お知らせ

体験と表現活動の関係

2025.09.15

alt

指先の操作は中々難しいですが、みんな集中してよく頑張っています!集中できる時間は好みや発達に左右されますので、個人差があります。それはそれでよいのです!

それぞれの考え方で取り組むことが出来ればよいのではないでしょうか?得意な子は随分長い時間行うことが出来ます。このような取り組みは「集中する」、「指先を自分が使った結果を得る」という活動ですので、にこにこ笑いながら楽しむというよりも、思った結果を得るために頑張る気持ちの満足を求める活動です。どの子も真剣に素材と向き合っていますよね!

終わってから自分の成果を自分で満足するを、まずは味わってもらいたいものです。うまいとかの評価ではなく、「がんばって貼れたね」、「おもしろい形だね」、「あかやあおやきいろ、沢山のシールを貼りました、きれいだね!」などの具体的な言葉で様子を伝えてあげると、何がよかったのかを子どもなりに感じ取ることもできるのではないでしょうか?

さらにお話しすると、今日の活動が体験に基づくものであれば、なお素晴らしかっただろうなと振り返ります。もしも昨日園庭で見た虫、収穫した野菜、葉っぱの模様や形が台紙に書いてあったり、色画用紙が虫や昆虫の形であれば、もっともっと子どもの心の中はざわついていたのでは?と考えてしまいます。

子どもも大人も経験(見る聞く触る)を通して感動を得たことは、強烈に心に残っているものです。それは「絵本をみる」であっても良いのです。言葉の表現が未熟でも、その思いを伝える手段は、造形や描画などの文化的活動の表現の中にもたくさんあるはずです。

言葉にならない心の感動を、工作や造形はきっと叶えてくれると思います。たとえ大人が見て何を描いているのか分からなくても、本人が心の底から満足できていれば、その力は次へとつながり、「もっともっと・・・」といった意欲の発現へと導かれていくことでしょう。

私たち大人は子どもたちに何を望むのか、どんな力の育ちを期待しているのか?その道筋をよく考えなければなりません。子どもにとっての表現とは、感動体験があってこそ「表現しようとする意欲」につながるのです。まずは「経験ありき!」の道筋を計画する、もしくはつなげることが、子どもの「やりたい」をさらに伸ばしていくことを私たち大人は心に持っておきたいものです。

カテゴリ:教育

第四十四候「鶺鴒鳴 (せきれいなく)」 9/12~9/16頃

2025.09.15

alt

おはようございます。
【七十二候が白露の次候に変わり、セキレイが鳴き始める頃となりました。「チチッチチッ」と鈴のように高い声を放ちながら、秋の空をさわやかに飛んでいくセキレイ。水辺を好む鳥ですが、民家の軒下などにも巣を作るので、その鳴き声だけでも聞いたことがある人は多いはず。セキレイは、長い尾が特徴のスマートな小鳥で、羽色は主に「背黒・白・黄」の3種類が見られ、それぞれセグロセキレイ・ハクセキレイ・キセキレイの名が付けられています。尾を上下に振り、地面を叩くように歩く様子から、「石叩き」の異名も。また、日本神話の伊弉諾 (イザナギ) と伊弉冉 (イザナミ) に男女の交わりを教えたことから、「恋教え鳥」とも呼ばれます。こうした伝説から、セキレイは古来より夫婦円満の御神鳥として崇められ、結婚の儀にも関係が深く、皇室の成婚時には新床にセキレイの飾りが置かれてきたそうです。】
alt
宮澤賢治の童話に「めくらぶどうと虹《「めくらぶどう」という、ちょっと違和感のある名称の実は、全盲の人の眼球の色に似ているからとつけられた野葡萄の俗称だということです。その実の色を見ていると、虹の淡い色に近しいものを感じました。めくらぶどうの不自由さと、虹のはかなさが擬人化されて語り合うのですから、とても神秘的な世界です。》」というお話があります。

【抜粋 もずが、まるで音譜(おんぷ)をばらばらにしてふりまいたように飛(と)んで来て、みんな一度(いちど)に、銀(ぎん)のすすきの穂(ほ)にとまりました。】自然を音としてとらえ、季節の変化を捉えていた賢治さん、秋がやってきて自然の中に様々を見つけられる心を持ちたいと思います。そんな変化を見つめていると、子ども心にも少し近づけると思います。

カテゴリ:生き物・自然・人間

皆既月食

2025.09.15

alt

おはようございます。
【満月が地球の影に覆われて赤黒く輝く「皆既月食」が8日午前2時半ごろから全国各地で見られました。「皆既月食」は、太陽と地球と月が一直線に並び、満月が地球の影に完全に覆われる現象です。国立天文台によりますと、8日の午前1時27分ごろから南西の空にある月が欠け始め、午前2時30分ごろ、月全体が地球の影に入り皆既月食の状態になります。皆既月食になると、月は地球の大気で屈折した太陽の赤い光があたり、「赤銅色」と呼ばれる独特の赤黒い色に輝いて見えます。この状態は午前3時53分ごろまでの間、1時間20分余り続き、午前4時57分ごろには元の満月に戻るということです。】
皆既月食、日食、流れ星等々現代では科学的見地の元、その仕組みが明らかになっており、毎年あるいは数年に一度の天体ショーとして楽しむ機会となっています。しかしほんの百年前には、太陽や月と言った日常当たり前に観ている天体が、黒くなる、赤銅色となることは、世の中の天変地異を予感させるたいへん恐ろしい現象でした。人々は太陽暦(太陽の動きで暦をつくる)や太陰暦(月の満ち欠けで暦を作る)によって、季節や農作物の適期を知り種まきなどの時期を決めてきました。毎年変わらないことが大切であったため、この奇怪な現象は生きていくうえで脅威だったに違いありません。
宇宙や自然という無限がもたらす人間生活の幸不幸は、人間の力ではどうにもならないことがいまだに存在しています。科学技術がどこまで進歩したとしても、「怖れを抱く心(畏怖)」を人間は忘れてはならないと思います。驕り、慢心する心を戒め自然に逆らうことなく生きていくことが、この世に生を受けた生き物の定めでもあります。

カテゴリ:生き物・自然・人間

記事検索

RSSフィード

- CafeLog -