お知らせ

ちーちゃんの病気

2023.12.28

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おはようございます。
神経芽腫で闘病している9歳の女の子が、治療を行うためにイタリアへ渡って手術を受けることできる費用が、クラウドファンディングに挑戦したことで集まりました。(寄付者数千人 金額6千万円超)
【「ちーちゃん、応援しているよ」-。神経細胞にできるがん「神経芽腫」を患う小学3年生、久保田ちひろさん(9)=埼玉県狭山市=が海外で治療を受けるため、両親や知人らが支援を募ったところ、6千万円超という目標額に到達した。ちひろさんは来月半ば以降に渡欧し、治療を始める見込み。ちひろさんは3歳で発症。一時は腫瘍が消える「寛解」になったが、今夏に再発し、今は名古屋大病院(名古屋市)に入院している。神経芽腫は再発の場合、確立された治療法がなく、数年で亡くなることが多いという。そんな中、ちひろさんや家族は、イタリアの研究グループが4月に発表した新薬に注目。イタリアで今回出た論文は27人に治療をして、全体の3分の2に治療効果が出た。3分の1の人が完全にがんが消えたという報告をしている。とても驚くべき成果。世界中の医師や研究者がこの治療法に期待を持っている」(名大病院 小児科 高橋義行教授)-抜粋】
未来ある子どもたちが、病で苦しんでいる姿を見ることはとてもつらいですね。快癒を心から願っているご両親の気持ちを考えるととても心が痛みます。私自身、私の周りにも子どもの病気で悩んだり心配した人たちがいました。お母さんは「病気の体に生んでしまってごめんね・・・」と自分を責めてしまうケースもたくさんあります。そんな時周りで応援してくれる家族や仲間の存在はとても心に沁みます。殺伐とした話題ばかりが流れる昨今に、様々な人々の暖かな心を垣間見たようで、とても嬉しい気持ちになりました。多くの病に苦しむ子ども、ご家族、寂しい気持ちで暮らす人々が少しでも幸せな心で過ごせる年末年始でありますように願ってやみません。

カテゴリ:子育て

目先の価値観にぶれない!

2023.12.27

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おはようございます。
知的障害者のスポーツはパラリンピックが最も注目されていますが、スペシャルオリンピックス【SOは知的障害のある人たちがスポーツを通じて社会参加をする場を作っている国際組織で、パラリンピックとは全く違った価値観で成り立っている。知的発達障害のある人の自立や社会参加を目的として、日常的なスポーツプログラムや、成果の発表の場としての競技会を提供。】は「競争原理」よりも、「誰もが参加できる」が前面に押し出され、暖かな応援の声や拍手に包まれた障害者スポーツの世界です。
私自身も体育会系でバドミントン、野球、サッカー、バスケット、剣道等数々のスポーツをどちらかというと見るよりも行うことで自身の技の向上や、チームとしての勝ち負けにこだわってきました。山登りも自分に負けたくない一心でついつい無理をし、今年の夏は熱中症になりかけ身の程を知ることとなり反省でした。
SOは障害のない人も一緒に取り組むスポーツを「ユニファイドスポーツ」と名付け普及に力を入れています。スポーツの語源は「デポルターレ(ラテン語)」、「義務から離れる」、「気晴らし」といった意味だそうです。表彰台も大勢が並び喜び合い、頂点を争わない価値観を持つSOはまさに「行うことの楽しさ」を「誰もが楽しみ共有する」といえます。競技スポーツが国ぐるみのドーピングなどで人間性を欠くような状況となっている昨今、「頂点」ではなく「共に認め喜びを分かつ」スポーツのあり方が、最も語源に忠実で意義あることのように思えます。
大坂・関西万博、東京オリンピックなど巨額の税金を投じて実施する催しは何のためにあるのか?今まで大々的に行われてきた幼稚園、保育園の行事等、いったい誰のために、何のために行われているのかを考え直し、「ひとり一人の幸福」を前提とした意義や価値観を押さえ、ぶれないようにしていかなければ、間違った価値観(華やかさ、目先の力の向上)に陥ってしまうのが眼に見えています。今の世の中の自殺者の数、学校へ行けない子ども、虐待、様々な人間関係から起こる事件は、そもそもの意義や原義からかけ離れることで起きています。考えるべきです。行ってらっしゃい。

カテゴリ:スポーツ

その時(年齢に適した)の発達の大切さ!

2023.12.26




子どもたちにとっては自分で靴を履いたり、ボタンをかける、ファスナーを上げ下げするよりも、友だち、先生のものを対面でやる方がやりやすいようです。自分では見えにくいし、見えない個所を手探りで行うことは確かに難しいですね。見えないということは、該当箇所までの距離感を身体で覚えていないとうまく操作できません。これは視覚に頼っていることが大半のために、手探りに慣れていないから起こることです。

このような力を育てるには手探りの遊びをしていくことが良いと思います。子どもは「なんだろうね?」、「さあ 当てることができるかな?」等の誘い文句に大変興味を持ちます。習慣(着脱・排泄・食事・睡眠・手洗い)は子どもたちにとって面白みがないため、ついつい億劫になりがちです。すべてを遊びで誘導するのはこれもまた問題がありますが、手洗いで水を出しているとついつい水遊びになってしまうのも、興味ある素材が目の前にあればごく自然な行動なのです。

そのような身支度と遊びの区別ができるようになるには、時間の経過による心身の発達を待たなければなりません。いずれは生活と学びは子ども自身の中で分離していきます。その区別がほぼ存在しないのが乳幼児期なのです。これは極自然なことで無理な我慢を強制していくと、心が満たされず欲求不満を残し年齢を重ねていくこととなります。その不満はいつの日か「反抗」、「拒絶」といった強い態度で安心できる対象に向けられることになります。反抗期は一般的には誰にでもあることがほとんどですが、屈折した行き場のない「思い」が、乳幼児期に重なることはとても危険なことです。「欲求を満たす」は幼い時期ほどどうぞ尊重してあげてください。その思いが十分満たされた子ほど早く親から離れていきます。

子どもたちにとって何が大切か?それは最終的に親から離れ自立し、ひとりの人間として自分の世界を縦横無尽に生き抜くことです。親から離れず自立できない若者、子どもから離れられない親が多くなる世の中は、自立、自律できない見かけだけが大人の人間を増やしていくことに繋がります。学習も早ければよいのではなく、「発達のその時期、瞬間を十分に過ごす」ことが最も大切なのです。「積み残しがない発達過程」を経験できるように家庭と教育保育機関で協力していくことが大切です。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

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