パンダの話
2024.07.07
ジャイアントパンダ
おはようございます。
高槻市にJT生命誌研究館があります。発行している機関誌に「生命誌」があります。無料で配布されていますので興味のある方はぜひ取り寄せるか、HPを開きご覧ください。面白いですよ!
さて今回(116/117)では「パンダの時間」というテーマでスペシャルストーリーが掲載されています。子どもたちに人気のパンダがどのように進化してきたか、その生物学的視点はとても興味深い内容です。一部掲載しておきますね!
【パンダは竹を食べるためのカラダになっている - 竹は栄養が少ないので、たくさん効率よく食べるために、さまざまな工夫があります。一つは「竹を持って食べる」ということ。わたしたちヒトの手は4本の指と親指が向かい合っていますが、ジャイアントパンダは5本同じ方向を向いているので、わたしたちのようには竹を握りません。彼らは、手首の骨を使って竹を持ちます。親指側の手の平の付け根に、橈側種子骨(とうそくしゅしこつ)という丸い骨があります。みなさんの親指の付け根近くにもあるので、触ってみてください。それだけではなくて、小指側にも突起があります。副手根骨(ふくしゅこんこつ)といいます。指のように動くことはありませんが、支点となって、しっかりと物を持つことができる。これができるから、パンダは竹を持って、効率よくたくさん食べることができます。竹を握ることができるということが、ジャイアントパンダの進化の重要な点の一つです。
もう一つは、「座ることができる」ということ。犬やネコがものを食べるときは、四つん這いです。そのため、食べ物を口でくわえて飲み込むことしかできません。パンダは「パンダ座り」とも言われる独特な座り方で、両手で食べ物を持つことができる。たくさん竹を食べるには長い時間を費やすため、食べやすい姿勢をしている訳です。
そして歯。竹を食べるのに適した歯をしています。竹の葉っぱを、まるでハサミで切ったような形に噛み切ります。竹の幹も、まるでノコギリかハサミで切ったかのようにまっすぐ切れています。硬いものを食べるのに適した歯をしているようです。奥歯に平たい臼歯があります。人間の6倍くらいの大きさがあり、非常にしっかりとしています。前臼歯はライオンのように少し尖っています。この2種類の臼歯が、パンダが竹を食べるのに役立っています。上と下の歯がきちんと重なって、ハサミのようにものを切ります。幹を食べる時は、外側の緑色の部分を剥いて、中の白いところだけを食べる。この剥くという作業に、前臼歯をつかいます。外側の緑色のところはどうやら消化できず、必ずしっかり剥いて食べています。このように、パンダの歯というのは肉食動物的な特徴と、草食動物的な特徴の両方を備えて、硬い竹を食べている。とても大きな音がするんです、バリバリバリバリって。かなり強靭な奥歯をしています。
そして、竹を食べるために、頭の筋肉がとても発達しています。初めてジャイアントパンダの頭骨を見た時に非常にびっくりしました。顔が丸いのに、頭骨は尖っているのです。実は、この頭のてっぺんから顎にかけて、たくさんの筋肉がついて丸い顔になっている。ものを「噛む」ための筋肉なのです。ただ大きくてしっかりした歯があるだけではなくて、筋肉もすごく発達しています。ジャイアントパンダがもし竹を食べていなかったら今よりも顔が細くて、皆さんに愛される容姿ではなかったかもしれません。竹を食べて氷河期を乗り越え、いろいろな器官が進化した。パンダにとってはどうかわかりませんが、わたしたちにとっては、パンダが竹を食べていてくれて良かったなと思っています。】
おはようございます。
高槻市にJT生命誌研究館があります。発行している機関誌に「生命誌」があります。無料で配布されていますので興味のある方はぜひ取り寄せるか、HPを開きご覧ください。面白いですよ!
さて今回(116/117)では「パンダの時間」というテーマでスペシャルストーリーが掲載されています。子どもたちに人気のパンダがどのように進化してきたか、その生物学的視点はとても興味深い内容です。一部掲載しておきますね!
【パンダは竹を食べるためのカラダになっている - 竹は栄養が少ないので、たくさん効率よく食べるために、さまざまな工夫があります。一つは「竹を持って食べる」ということ。わたしたちヒトの手は4本の指と親指が向かい合っていますが、ジャイアントパンダは5本同じ方向を向いているので、わたしたちのようには竹を握りません。彼らは、手首の骨を使って竹を持ちます。親指側の手の平の付け根に、橈側種子骨(とうそくしゅしこつ)という丸い骨があります。みなさんの親指の付け根近くにもあるので、触ってみてください。それだけではなくて、小指側にも突起があります。副手根骨(ふくしゅこんこつ)といいます。指のように動くことはありませんが、支点となって、しっかりと物を持つことができる。これができるから、パンダは竹を持って、効率よくたくさん食べることができます。竹を握ることができるということが、ジャイアントパンダの進化の重要な点の一つです。
もう一つは、「座ることができる」ということ。犬やネコがものを食べるときは、四つん這いです。そのため、食べ物を口でくわえて飲み込むことしかできません。パンダは「パンダ座り」とも言われる独特な座り方で、両手で食べ物を持つことができる。たくさん竹を食べるには長い時間を費やすため、食べやすい姿勢をしている訳です。
そして歯。竹を食べるのに適した歯をしています。竹の葉っぱを、まるでハサミで切ったような形に噛み切ります。竹の幹も、まるでノコギリかハサミで切ったかのようにまっすぐ切れています。硬いものを食べるのに適した歯をしているようです。奥歯に平たい臼歯があります。人間の6倍くらいの大きさがあり、非常にしっかりとしています。前臼歯はライオンのように少し尖っています。この2種類の臼歯が、パンダが竹を食べるのに役立っています。上と下の歯がきちんと重なって、ハサミのようにものを切ります。幹を食べる時は、外側の緑色の部分を剥いて、中の白いところだけを食べる。この剥くという作業に、前臼歯をつかいます。外側の緑色のところはどうやら消化できず、必ずしっかり剥いて食べています。このように、パンダの歯というのは肉食動物的な特徴と、草食動物的な特徴の両方を備えて、硬い竹を食べている。とても大きな音がするんです、バリバリバリバリって。かなり強靭な奥歯をしています。
そして、竹を食べるために、頭の筋肉がとても発達しています。初めてジャイアントパンダの頭骨を見た時に非常にびっくりしました。顔が丸いのに、頭骨は尖っているのです。実は、この頭のてっぺんから顎にかけて、たくさんの筋肉がついて丸い顔になっている。ものを「噛む」ための筋肉なのです。ただ大きくてしっかりした歯があるだけではなくて、筋肉もすごく発達しています。ジャイアントパンダがもし竹を食べていなかったら今よりも顔が細くて、皆さんに愛される容姿ではなかったかもしれません。竹を食べて氷河期を乗り越え、いろいろな器官が進化した。パンダにとってはどうかわかりませんが、わたしたちにとっては、パンダが竹を食べていてくれて良かったなと思っています。】
カテゴリ:生き物・自然・人間
天王陛下の英国訪問
2024.06.29
天王陛下が国賓として英国を訪問されました。155年前、明治天皇が当時の英国アルフレッド王子を、国賓として招いて以来、昭和天皇、上皇、現天皇と、長い歴史の中で友好関係を築いてきました。先の大戦によって両国民が戦火を交えた不幸な歴史はありましたが、国王、天皇陛下ともに「未来志向」を大切にすることで一致しています。一国を代表する方の言葉を重く受け止め、私たちは両国及び世界の平和に貢献していくことをあらためて誓う必要があると思います。
【天皇陛下はおよそ14分にも及ぶスピーチを全て英語で行い、「両国の友好親善関係が、次代を担う若者や子供たちに着実に引き継がれ、一層進化していく一助となれば幸いです」、先の大戦を念頭に、「日英両国には、友好関係が損なわれた悲しむべき時期」があったとした上で、「苦難のときを経た後に、私の祖父(昭和天皇)や父(上皇さま)が女王陛下にお招きいただき、天皇としてこの地を訪れた際の思いがいかばかりであったか」と思いをはせた。
さらに「日英関係はかつてなく強固に発展しています」と述べた。両国関係の現状を「裾野が広がる雄大な山」と表現し、「先人が踏み固めた道を頼りに、感謝と尊敬の念と誇りを胸に、更に高みに登る機会を得ている我々は幸運と言えるでしょう」と述べ、両国が「かけがえのない友人」として「永続的な友好親善と協力関係を築いていくこと」を願い、しめくくった。- スピーチより抜粋】
カテゴリ:歴史
沖縄慰霊の日
2024.06.29
おはようございます。
毎年この日については触れるようにしています。「沖縄慰霊の日」、太平洋戦争末期、日本軍の組織的抵抗が終わりを迎えた1945年6月23日は沖縄での戦没者(約20万人以上)を追悼し、平和への願いを新たにする日として定められています。終戦日は8月15日ですが、沖縄の人たちにとってはこの日は忘れてはいけない日となっています。
沖縄は日本で唯一地上戦が行われた場所です。当時の軍部は勝ち目のない戦いに、沖縄を捨て駒とし本土決戦を少しでも遅らせ優位に立とうとしました。窮地に追い込まれた日本兵は住民を巻き込み、あるいは犠牲にし生き残ろうともがきました。戦争は同胞さえ見殺しにしてしまうような人間の残虐性を露にします。
【糸満市の「平和の礎」や「魂魄の塔」では、朝早くから遺族などが訪れ、静かに手を合わせて平和への祈りをささげました。「今、戦争の足音が聞こえる どうしても止めたい」、沖縄戦で祖父母や叔母など30人を亡くしたという今帰仁村の78歳の女性は、「ここからここまでみんな亡くなりました」と礎に刻まれた名前を指でなぞりながら話しました。当時の状況について「米軍が上陸してきたので祖父を中心に避難しましたが、入ろうとした墓にはすでに日本軍が入っていて祖父たちが入ることは許されなかったそうです。糸満のほうに逃げて民家にとどまっていたところ艦砲射撃にあうなどして1人しか生き残りませんでした。母の姉の家族や妹の家族も全滅しました」と話していました。そのうえで「今、戦争の足音が聞こえるでしょう。これをどうしても止めたいです。私は自分の身内から戦争の話を聞いているのでそれを伝えるのは義務だと思います」と話していました。】
このようなお話を語り継いでいかなければなりません。人間は過去を忘れたとき、同じような悲惨を繰り返します。だからこそ毎年同じ事実を、違った形、角度から考え直していく機会を持つ必要を感じます。
カテゴリ:歴史