お知らせ

熊 パンダ 隣国関係

2026.01.02

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おはようございます。
絶滅を防ぐことを目的として、世界各地に貸し出されているパンダちゃん!日本でも契約期間が満了し、中国からお借りしているパンダ、日本で生まれた子パンダも返還が決まっています。多くの日本人の子どもたちにも大人気だったパンダが帰還してしまうことはとても寂しいことですね。何とか再度借りられることを望んでいます。中国とは今がとても大切な時だと思います。パンダが日中をつなぐ架け橋の役割を担ってくれたことを忘れず無駄にしてはならないと思います。【パンダ (panda) は、ネコ目(食肉目)に属するジャイアントパンダ(クマ科)とレッサーパンダ(レッサーパンダ科)の2種の総称。熊猫(シュウマオ)とも。ただし単にパンダといった場合、ジャイアントパンダのことを指すことが多い。ジャイアントパンダとレッサーパンダは食肉目に属しながらともに草食適応を果たした種であるが、Ledje and Arnason(1996a, b)の分子系統解析などにより両者は近縁ではないと結論づけられている。中国を代表する動物だが、生息地は四川省の一部などと狭く、中国全土に生息しているわけではない。】

カテゴリ:生き物・自然・人間

追う 追われる あそびの発達

2025.12.23

alt追う 追われるのたのしさ役割認識の発達
alt身体と身体がぶつかり合うことで知る相手の身体の柔らかさ

子どもたちの人との関りの世界は、訳もなく追う追われる、押す押される等の動きを行ってみることから、本人なりに意味を見出していくのではないかと思います。「からだがおはなしをする?」などという表現がぴったりくるかもしれません!

特に「追われる」に関しては、最初は追ってくるのが安心できる大人であることが、最も嬉しい出来事となっていますね!とても自然なことで大好きな大人に追いかけれらることが嬉しいのは、「自分と遊んでもらっている」といった安心感?独占欲を満たすにふさわしいやり取りだからだと感じます。

最初は大人が追う役割であったのが、ある程度満足できれば役割が交替、子どもが大人を追いかけます。そして仲間同士に進み、さらに発展すれば自分より小さな子や知らない相手でもルールに従って追いかける、追われることに「楽しさとスリル」を味わえるように心が発達していきます。

今日の写真は、同じ子(1歳児クラス)がステップ「①仲間同士の追う追われる」と「②大きな子に追いかけられる」を体験している場面が生じています。

幼さによって表現される他者を求める心はぎこちないですが、徐々にその気持ちは強く現れてきます。このように様々な行動を起こしてみて、その結果から考えを導き出そうとする様子は、乳幼児期ならではだと思います。

時には仲間との距離が縮まり過ぎることで相手に嫌がられたり、昨日の様に大きい子の所有物を利用しようとすることで制止を受けたりを繰り返しながら、人や物との距離感を少しづつ捉えていくのだと思います。何度伝えても中々理解できない子もいます。しかし長い発達の過程を考えますと、これも一瞬の時間のことだと考えます。

だから子どもの成長速度や質量について他の子と比べてばかりいると、気持ちが萎えてしまいます。子どもは一人ひとり唯一の存在です。生まれてから小学校就学前までは差があって当然、、しかしなぜか学童期になるとほぼ一列に成長がそろってくるようになるものです。身体の大きさこそ違いはありますが、神経質になることではありません。むしろその不安な心が子どもに伝わることがよくない影響を及ぼします。「だいじょうぶ!なんとかなる」この気持ちを忘れず子どもと笑顔で暮らしていけると良いと思います。

カテゴリ:教育

今年の一字 「熊」

2025.12.23

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おはようございます。
恒例の清水寺今年の一文字は「熊」。あれだけ人里に出没し、不幸にも死亡事故が起きたことを思うと、一番のトピックス、人類の課題と言ってよいのかもしれません。政治の世界すら何ともできない人間が、自然の脅威を何とかすることなどできはしないと初めから分かっていることです。事が起きてからの対策では功を奏することは難しいでしょう。だから普段が大切です。「自然を大切にしてきたでしょうか」、「自然を伝える努力をしてきたでしょうか?」、「自然体験と行動を幼少期より行う環境を確保してきたでしょうか?」。
人類が危機に瀕するような今の事態は人間がまいた種が原因です。さらに人間同士が殺しあうことは「戦争」ばかりではありません。昨今世界で起きている「無差別殺人」も、他者への「嫌悪」を自らを害する「異物」と判断し、実際の殲滅行動に移している恐ろしさが感じられます。自分とは異なることを理性的に理解する、寛容に受け止め平和的努力を惜しまない、AIやSNS、人や対話を介さない安易な手段によって解決を図ろうとする、いわば人間同士のややこしい手間を省いた行いこそ、このような短絡的な判断と「即拒絶」、「即争い」の社会風土を生み出していると思います。人間同士の理解は時間と過ちと納得の繰り返しです。でもその手間の中にこそ「人間である所以、人間らしさ」があるのです「手間と失敗をしなければ分かりあえない」、ここを諦めてはなりません!
「自然との距離感の意識化」、「地球に共生する生き物同士」等々、自然を学ぶことは何千何万年も前から「畏敬」、「共存」の対象として人類がうまく付き合ってきた「生き物をつかさどる対象」を知る事でもあります。その本質から離れていくことによる、自然の逆襲は、人類に警告を与えていることだと知るべきです。

カテゴリ:生き物・自然・人間

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