子どもの目線!
2025.06.01

子どもたちの思うままの行動には心から驚き嬉しくもなります!私たち大人が「ここであそぶ?」と思うような場所(園庭の端のの段差)を巧みに利用する力を元々持ち合わせているのが子どもです。便宜上物をひっかける場所をDIYで作っても(もちろん保育園の写真、道具箱横のフックは計算し設置したものです。)、子どもたちは「ひっかける」そのものの行為を遊びとしてとらえているのです。
ですが大人が何もせず放っておけばその突起物は、子どもが気づいて利用するものとしては遊びが発展していきません。ところが一か所でも何かが吊るされていれば、子どもたちが認識しやすくなリ、次々と穴の開いている物をもってきてひっかけようとするのです。段差も同じです草を刈らず放置すれば、まずは段差を視認できず、踏み外すことによってケガに繋がります。
ですが、見えるように端だけでも草刈りをしておけば、安全であるばかりか子どもはあそび場に変化させてしまうのです。子どもは隙間が大好きです。そのことで事故も起こっています。なぜ隙間が好きなのでしょう?「はいってみたくなる!」これ以外にありません。でしたらその場所を安全な場所にしておくことが大人ができる環境設定なのです。
これを私は「環境準備」、「人的配慮」と考えています。子どもたちの発想、特に乳幼児期についてはこのような「仕掛け」を用意しておくこと、できれば「視覚」に訴えていく必要があります。子どもが気づけばあとは見守ればよいのです。大人が教え伝えることなど何もありません。何かに利用しようとする発想力は子どもの方が長けていることも多々あるのです。
この仕掛けの目的は?もちろん手指を何度も使い、全身をコントロール(背伸びをする・車から座った状態で手を伸ばす等)して身体能力を身につけていくこと、この穴とフックの大きさは?等の大きさの認識、諦めずに何度も挑戦しようとする心の強さを身につけていくために作り、そして子どもたちが園庭にやってくる前に吊るしておくことで「気づき」を狙った環境設定なのです。計算をすることが保育の神髄とも言えます。
子どもたちが環境のどんな面白さに「気づき」、「働きかけているか」を読み取る力を保育者や教育者は持つ必要があります。そのことが手に取るように理解出る時、子どもを心と身体の両面から支援できる方法は必ず見つかるのです。何となく過ごしていては、子どもの素晴らしい発達に対する希求を知ることはできません。
カテゴリ:発達
トランプ政権が招く不確実性 ハーバード大学問題
2025.06.01


おはようございます。
トランプ政権は思想的な面においても、独善的政策をちらつかせ世界の分断を招いている様です。就任前から相手を試すような発言が目立つ大統領、グリーンランド問題から昨今ではカナダを属国とするような発言もしています。カナダ国民はナショナリズムを刺激され、アメリカとの確執を持ち始めてもいます。一国の大統領が国際問題になりかねない発言を連発することは、今まで世界のリーダーシップを担ってきた国だからこそ恐ろしく、また影響力も大きいと思います。いったいいつまでこのような分断を推し進めるような方法がつ続くのでしょうか?不安を感じます。
この様な分断を招きかねない考えは、自国アメリカにも及びとうとうハーバード大学の留学生を、「反ユダヤ主義」、「極左」、「中国共産党との癒着」と決めつけ、留学資格の再審査や補助金の打ち切りなど、閉鎖的な施策が発動され始めています。また大学内の頭脳他国流出(教授のカナダ転籍等)が進行しつつあります。デモ規制などの方針を策定したコロンビア大学と対照的です。
「自由と平等」を建国の礎としてきたアメリカは、いったいこの先どこへ向かおうとしているのでしょうか?自由の象徴である「星条旗」、「自由の女神」の元、強いアメリカが方向違いの分断と挑発を進める悪の大国となっていかないように願うばかりです。
カテゴリ:政治・国際状況
大の里 快進撃!
2025.06.01


おはようございます。
大関「大の里」が歴代横綱昇進者の最短記録を塗り替えました。昨今アメリカ大リーグの若手日本人選手の活躍が目覚ましいですが、野球ばかりではなくチームスポーツから個人競技まで目覚ましい結果を出し、世界の選手に並ぶ若い力が育ってきていると思います。食や鍛え上げる環境などすべてが恵まれているからだとも言えます。
しかし、大の里、大谷、佐々木等の選手は共に能登、東北の出身であり、被災した人々の希望も背負っています。環境が恵まれているだけではありません。心の中に「人を励ます」、「強い奉仕の心」が存在していなければ、このような偉業は達成できないと感じます。
人は自己の力だけで上り詰めていけるのではないと思います。「運」、「タイミング」等がうまくかみ合うためには、日頃からの努力と、強い他者への思いも育っていなければ、千載一遇のチャンスを生かせるものでもないはずです。起こるべくして起きた事実は、人間が発する「気」や「天」をも動かす力を時に発揮するものです。理屈では表現できない「奇跡」のような出来事は、本人の努力はもとより、様々な力が動いての結果であるように思えてなりません。
カテゴリ:スポーツ