりと伝えることの重要性を伝える存在だと思える時があります。子どもはある意味「小仏様」のような存在であると思います。子どもは大人の生き写しです。親として社会人として子どもたちには恥ずかしくない生き方を背中で見せていきたいですね。
カテゴリ:教育
人工物 自然物 教育福祉行政
2026.03.21

人工物は意図的に形の大きさや重さを調整することによって、画一的な性質を用意することが可能となります。そのことは子どもたちの様々な動作や扱い方を引き出すことに役立っています。
その代表的な教材が「フレーベルの恩物」でもあります。幼児教育のメソッドは様々なものがありますが、恩物には同じ、異なる形、重さ、色、状態(つるす・はめる・のせる・・・・)があるため、様々な力を引き出すことを狙って作られています。もちろん方法や手順は決められているため、勝手な使い方が推奨されているわけではありません。しっかりとした考えのもとで扱うことも必要だと思います。
自然物にそのような決まりはありません。むしろ不定形で性質が異なるから、発想や指先の発達が伴っていなければ、ただの落ちているモノとしか認識できないでしょう。しかし幼い子どもたちほど、一つの物体を「見立て」様々な使い方でおもしろさを発見できる五感があることも認められます。
今日の写真では同じ大きさの木の積み木(実はシールでしたか?色々な情報も表現されています)をがんばって積み上げている姿があります。比較的この年齢でもチャレンジすることによって、高く積み上げることに挑戦できる形状と数があるからこの遊びに発展します。
隣で遊んでいる子は、硬質ウレタンの積み木を同じように積み上げていくのですが、軽くて小さな素材のため積み上げていくには相当な注意力が必要となります。同じ遊びを異なる素材を使うことによって、それぞれの性質の違い、やりやすさやりにくさなどをキャッチしていくことが出来ます。
だから異なる素材を同じ机の上で隣同士で行うことも、「意図的」、「計画的」に行っているのであれば、素晴らしい教育場面と言えます。偶然にもこのような場が出来たとしても、子どもにとってはとても面白い環境と言えるのです。
隣同士で遊んでいれば当然気になってきます。集団で遊ぶ意義はこのような場面にこそ発揮されるのです。家庭において親子で生活している環境では起こりにくいことです。このようなことがあるからこそ、国が推奨している「こども誰でも通園制度」は子どもの育ちにおいて意味ある制度となることが出来ます。
国がこの制度を薦めている理由は、親だけではできない「子どものより良い育ち」を作り出す必要性が、現代子育て社会にはあると考えているからです。また一人で子育てをしていると、思いつめたり、うつ状態になってしまうこともあるのが、現代人のつながりの少なさにも言えることです。
この制度が現代子育て社会に馴染んでいくためには、親子の実情や保育現場の実態、親としての知識と人間関係の豊かさ等を作り直さなければ、制度ありきの不完全燃焼を起こしてしまいます。じっくりゆっくりこの制度の良さが引き出されるように、国、親、保育者側がすり合わせながら、健やかな育ちを子ども自身が遂げられるように、制度設計の変更を重ねていかなければならないと考えます。
カテゴリ:教育
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