お知らせ

蟹江町は住みよい町

2025.02.08

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おはようございます。
都市部への一極集中を転換し、地方創出を実現したい石破政権ですが、東京都、神奈川県等々、若い世代の都市圏への転入超過傾向は続いています。一方愛知県では転出超過傾向にあり、魅力ある地方とは言えない現状が浮かび上がっています。【東京への一極集中は中長期的なトレンドだ。1991年のバブル崩壊や2008年のリーマン・ショックといった不況期に一時的に地方圏に分散しても、すぐに戻る現象を繰り返してきた。明治大学名誉教授の市川宏雄氏は「不況で東京の労働力需要が減ると地元で働くことを選択する人が増えるが、景気が回復して東京に雇う『筋力』が戻れば、多くの人が東京に行く」と分析し、今後も一極集中は加速するとみる。一極集中は首都直下地震や富士山噴火などの災害に弱いというリスクを抱える。政府は地方移住の促進の旗を振るが、その効果は不透明だ。東京は雇用機会が豊富なだけでなく、医療・教育でも高水準のサービスが集まる。-日本経済新聞 ネット】
愛知県、名古屋市、蟹江町・・・、自治体単位で比較してみると、それぞれに利点欠点は存在します。蟹江町は基幹産業が少なく福岡県苅田町(北九州工業地帯に立地)とほぼ同じ人口にもかかわらず、基準財政収入額(税収)が少ない現実(蟹江町の1.511倍)があります。なにも税収入が多ければよい町というわけではなく、少ない税収でどのようにやりくりしていくかが大切だと思います。名古屋駅からの利便もあり(近鉄、JR)、地価もそれほど高くなく、生活に便利な地域、伝統行事や子育てがしやすい街としての利点を、大いに生かしていくべきだと思います。慣習に拘らず次世代に向けた思い切った政策を行っていくことで、より住みよい街、今まで通り若い人が戻ってきたくなる故郷を継続していけるように期待したいとい思います。もちろん我が保育園もその一翼を担っていく覚悟で臨んでいきます。

カテゴリ:地域の皆様へ!

中日歌(俳)壇

2025.02.08

ナンキンハゼ(保育園駐車場にもあります)とメジロ
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おはようございます。
個人的には孫を観る祖父母の気持ち、生活では世評を表す句に目が留まりました。
「生え初めし曽孫(ひまご)の乳歯がボーロ噛む内緒話のような音させ」
孫が行うことはすべてが愛おしくて仕方ありませんね、きっと将来悩み事もたくさん抱えることと思いますが、そんな時かけてあげたい言葉です、「きみがいるだけでいいんだよ」と。
『彫り深き顔のコンビニ店員が「アタタメマスカ」と淡々という』
評者はマニュアル通りの店員をスケッチしたにとどまっていましたが、私も同じような経験をしました。そこで「ありがとう」とニコッと笑い返すと、店員さんも笑みを浮かべてくれます。たとえお金で物を買う立場であっても、当たり前ではなく、手間をかけてもらったことに感謝する日本人もいることを伝えることで、関係性に血も通うと思います。
「廃屋へ年賀はがきをねじこめり」
空き家が増える世の中です。相続者が不明、事情があり相続できないなどによって放置されている家屋が増え、自治体は対策を迫られています。私もつい最近父の実家を業者さんを通じ、若い世代に渡すことができました。子どもの頃の思い出がたくさん詰まり、また父も生前は残してほしいと願った土地、若い家族に引き継げたことで肩の荷を下ろすことができました。「これでいいよね、とうさん、じいちゃん、おばあちゃん?」

カテゴリ:宗教・文化

節分

2025.02.08



1日遅れの豆まき、昨日は様々な場所で「節分会」の行事が行われたようです。本物さながらの恐ろし気な様子に、度肝を抜かれた幼き子どもたちの様子が映っていました。真剣に泣く子をよそに大人は穏やかな笑顔で見守り、日本の伝統行事が滞りなく行われたことに安堵します。コロナ、インフルエンザ、胃腸風邪などの病気、航空機の墜落事故、大規模火災、戦禍、能登半島地震などの災害、様々な病、惨事が人間社会を襲っています。それこそ邪気払いが必要ですね。

子どもたちにとって「鬼」は、それぞれの発達段階なりに恐ろしい存在だと思います。元々は架空の生き物ですが、この様な存在を人間自身が作り出すことで、「やってはいけない」、「近づかない」、「さわらない」、「無茶をしない」、「甘く見ない」等を引き継いでいけると思います。

名古屋の海よりの地域では津波や高潮で「ここまで水に浸かりました」といった目印として「記念碑(伊勢湾台風の)」が立っています。これは人間が災害をすぐに忘れてしまうことに対し、「忘れてはならない」を目に見える形で伝え残しているものです。人間は悲しいこと、苦しいことも都合よく忘れ去ろうとします。その安易さを戒めたものであると思います。

「鬼」は恐ろしさの象徴です。他にも様々な伝説が日本に限らず世界に伝わっています。科学技術が進んでいる現代だからこそ、その意義について見直す必要があるのではないでしょうか?自然科学分野においては、人間にはいまだ想像つかないことがたくさんあります。人間そのものの存在ですらすべてが解き明かされてるわけではありませんので、「神」の領域と言わざるを得ない事象も数多く存在しています。

精子の冷凍保存、遺伝子の操作等々、人間が手を加えて本当に良いことなのかどうかは誰にもわかりません。しかし、自然の摂理というものは、人間の想像力をはるかに超えたものであることは間違いありません。だから子ども自身が自然の脅威や恐ろしいものが、この世には存在していることを知っておく必要があると思います。何でもかんでも理屈で解決することはできません。一番分からないのが「人の心」でもあります。「畏怖、畏敬の念」をなくしてはなりません。人間が奢る心を持つことに対し、自然の摂理は黙ってはいないでしょう。

カテゴリ:宗教・文化

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