発達をみつめるまなざし2!
2025.07.20

子どもたちの発達は「準備の期間」という捉え方があります。準備が整ったことを「レディネス(特定の状況に適応する準備が整う)」という心理学用語で表しています。
ただし発達は連続しているため、「さあここからは・・・」のように、はっきりと区切りをつけられるものではありませんね。だからおよその目安を意識しておき、もちろん誤差はありますが、子どもの動きや取り組みを観ていて、「まだこの子には早いね!」と評価、判断することによって遊びの提供内容を変えていくことも大切になってきます。
つくしさんですとハイハイやつかまり立ちはその目安となってきますが、あまり早く立つことに気持ちが移行してしまうと、気持ちに体がついていかず、大腿部の筋肉や部位の可動の質が上がらないうちに、二足歩行へと気持ちが偏りがちとなります。
抱っこしたときにしっかりと足に力が入り、挟み込みのような力を感じられるか、ぶら下がりは可能か、ハイハイはスピードを上げて進むか、膝をあげライオン(高這い)の姿勢で四つ這いで進めるか?このような動作をたくさん行ってきたかどうかが足腰の強さの目安でもあります。
あまりできなかったとしてもまだ十分間に合いますので、広々とした、凹凸のある床や地面、障害物などのある環境での「まてまてあそび」など信頼できるご家族が子どもたちを誘うことで、充分にそれらの動きは引き出せますのでお試しください。
子どもたち特に乳児期の3年間は、その時はよく分かりませんが、長い目で見ると学童期、青年期に影響を及ぼします。心理的には十分な欲求の満足を得て、身体的には欲求に応じた身体活動を十分に経験することで、「うまくいかなくても立ち直る心と身体の基礎、土台」を培う時代なのです。
乳児期の子どもたちは「何もできない存在」ではありません。この3年間で自分なりの猛スピードで、「発達しよう、発達したい!」と頑張っている時代であることをしっかりと見据え育てていきたいですね!幼くてもひとりの人格を備えた貴重な存在であることを私たち大人は再確認する必要があると思います。
カテゴリ:発達
発達をみつめるまなざし!
2025.07.20

先の発達(過ぎた発達)を行く子どもたちと過ごすことは、お互いへの心と体の良い発達に結びついています。毎日過ごす場所でないことだけでも、子どもたちにとっては刺激的な環境と言えます。
ブロック、新聞紙と玩具、ボールと保育室(すみれ)、ホール(広い場所)といった関係性の中で生まれるものは、いったいなんだろう?と年齢、発達差を考えていました。
昼礼(毎日行う打ち合わせ、報告、子どもの様子や発達の確認対話)で保育士に訊ねてみると、写真で想像するよりも現実的な話が聞けます。例えば「新聞が入ったビニール袋を持つ、つくし組の子」に関心があるかと思えば、実はその「袋そのものにだけ興味がある。」、「ボールの性質よりも扱う大人に興味がある。」といった現実に突き当たります。
異年齢の関りを期待する大人の目線で写真を見ていると、「こうあってほしい」といった独りよがりな大人の視方が先行してしまうこともあるのです。例えば子どもに必要以上の飾りつけをしたり、大人の趣味嗜好を押し付けたり、そんなことをしなくても子どもは「最もかわいらしい笑顔、しぐさ、笑い声」で十分に大人に愛らしさを伝えています。その様な視方とどこか似ていたなと反省します。
子どもたちの発達をどのように観ていくのか?「親の欲目」、「教師の願い」が、子ども心を惑わすことがないように気を付けていくべきだなと思い返します。子どもはひとり一人が個別的な人格を持ち、発達の道筋やスピードはもちろん異なることを改めて自覚しなければなりませんね!
言葉の発達、排泄習慣、食事、着脱など目に見える事実に関し、大人はついつい「せっかち」になってしまいます。でも子どもたちに「やらせよう」、しつこく「教化しよう」とすることは、結局は子どもの健やかな心と身体の成長を妨害する結果になる可能性があることは、理解しておかなければなりません。
最後の写真を見てください!子どもたちは縦横無尽に体を躍動させ、斜面やマットの柔らかさ、高さに挑む心の強さを発揮し、身体の巧緻性を獲得しています。わずか数年でこのような判断力と身体使いを習得できることこそ驚異的な発達だと思います。サバンナの生き物は必要性(強者に命を奪われないため)に迫られ、生まれてすぐ立ちあがりしばらくすると走れるようになります。
しかし人間は「知恵」を育てるためこの過程が非常に弱く時間をたっぷりと必要とするのです。その様なスパンで観ていくと、少しくらい習慣が出来なくても心配する必要はないと思います。それよりも今の発達で獲得している頭と身体の成長を、個々が十分に遊びを通して使い切れるような、考えと見方を巡らせ環境を与えていくことの方に力を注いでいくことが大切だと思います。思い切り心身を使った子は様々な習慣の「自立」、「自律」も速い傾向にあります。それは「意欲」、「欲求の満足」を十分に体験してきたからに他なりません。
カテゴリ:発達
天王陛下モンゴル訪問
2025.07.20

おはようございます。
天王陛下が6日~8日間の日程でモンゴルを訪問されています。国際親善はもとより戦中、戦後に旧ソ連によってたくさんの日本人兵士、開拓民がモンゴルに抑留され過酷な環境で働き続け命を落とした方々の慰霊も大きな目的です。
【両陛下は戦後80年のことし、戦没者の慰霊などのため、上皇ご夫妻が平成6年から翌年の「戦後50年」にかけて巡られた先の大戦の象徴的な地域を訪ねられています。4月には「玉砕の島」の1つ小笠原諸島の硫黄島を、先月は激しい地上戦が行われ20万人以上が犠牲になった沖縄と被爆地・広島を訪問していて、9月には長崎も訪問されます。今回のモンゴル訪問は国際親善のためのものですが、期間中、天皇陛下は18年前の前回訪問で訪ねた日本人抑留者の慰霊碑を皇后さまとともに訪問して犠牲者の霊を慰める予定で、今月2日の記者会見では「歴史に思いを巡らせつつ、日本人死亡者慰霊碑に供花をし、心ならずも故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、その御苦労に思いを致したいと思います」と述べられていました。】
6日中日新聞にはモンゴルでの日本人抑留者を看ていた当時のモンゴル人看守のチョグソムジャブさんの思いを伝えています。「日本へ帰りたい」とつぶやく日本人をひとりの人間としてみるように心が変わり、極寒の地で故郷を離れひもじい生活をする人々が、仲間が亡くなった時、自分の少ない食料の豆をすりつぶして、墓前に供えている姿を忘れられないと語っています。それから長い年月が過ぎ日本人に取材を受け、元抑留者との再会を願っているとのことです。実現はされてはいませんが、戦争という何も生まない争いの惨さとその中にも、同胞あるいは敵味方に分かれていたとしても、人間同士の思いは残るものだと心に強く感じました。戦争は二度と起こしてはなりません。
カテゴリ:政治・国際状況