お知らせ

第二十八候「乃東枯 (なつかれくさかるる)」 6/21~6/25頃

2025.06.29

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うつぼ【空穂・靫】〘 名詞 〙① 矢の容器。雨湿炎乾に備えて矢全体を納める細長い筒で、下方表面に矢を出入させる窓を設け、間塞(まふたぎ)と呼ぶふたをつける。竹製、漆塗りを普通とするが、上に毛皮や鳥毛、布帛(ふはく)の類をはったものもあり、また、近世は大名行列の威儀を示すのに用いられ、張抜(はりぬき)で黒漆塗りの装飾的なものとなった。江戸時代には紙の張抜(はりぬき)の黒漆塗りに金紋を据え、飾調度(かざりちょうど)とした。うつお。

おはようございます。
【七十二候が夏至の初候に変わり、乃東が枯れていく頃となりました。乃東とは、冬至に芽を出し夏至に枯れる「夏枯草 (かこそう)」の古名で、紫色の花を咲かせる「靫草 (うつぼくさ)」の漢方名でもあります。ウツボグサは、日当たりの良い山野の草地に群生し、夏至の頃に枯れていきますが、この枯れて茶色くなった花穂が「夏枯草 (かこそう)」です。夏枯草は、古くから洋の東西を問わず漢方として用いられてきました。この生薬を煎じて飲めば、利尿・消炎作用があり、煎液は、ねんざ・腫物・浮腫の塗り薬として、また、うがい薬にも用います。英名は、「all-heal = 全てを癒す」。和名は、花の形が矢を入れる「うつぼ」という道具に似ていることから付けられました。今回の候「乃東枯 (なつかれくさかるる)」は、冬至の初候「乃東生 (なつかれくさしょうず)」と対になっています。】
あまり見かけたことはありませんが、古くから世界各地で愛され、ガーデニングや薬草として人々を楽しませてくれている馴染み深い花です。今もどこかで花を咲かせているのでしょうか。立派な花はそれなりに存在感を示し、人の手によって丁寧に栽培、高い値で取引されています。しかし野に咲く花たちは普段から季節に応じ同じ場所に現れ、子どもたちのあそびの対象として存在もしてくれています。誰が世話するでもなく、そのたくましさに感心し、強さに驚き踏まれても踏まれても起き上がるたんぽぽ、踏まれてこそ強く育つオオバコなどに人間としての強さも学ばせてもらっていると思います。

カテゴリ:七十二候

「沖縄慰霊の日」

2025.06.29

alt沖縄 摩文仁(まぶみ)の丘 美しい崖から多くの民間人と日本兵が身を投げた

おはようございます。
昨日23日は「沖縄慰霊の日」でした。毎年この日にこの話題に触れるのは、戦争の悲惨を忘れず戦争を知らない世代に「決して起こしてはならない戦争」を引き継いでいくために重要だと思うからです。
太平洋戦争の終戦日は8月15日であることを知らない人はいないと思います。しかし日本で唯一の地上戦があり、多くの島民の命が奪われた戦争、対馬丸の沈没、終戦日以後の特攻隊員の死等々、様々な悲惨な状況がかってあったことは時代の変遷で忘れ去られていきます。だからこそ「慰霊の日」は、埋もれかけた負の歴史を忘れてはならないことを想いだすことができる歴史として、未来を生きる人々の心に、永遠に記憶にとどめておく必要があるのです。
22日の中日新聞社説には、慰霊の日がどのような日なのか、政治家の誤った認識と発言(自民党西田昌司氏)、過去の政治家の大切な見解(初代沖縄開発庁長官山中貞則氏の本土復帰と沖縄振興、小渕恵三氏の反対された沖縄サミットの開催、野中広務氏沖縄戦を忘れてはならない理由の発言)を掲載し、沖縄を忘れないことの大切さを伝えています。
心配なことがあります。「ひめゆり記念館」等の来場者数の減少、各地の戦跡や戦争にまつわる記念館が運営者の高齢化により維持できなくなってきているという事実です。原爆記念館は逆に来場者数が増えていることは喜ばしいのですが、戦争はもっともっと身近な悲惨もあったことを伝えるための場所が廃っていくことは見逃せません。名古屋にも「ピースあいち」という施設が名古屋市名東区にあります。とても小さな施設ですが、戦争のことを細かく伝えている場所です。一度は来館いただくことをお勧めします。(https://peace-aichi.com/)

カテゴリ:戦争

自律 自立 への第一歩!

2025.06.22





きれいでなくてもよいのです やってみようとする心が自立への一歩!


いつもの保育室とは異なる場所に行き、異なる仲間と共に過ごすことは、何かと刺激が増え新たな楽しさに繋がることもたくさんあるようです。直接の接点はそれほど多くはありませんが、お互いは視て、聴いて、感じ合っています。

人格、発達等様々な違いが、多様な接点を生み出し、自分にはできないこと、思いつかなかったこと、難しいことに対して興味を持つようになり、「やってみよう」と行動を起こすこともあります。

だから異年齢、人同士の交流は大切な「自分自身を広げる」チャンスだと捉えていくことが大切です。大人でも何事もひとりで考えひとりで行おうとする人は、人に左右されることなく、独立独歩の精神を日ごろから磨き上げていると言えます。

子どもの頃は何でもひとりで行っていても、大人になって仲間や好き嫌いの関係、教師に依存的になってしまうのは、自分自身に自信を見出せない結果だとも言えます。失敗も成功も身一つで感じ取り、自らの責任としていく覚悟があれば、「真実」は近づいてきてくれます。

子どものころからたくさんの様々な人と接点を持つことは、新たな世界への抵抗感や躊躇を減らしていきます。過去の日本政府は障がいを持つ人を山里、離島に隔離し、「自分とは異なる」を排除してきました。現代のような情報が行き交う時代になってもその名残は今もなお人々を苦しめています。

「人間」であることの意味は、まさに「ヒト(生物学的)」を超える存在でなければ、人間と呼ばれるにふさわしいとは言えないのです。冒頭に登場した「雨森芳洲」は、まさに異国人との違いで人や物事を見るのではなく、同じ人間としての善意と尊厳に訴えかけた人だと思います。皆様も承知の西郷隆盛も「シナ(中国)を理解するには、シナ人にならなければならないならない」と述べているほどです。真の国際人とはどのような人を言うのでしょうか?それは知識や技術、言語優先ではなく、「相手の心に対する誠意」だと思います。誠意があれば住み分けや干渉しない等の知恵で争いは回避できるはずです。

子どものころから様々な「違い」と接していくことは、大人になってからにしか分からない、「他者、違い」を自分事として考えられる人格を作り出す大切な経験だと思います。できるだけ「違い」を感じられる環境(もちろん人見知り、場所見知り、ある程度の小さな範囲が必要な発達段階もあります)を用意していくことが、ひとりの人間の世界を広く大きくし、分け隔てをせず、平等感を大切にする人格の育成につながっていくことは間違いないと考えています。

カテゴリ:子育て

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