お知らせ

雨の日曜日

2025.11.22

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おはようございます。
雨の日曜日、ほぼ1日2人の孫と過ごしました。お昼前にやってきた兄妹の兄と遊ぶのが私の主な役割です。妹は最近ようやく食事や抱っこに応じるようになり、泣き続けることもなくなってきました。食事がてら近くのイオンで楽しく過ごそうと考え向かったのですが、どこの家族も考えることは同じようで駐車場、フードコートも混雑です。それでも早めであったので食事を済ませ、電気屋さんのおもちゃコーナー(トミカ)でひとしきり遊び、次はアミューズメントコーナーでモグラたたき、アンパンマンの乗り物で楽しみました。その後帰宅し妹はお昼寝できましたが、兄は寝ることができずドーナツを食べ少しテレビ視聴です。気持ちは遊びたくて仕方ないので興奮気味なのだと思います。規則的な生活習慣がなかなか持続できないのが子ども時代でもあるため、少しづつ自分自身で会得していくよりほかないのだと思います。まあ何でも言うことを聞くいい子よりも、多少はみ出しても元気よく、子どもらしさを保ち明るく生活していってほしいと願います。

カテゴリ:子育て

藤丸KIZUNAマルシェ

2025.11.09







おはようございます。
2日に藤丸KIZUNAマルシェに出店いたしました。たくさんの親子連れ、小学生、卒園生親子さんにもお会いすることができ、なごやかな時間を過ごすことができました。藤丸団地の秋祭りがスタートだそうですが、60周年を迎えることもあり横江町長もお祝いを伝える為来園しました。形こそ変わりましたが、自治会の高齢者の皆様と若い家族、子どもたちが共に過ごすことが可能な場所(小さなコミュニティー 町長弁)、時間を提供されていることに素晴らしさを感じます。長らく地域を守り会を運営されてきた皆様と、新たにマルシェとして会を運営していく皆さまとの間には、様々な乗り越えるべき食い違いがあったようですが、何とか収めながら持続しておられることに、ご苦労と思いの深さを感じます。
この様な交流の場が、これからも長く続いていくことを願わずにはいられません。確かに考え方は時代に沿い変わっていく必要もあると思います。変わらないことは地域の皆様の交流の場になっているという事実です。残念ながら幼保施設で参加しているのはカリヨンのみです。様々な催しが集客、園児募集、販売のためだけが目的ではなく、「交流」と「地域活性化」、「孤立化防止」などの目的をもって開催されることを望みます。私たちのコーナーは相変わらず「独楽回し」、「ボーリング」、「輪投げ」、「パズル」、「動くおもちゃ工作(ブーメラン・木登りおもちゃ)」、「・・・・」等々、もちろん「あそび」が中心です。楽しく会話し子育ての労を労い、遊ぶ笑顔の瞬間を作り出すことを大切にしています。
たまたま本園保護者の方がこの会を主宰することになり、お誘いをいただいたことがご縁で、すでに3年?参加しています。今回会った卒園生さんは小学校2年生になっていました。お母様の言葉「あの頃(0,1,2歳児)悩んだことが今は懐かしいです!」、「丁寧な支援に感謝しています!」このような宝のお言葉をいただくことが誇りです。

カテゴリ:地域の皆様へ!

特定の二人 自然  

2025.11.09













行き当たりばったりに見える子どもたちの行動も、実はそれなりに意味があり、その道程を追っていくとおもしろさが見えてくることもあります。もちろん本当の思い付きでそれ以上あそびが膨らまないことも多々ありますが・・・・。

とにかく思った通り自分の身体と頭をフル回転させながら、行動の結果で考え直していることは確かだと思います。今日の写真を見ても所々にそんな様子がうかがえます。

例えばトラックに花りんを積みおもむろに車を走らせますが、どこっていう目的地や「こうしたい」という目的はなかったと思います。ですが頭の中には映像や実際にダンプカーが、土砂を満載した荷台を持ち上げ落とす場面を記憶しているのか、その様子を再現したい気持ちがあるのだと想像します。

砂場で型に詰められた砂は、きっとたこ焼きか何かしらお店で売られるものなのでしょうか?だからこそプーさんハウスをお店に見立てお店屋さんを楽しもうとしているのかもしれません。その事を実感するために、砂場ではなくプーさんハウスである必要があったと思います。

ともだちと二人で手をつないでいる姿(特定の2人)は、右手(利き手)であるいは仲間を自分の右側に置きたいのか、決まった形を作ろうとしています。「こうでなければ」といった自分中心の視方ですが、お互いがその行動を認め合えるからこそ「特定の仲間同士」と言えると思います。他者を受け入れていく初歩の段階は、この「特別な2人(気が合う、許しあえる関係性)」でないと育たないものがあるのです。

そしてバッタ、カリン、キンモクセイ等の様々な自然を通じ、命に触れていく機会がたくさん写し出されています。私たち人間ももちろん生き物ですが、人間以外にも「命」があることを感じ、共に地球で生活している原点を肌身で理解していく機会を得ています。人間だけがすべてでないことを知ることは、例えばミツバチがいなくなれば、果物や野菜を食べられなく日が来るのを、いつの日か理解することに繋がっていくのです。

このように子どもたちはいかにも偶然の毎日の中で、実は必然的な出来事に出会い、様々な人間性会、生物界の約束や順番、弱肉強食等を学んでいるのです。だからこそこれらの機会を保障する必要があるのです。子どもたちに小さくても「豊かな自然環境」を用意することは、何もないのっぺらなグランドを準備することよりも、数百倍大切なことであると考えています。

自然の一部である人間は、在りのまま、たとえ作られた自然であったとしても、自然を感じながら生きることが出来る環境に過ごすことで、他者、他の生き物を尊重する心を自らの中に育て、本来持っているべき人間性を保ち続けることが出来るはずです。その機会が少なくなっている人類は、自らでその危機を招いているとも言えます。

カテゴリ:発達

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