「子どもの日」子どもは迷惑ですか?(新聞記事より)
2025.05.10

おはようございます。
保育園に勤めているためか、幼い子どもに対し「かわいい」、「無邪気」、「楽しい」といった感情が優先しています。世間では「子どもの声がうるさい」と、保育園の建設反対運動が起きる、公園が閉鎖されるといった事態も生じているようです。確かに「音」といった観点でとらえると、騒音規制法の対象となるプレス工場の規制値を超えるようです(5.5中日 考える広場 橋本典久 氏)。苦情の主の問題よりも、隣近所の付きあいが二分の一以下で「騒音への不安」が非常に高くなる傾向にあり、「孤独感」との因果関係が強いのです。多世代や隣近所の交流が遮断されてしまう状況は、人間にとって「人と人との関わりで生きる」機会が喪失しているともいえるのです。
確かに声を掛け合い気を遣いながら生活していくことは、煩わしい時もありますが、寅さん流に言えば「それをいっちゃーおしめーよ!」になってしまうのです。「子持ち様(職場で育児のため仕事を減らすことを認められること等)」と揶揄され、子育てをしていない職員からは「子育て罰(子育てのため収入が減る、キャリアの中断等の不利益)」だと不満を持たれる。未婚率が増加し少数派となった子育て家庭は、負担を強いられ寛容さを欠いた人々から疎外されることも生じているのです。
なぜこの様な日本になってしまったのでしょうか?「子ども」は今後も人間社会を継続していくための「宝」でなくてはなりません。そのために必要な子育てや、保育施設、公園が劣悪な環境に追い込まれてしまっては、「子どもの権利」が保障されないばかりか、人類が継続していくことすらできなくなります。
「人類滅亡」は簡単なことです。少子化が進み、挙句は子どもを産まない選択をすることが大半を占めることによって、起きる可能性は十分あると思います。人間が人間である所以を保っていけるように、AI、スマフォもほどほどに活用するにとどめ、自然環境の体験、アナログな生活、農作物生産体験等々、汗水たらして多くの世代と暮らす世界を持続、再発見していく必要を感じています。
カテゴリ:文明社会
【戦後80年】に考える
2025.05.10


おはようございます。
5月4日の中日新聞社説に《「配給された自由」いま》と題した論説が掲載されました。1945年に文芸評論家の河上徹太郎氏が寄稿した内容について触れています。この論説は前日の憲法記念日を経て真摯に「自由」について考える、大変良い機会となったと思います。
3日の中日新聞1面には、新憲法を国会で成立させた立役者である金森徳次郎(1959没 名古屋出身)の真意があります。「戦争放棄を定めた9条を2項に分けた信念と、将来的な国民的議論への期待がにじむ。・・・抜粋【日本国憲法 第9条(にほんこく(にっぽんこく)けんぽう だい9じょう)は、日本国憲法の条文の一つ。憲法前文とともに三大原則の一つである平和主義を規定しており、この条文だけで憲法の第2章「戦争の放棄」を構成する。この条文は、憲法第9条第1項の内容である「戦争の放棄」(戦争放棄)、憲法第9条第2項前段の内容である「戦力の不保持」(戦力不保持)、憲法第9条第2項後段の内容である「交戦権の否認」の3つの規範的要素から構成されている。】」
1項は「侵略戦争をやらないという永久不磨の規定」としたが、2項は将来の国際情勢をにらみ、議論を国民が判断できる余地を残す目的を含むように金森氏の元考えられていた。にもかかわらずその後の鳩山政権、安倍晋三政権によって国民の議論がないまま、解釈の変更や現状追認が行われてきたことに恐ろしさを感じずにはいられません。国会が国民の代表者であったとしても、この過程を無視した法案の成立は断固阻止すべきです。
上記を踏まえ「戦後の自由」について私たちは考えていくべきです。戦後日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争で目の前の貧困のみを解決し、裕福な生活を目指すことばかりに慢心してきました。若者が、そして三島由紀夫が身を賭して(割腹自殺)我が国の加害性を問うてきましたが、国民は思想や行動を変えることなく現代に至っています。その結果相互扶助等の精神性は影を潜め、身勝手な個の主張ばかりを拡散するSNS、偽情報に振り回される現代人、分断社会で起こる孤立、差別に起因する事件が多発する世の中になってしまっているのではないでしょうか?今こそ過去を遡り、日本人自らが選択してきた道に責任をもって他人事ではなくひとり一人が平和や他国との関係性、道義的個人、国の在り方を考えた発信を心がけなければなりません。「少子化」、「高齢社会」、「環境問題」、「文明化」等が抱える問題点を洗い直し、真に正しい対応を考え実践しなければ、日本、世界、地球を自らの所業で滅ぼすこととなるでしょう。
カテゴリ:戦争
「してもらう」が先!の乳児期
2025.05.05

幼い頃は「大人にしてもらう・・・」ことがとても大切です。子どもは「依存と反抗」を繰り返し自己を伸ばしていきます。ですから先に何かをしてもらわなければ、満足し自分自身が納得した上で活動を切り替えることが出来ません。「欲求の充足」を優先することは我がままではありません。この時期特有の発達の特徴と考える必要があります。
ですが何度もお話ししていますが、自他の身に危険がある場合、他者に嫌な思いをさせる場合、大勢の人がいる公共の場や物、倫理的にしてはならないことなどの場合は別です。子どもの権利の保障は守っていくことが大切ですが、制止する場面ももちろんあるのです。緊急性の度合いによって方法は変わります。
その際もできるだけ子どもの言い分を先によく聞いてあげることが大切です。また、初めてのことや説明してなかったことなどの時は、特に丁寧に受け止め分かるように理由をお話ししてあげてほしいです。たとえその時分からなくても信頼のおける関係性があれば、なんとなく「してはいけなかった!」と捉えられる時が来ます。感情的に恐怖感を植え付ける叱り方は、力が逆転したときに屈折した形となって身に降りかかります。
「してもらう・・・」はたとえ短い時間でも「ギュッと抱きしめてもらう」、「優しく受け止められる表情や言葉」、「絵本や歌を一緒に歌う」、「スキンシップを伴う触れ合い遊び」、「行動の理由をじっくりと聞いてもらう」等の愛情が根本にある大人の言動なのです。
その思いや満足を聴いてもらえたこと、一緒に汗だくになって遊んでもらったことで十分満足することで、初めて「一人の世界(ひとり遊び)」が没頭できる瞬間へと作り上げられていきます。今日の写真で言えば、お話しをしてもらったからこそ、ブロックに集中し、好きなブロックで遊び時間を与えられたからこそ、ペン先に集中できるのです。
そして集中し、緊張感を持続した時間は、傘袋ロケット、新聞遊びで十分体を動かすことによって子どもの心の中で昇華していきます。この緩急、リズミカルな過ごし方が、雨の日等気候が悪く外で活動ができない時に必要な保育、育児方法でもあります。
子どもたちの心の中を覗いてみると、少しづつ「○○したいのだ!」といった心の叫びが聞こえるようになっていきます。幼さはそのような大人の寄り添いを待っているとも言えます。タイミングよく「楽しみ」が目の前にやってくれば、スムースに自分の心と体を載せることが出来るのです。
カテゴリ:子育て