読者が選ぶ中日グッとコラム(2025上半期)
2025.09.20

おはようございます。
中日新聞が9県で発行している紙面に若い記者が書くコラムが掲載されていました。読者が良かったコラムに感想付きで一票を投じるといった企画です。16名の若い記者それぞれの人となりが出ていてとても面白いと感じました。「誰が一番」というわけではなく、「この人のが一番自分にピッタリくるなー」という視点で良いと思います。私は長浜通信局(滋賀県)の「ハナコの話」を書いた平子宗太郎さんのコラムにグッときました!
最初は4匹いた、とある公園の一角に飼育されていたサルがハナコという名前でした。飼育員の方が最後に残ったサルに対しとても愛着を感じ、飼育員の仕事以上に冬は簡易暖房機を持ち込み、夏はアイスキャンディーを渡し、苦楽を共にしてきた様子が伝わってきました。きっとその行為は「必要以上の世話」、「行うべきでないこと」だったのかもと思います。しかし動物への愛着を持った人の優しさや、ルールを少々逸脱しても生き物を愛おしむ寛容な心、そこには人間同様心ある存在として相手を気遣う優しさに溢れた心を感じます。
私も子どもの頃、祖父が遠方から自転車に載せたジュウシマツを飼い、セキセイインコも繁殖させ育て、小さな命の生き死にを目の当たりにしてきました。そんな物言わぬ生き物と過ごした時間を今も鮮明に覚えています。生き物と過ごすことは、「命」がなんであるのかを学ぶことでもあります。そんな機会を与えてくれた今は亡き祖父に大きく感謝します。
この記事をの締めくくりは【ハナコは愛されていたんですね。つい言葉が出た。山岡さん(飼育員)は笑みを見せ、すぐに目を伏せた。ハナコを思う涙が何よりも悲しく、温かかった。】そんな記者自身の優しく、命を尊ぶ心さえ映し出していると感じ涙が浮かぶのでした。
カテゴリ:教える・伝える
新米価格の高値
2025.09.20

おはようございます。
数か月前、縁あって三重県芸濃町で田植えを手伝いました。苗(箱に収まった)を農協から購入し、肥料を撒きそのまま田植え機にのせ機械で田植えをします。生産者の方は普段一人でその作業を行うというのですから、大変な労力であることは身をもって感じることができます。箱を何度も積み替え田をいったり来たり、機械作業といえ神経も使います。そして稲の成長と共に心配も増します。雑草、大雨、台風、収穫間際に水に浸かったり、風で稲穂が倒れると泥が付くなどで商品価値が落ちる為、頃合いを見計らって早めでも刈り取ることが必要になってきます。しかし早めに刈ると米粒に含まれる水分量(20%越では出荷できない)が多く、天日干し後も乾燥機にかける時間が増し、経費(燃料と時間)が増すため嫌われるそうです。相手が自然であることは米の生産者間でも良く理解されているにもかかわらず、とても手間暇かかるのが米作です。
この様に実際に労働に携わると、米価が高騰しているのも分からないでもないです。農業に従事している皆さんはとても苦労されていると思います。農家は人出不足、高齢化によって田畑を放置せざるを得ない状況も抱えています。文明社会で恩恵にあずかっている我々は、知恵を絞り子どもの教育や地域の活性化のため、食料の自給をも視野に農業に携わる方法を模索する必要もあるように感じます。
カテゴリ:生き物・自然・人間
秋の来訪者
2025.09.20



先週の金曜日、本日と0,1歳児(つくし組)、1歳児クラス(れんげ、すみれ組)と2歳児クラス(たんぽぽ組)の子どもたちが、それぞれ別のクラスで過ごす交換留学!を行いました。また、秋の兆しを感じる頃となり、昆虫や植物、果物と触れ合う機会も増えていきます!
先の発達をいくおにーちゃん、おねーちゃんが一人でもクラスにいることで、子どもたち同士は大きな影響を受けます。小さな子にとって大きな子が行うことは、大胆でカッコよく憧れの対象になります。逆に大きな子は小さな子の羨望の眼差しを敏感にキャッチし、得意げに頑張ろうとすることもあります。このような作用があることは双方の発達にとても良いことだと考えています。
しかし他者のことよりも「自己中心のただ中」にいる段階の子にとっては、まだまだ他者の言動に気持ちや目が向かないのが当然のことです。「自己中心」を謳歌すべき時です。時々それぞれの発達の中で、無理なく関りを持つことで、良い意味での影響が生まれることを期待したいと思います。このように大まかなスパンの中でお子様の発達をとらえておけば大丈夫です。他の子と比べることは無意味です。
部屋の中のバッタ、実は他の保育士が部屋の中へ招き入れたようです!そしてバッタに触れることが平気な保育士が手に持ち、子どもたちに見せてあげたということです。安心感からか子どもたちは皆、見る、触る等を試していました。
カエルはこれまた触れるのが大丈夫な保育士が、手で持って子どもたちに見せています。生き物への接触がまだまだ少ない子どもたちにとって、少しづつ触れ合える機会を提供していくことはとても大切だと思います。どんな様子なのか、怖くないのかなどは、身近に感じる環境(水気さえあればカエルは餌を求めて草むらにやってきます)がなければ味わうことが出来ません。
シークワサーは今の時期にたくさん成っていますので、子どもが もごう と思えばいつでも可能です。できなければ様子を見て同意を得てお手伝いしても良いでしょう。いつか自分の指先で もぐ 時がやってきます。それも大人や仲間がシークワサーを もいでいる 様子を見ることが出来るのはおそらくこの園庭内でしかできないことです。
さらにバッタやカエルは保護色で茶色になっている個体もいます。「同じ種類でもなぜ緑や茶色の生き物がいるの?」、いつの日かその不思議さ(科学的視方)に気付く時が来るでしょう。それも身近にバッタやカエルが住む環境があってこそです。
このような小さな生き物、植物、野菜や実に触れていくことは「〈ESDエデュケーション・サスティナビリティ-・デベロップメント〉持続可能な開発のための教育・〈EfS〉持続可能な教育(いつも同じ時期に虫や植物がみられる環境)」の大切さを願う心を育てることでもあります。何時も決まって生き物、実、花が現れる季節、様々な生き物の状態にいつもめぐり逢い感じていくことこそ、自然のおもしろさや大切さに気付く原点なのです。
その事がいずれ自然を慈しみ、結果人間が生きていける世界を残していくことに繋がります。壮大な願いかつ生き物としての使命(持続していく地球)は、実はこんな小さな自然と子どもの成長期に繰り返し体験する感動の中にこそ潜んでいるのです。
地球環境は増々悪化しています。これから地球で生きていく子どもたちが、自分事として温暖化、ごみ問題、自然保護について乳幼児から考える機会を設けていくことこそ、私たち大人に与えられた使命であることは確かなのです。
カテゴリ:生き物・自然・人間
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