お知らせ

研究と実践の差異

2023.07.25

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第三十四候「桐始結花 (きりはじめてはなをむすぶ)」 7/22~7/27頃
おはようございます。猛暑が続きます。負けないように食べ物や休息、気分転換が必要ですね。
【七十二候が大暑の初候に変わり、桐の花が実を結び始める頃になりました。桐は、初夏に薄紫色の花を咲かせ、盛夏を迎える今頃、卵形の実を結びます。この長さ3cmほどの実の中には、翼のある種子がたくさん入っており、風に乗って飛散します。桐の樹高は10メートル以上と大きく、花も高い場所に咲くため、目にする機会は少ないですが、古来より高貴な木とされ、家紋や紋章の意匠に取り入れられてきました。天皇家や日本政府、そして500円硬貨でも桐が使われています。】
「らんまん」。学者の世界は現代も論文発表が大切な業務の一つとなっています。先を争い学会発表した者が、新種の名付け親となれることも生き物を扱う分野では同様です。東京大学で学ぶ同士藤丸君は動物や生き物に関して、とても純粋に考え取り組んでいました。学会の競争原理に嫌気がさし、ある時万太郎に学校を辞めたいと打ち明けます。万太郎はそんな藤丸君を植物にたとえ、「弱いかもしれないが、他の誰よりも優しく特別な品種なんだ」、「一番住みやすい場所を探しに行く(休学)こと」を勧めます。人生は短いようで長いものですが、迷い、悩み、苦しさはつきものです。そんな世界を乗り越えていくためには、「逃げる」を「探す」に置き換え、明るく日々を生きていく知恵も必要であることを教えられました。行ってらっしゃい。

生きること
子どもたちの世界は道具と素材があれば、大人が思いもよらない方法で、自分自身の考えと方法を使いこなそうと奮闘します。その力はまさに「私はここにいる」、「私は生きている」という自己主張と生きる権利の行使を行っている姿に他なりません。その力に大人は蓋をしてしまってはならないと考えます。自分の身に危険が伴う時、お友だちを傷つけてしまいそうな時以外は、何をしようとしているのかをよくよく観察し、その言動を共有したり遊びが発展していけるように、助けてあげるのが大人の役割だと思います。子どもたちは道具を自らの考えで使ってみて、はじめてその性質を理解していきます。答えを先に示してしまえば、頭と身体を使い切る機会は奪われてしまうかもしれません。

人間の一生は「好奇心」と「挑戦」、「失敗」と「成功」の連続があるからこそ面白いのです。99回の失敗と1回の成功が「意欲」という、人間として必要な力の源になるのです。充たされるばかりでも不足ばかりでも、人間は前向きな考えを持続していきにくくなります。

カテゴリ:生き方

便利の代償

2023.07.21


おはようございます。お天気が続き梅雨が昨日明けました。嬉しいような本格的な夏の暑さが恐ろしいような何とも言えない気分ですね。
東京へ研修に行きました。新幹線、東京メトロ、久しぶりの遠方への移動に新しもの好きの心が弾みます。新幹線は電源があり、WIFIも無料で接続でき、10年前?には予想もつかなかったことができるようになりました。しかし浜松を過ぎたあたりから私は「富士山は見えないか?」と気になりだします。デジタルな機能を気にしつつ、やはり見慣れた日本一の山をこの眼で確かめたくなります。あいにく雲が多く見えませんでしたが、このワクワクは何にも代えがたいことだと思います。
東京メトロは東京駅から少し歩かなければなりません。方角が全く分からず駅員さんに聞くが易しと尋ねたところ、「ここをとにかく真っすぐ」と言われ、「えーどこで曲がるのだろう」と疑問に思いながら、ある程度の地図は頭にあったのですが、最後はやはりグーグル頼り!せっかくの東京を楽しむ余裕はなくなっていきます。それでも東京メトロの「かんかん娘-地下鉄発着の音楽」に「さすが銀座線」と感動し、脱日常はやはり面白いものだと感じたのです。
帰りは保護者ページ編集が待っています。行きの車内にて確認済みのWIFI機能で、余裕しゃくしゃくと思っていたところ、なんとトンネルに阻まれ、およそ30分の仕事が消滅!現代文明に翻弄される自分自身にあきれはてるのでした。後は楽しむしかありません。トンネルのスキを突き、写真や文章をこまめにアップ、旅情はどこへやら?良い経験をしました。文明の力を当てにするより、「アナログな楽しみに浸るべき時は自然に任せる」この極意を忘れないことですね!行ってらっしゃい。

カテゴリ:文明社会

環境変化の妙

2023.07.20

異年齢、部屋の移動、環境が変わることは悪いことばかりではありません。新鮮な感覚を味わったり、同年齢が少ない場所で「落ち着いて」遊びこんでいる様子も見られます。こうして意図的に変化を加えると、子どもたちひとり一人の「好む雰囲気」、「場所」等が分かってきます。人間は時に一人になったり、静かに過ごしたいときがあるものです。そんな様々な環境を用意しておくことは、子どもたち自身が落ち着き集中できる居場所を見つけることにもつながっていくと思います。

世の中では子どもの居場所がなくなってきています。昔は空き地や友だちの家で長い時間を過ごしたり、子ども同士だけで秘密の場所を持つこともできました。そんな許される雰囲気や環境が、今の世の中には不足してます。不審者や犯罪が多くなっているのも、子ども時代に「スキ」を与えられず過ごしてきたことが影響しているようにも感じます。

「子どもまんなか社会」とあらゆるところで言われます。その「まんなか」の意味は何かを問うていきたいと思います。いつも見られて、干渉され、ちやほやされ、用意万端な環境を与えられることが、真の「子どもまんなか」ではないはずです。子どもを「王子様、王女様」に仕立て上げては、頑張る力や苦境に耐え、這い上がる粘り強さは育たないのです。そのためにも「すきま」、「秘密」、「内緒」、「ゆとり」、「時には知らぬ顔」はとても大切です。

「物事、人はこうあるべき」も、見方によっては柔軟性がなく、変化に弱い人間性を作り上げます。「こんなこともある」、「今日はうまくいかないな」と紋切型ではない考え方を持つことで、子どもの育ち、性格も「穏やか」かつ「のびやかに」成長していくと思います。大人があまりに小さなことに神経を尖らせ、逐一指示、命令をしていくことは、同じように子どもも神経が尖り、神経質な心を生み出してしまいます。

カテゴリ:子育て

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