孫からのメッセージ5
2024.10.23


おはようございます。
いつものように週末に孫が泊まりに来ました。日に日に成長がみられるのは嬉しいことですが、同時に下の子が生まれた影響で、赤ちゃん返り、少しのことで癇癪を起す、自分でも何が何だか分からない等の状況が増えてきました。家の中にいる時間が長いと悪循環が続くため、天気が良いのも幸いに、早朝、昼間、夕方と日に3度散歩に連れ出しました。外へ出れば見る物、会う人、昆虫、動物、植物すべてが新鮮で飽きることなく時間を満喫している様子で、帰宅しても比較的、食、排泄、睡眠などのリズムが整いやすいのは間違いありません。しかし私たちの体力は限界近くまですり減るのが実態です。正直息子2人は「これほど大変だったかな?」と、忘れてしまった記憶をたどってみるのでした。
しかし幼い子どもはやはり様々を私たちに教えてくれる存在です。「人一人を育てることは大変であること」、「欲求があるのは自然なこと」、「自分だけを見てほしいこと」、「応答をしてもらうことで安定できること」、「身近な大人こそ安心できる存在であること」、「信頼すべき人の表情や表現に敏感であること」等々、子どもが育っていくための出発点は、やはり最も身近において自分を観ていてくれる人の存在であることは間違いありません。祖父母の立場にある私たちも、自らの子どもが親となり、孫という掛け替えのない存在を与えられた家族として、精一杯豊かに育っていけるようにお手伝いをしていきたいと思います。
カテゴリ:発達
日本原水爆被害者団体協議会 ノーベル平和賞受賞
2024.10.23

「本当にうそみたいだ」と頬をつねりながら、涙を流す被団協代表箕牧智之代表委員の姿がとても印象的でした。それだけノーベル平和賞の団体受賞は唐突で驚くべきことだったと思います。過去にも佐藤栄作氏、オバマ氏等の政治家等の受賞が主流でしたが、2017年国際NGO、「ICAN」=「核兵器廃絶国際キャンペーン」が政治と一線を引く平和推進団体として選ばれて以来2つ目の団体受賞となります。
被団協は世界で唯一の原子爆弾被爆国として、その悲惨さを世界へ地道に発信している団体です。その地味な活動がなぜ世界的な平和賞に選ばれたのでしょうか?その意味を当事国として重く受け止めなければならないと思います。政治的に日本は今もなおアメリカの「核の傘」に守られる立場をとっており、「核兵器禁止条約」には不参加です。せめてオブザーバー参加をと願うことが、市民の立場としては納得いく考えだと思うのですが?【歴代総理は、核兵器禁止条約について、これまで次のように説明している。「核兵器のない世界という大きな目標に向け重要な条約だが、核兵器国は1国たりとも参加していない」条約には、アメリカやロシア、中国など、核兵器を保有する国々が参加していない。そこに日本だけ加わって議論をしても、実際に核廃絶にはつながらないというのだ。日本としては、核兵器保有国と非保有国の双方が加わるNPT=核拡散防止条約の再検討会議の枠組みなどを通じて、唯一の戦争被爆国として双方の橋渡しとなり、現実的に核軍縮を前に進めることを優先する立場だ。】
そんな議論をよそにガザ、ウクライナでは今も無差別な爆撃で市民が犠牲になっています。そして解決しない報復の繰り返しはいずれ禁じ手である核攻撃に進みかねない状況を生み出しつつあります。その脅威に歯止をかけるのは、政治だけの世界ではもはや不可能なのかもしれません。この意味においても今回の受賞は、最後の砦である一般市民に訴えかける貴重なチャンスと捉えられているようにも感じます。
人間は叡智ある生き物のはずです。世界で起こっている紛争、気候変動は他人ごとではありません。いつの日か巻き込まれる時がやってくることは、どんなに理屈が正しくても結局のところ戦争は、見境ない殺戮に麻痺する人間の過去の姿が物語り、最近の猛暑、災害などの気象災害で思い知っているはずです。
カテゴリ:戦争
子ども同士の関係性と大人の役割
2024.10.11
1歳児クラスの世界



この頃の子どもたちは夢中になってしまえば、自分だけの世界(自己中心性)に没頭します。またこの世界観を充実させることが大切です。しかし、異年齢や同年齢が同じ場所に存在すれば、それはそれなりに何かしら影響しあいます。
1歳児の中に一人だけ大きなおにーちゃん(オレンジ帽子)がいます。それだけで子どもたちの心の中は何かしらざわついているのです。大人や自分より年齢が高いひとは、必ず新しい事や楽しいこと、挑戦性があることを自分の心に届けてくれることを知っているかのようです。
椅子から平均台へ場所を移動しただけのように見えますが、ただこれだけのことが子どもたちにとっては、新しい経験のように見受けられます。大人が楽しいと感じることと、子どもたちが心動かされることは次元が異なっているように感じます。最初に座っていた椅子(机)は、幅広で座ることに怖さを感じるものではありません。しかし平均台は座るところが細いため、自分の身体を真っすぐに保たないと後ろへ転がることになります。そんな挑戦もはらんでいるかのように感じます。その世界へ導いてもらったのは、他でもなく大きなおにーちゃんなのです!
様々な勇気を体験しながら、目の当たりにし子どもたちは自分だけの挑戦、遊びを展開していきます。山、砂場、生きもの等々同年齢の中で思うままに自分の世界を創造し作り上げようとします。そのお互いの世界は、時にぶつかり合ったり、邪魔しあったり、同調したり、同じ年齢だからこそ遠慮なく様々な感情をぶつけ合うことができるのです。これが異年齢だと遠慮や関心、優しさ、思いやりといった感情や行動を沸き立たせていく関係性になるのです。
よって異年齢と同年齢、その両方の環境は子どもたちにとって必要不可欠な関係性であることが分かります。そしてさらなる発達のカギとなるのはそこに関わる保育士(大人)の存在なのです。どんな働きかけが大切でしょうか?働きかけない働き(見守り)もあります。しかしそのすべてにおいて、私たち保育者は個々の子どもたちの成長に目的をもって関わる必要があります。放っておいては単なる安全確保者でしかありません。もちろん安全は何よりも大切です。しかし一歩踏み込んだ見方、働きかけをしてこその専門家なのです。



この頃の子どもたちは夢中になってしまえば、自分だけの世界(自己中心性)に没頭します。またこの世界観を充実させることが大切です。しかし、異年齢や同年齢が同じ場所に存在すれば、それはそれなりに何かしら影響しあいます。
1歳児の中に一人だけ大きなおにーちゃん(オレンジ帽子)がいます。それだけで子どもたちの心の中は何かしらざわついているのです。大人や自分より年齢が高いひとは、必ず新しい事や楽しいこと、挑戦性があることを自分の心に届けてくれることを知っているかのようです。
椅子から平均台へ場所を移動しただけのように見えますが、ただこれだけのことが子どもたちにとっては、新しい経験のように見受けられます。大人が楽しいと感じることと、子どもたちが心動かされることは次元が異なっているように感じます。最初に座っていた椅子(机)は、幅広で座ることに怖さを感じるものではありません。しかし平均台は座るところが細いため、自分の身体を真っすぐに保たないと後ろへ転がることになります。そんな挑戦もはらんでいるかのように感じます。その世界へ導いてもらったのは、他でもなく大きなおにーちゃんなのです!
様々な勇気を体験しながら、目の当たりにし子どもたちは自分だけの挑戦、遊びを展開していきます。山、砂場、生きもの等々同年齢の中で思うままに自分の世界を創造し作り上げようとします。そのお互いの世界は、時にぶつかり合ったり、邪魔しあったり、同調したり、同じ年齢だからこそ遠慮なく様々な感情をぶつけ合うことができるのです。これが異年齢だと遠慮や関心、優しさ、思いやりといった感情や行動を沸き立たせていく関係性になるのです。
よって異年齢と同年齢、その両方の環境は子どもたちにとって必要不可欠な関係性であることが分かります。そしてさらなる発達のカギとなるのはそこに関わる保育士(大人)の存在なのです。どんな働きかけが大切でしょうか?働きかけない働き(見守り)もあります。しかしそのすべてにおいて、私たち保育者は個々の子どもたちの成長に目的をもって関わる必要があります。放っておいては単なる安全確保者でしかありません。もちろん安全は何よりも大切です。しかし一歩踏み込んだ見方、働きかけをしてこその専門家なのです。
カテゴリ:発達