お知らせ

雑草と草刈りの効用

2023.06.15


草刈り後の さっぱりとした園庭






おはようございます。今日も南の海上に梅雨前線があるため、快晴とはいきませんが、時々晴れ間も現れるのではないかと期待します。気温は徐々に高くなっていきます。園庭の野菜も順調に育っている様子ですが、湿気が多すぎて根腐れも心配します。
さて、昨日夕刻園庭の草刈りをしました。気温が高くなると草丈も伸び、同時に蚊や毒のある虫も増えてきます。ある程度除草することで虫の害も減りますので、梅雨明け前に1回は地面すれすれまでの刈込が必要となります。しかし、根こそぎ抜いてしまうと、生き物が何もいなくなり、土も痩せ何も育たなくなるため適度が大切です。草は見映え、虫刺され等で、良いことはないように思われますが、日中の輻射熱を抑え二酸化炭素を吸収し、酸素を輩出することで地面付近の温度を下げる効果があります。森、山へ行くと澄んだ空気を感じますね。また、人間の身体ばかりではなく、土壌にしっかりと根を張ることで地面が崩れることを防ぐなどの作用があります。森林伐採、針葉樹(杉)ばかりを植林する(根が浅い)ことが、山の土壌に良くないことは、ゲリラ的豪雨が発生したときの大きな災害ニュースで皮肉にも実証されています。園庭に増え続けるシロツメクサは、根がとても強く一度広がると留まるところを知りません。元は外国から持ち込まれた草で、家畜の飼料として使われていたのですが、日本の風土に合うのでしょう。一気に広がりましたね。動物が好んで食べるくらいですから、栄養価も高いようです。
何事も「中庸」、「今中」、「いい加減」が必要なのです。その「ころ合」が肌身で理解できると、自然や人との付き合い方にも通ずるコツのようなものが分かってきます。若いころには中々気付けませんが、失敗をしてきたからこその到達点かもしれません。
子どもたちも生まれてわずかな期間の中で、毎日様々な自然、人に出会っています。そのことが五感や生きる方法を身につけていく刺激になります。特に乳幼児期は感受性豊かと言えますので、強すぎない程度に様々な環境に触れていくことは大切です。しかし、情報量が多すぎると子どもの心と身体の許容範囲を超え、病気や不安定な心に傾いていきやすくなりますので適量が肝心です。本来自然は人間が手を入れなくても、適度なところで自らを制限するすべも持っています。里山は人が手を入れることで共生力を保ちます。人工物はついつい限度を超えた使い方をしてしまいます。扱いはよくよく考えていくべきですね。
今日も自然から学び、人工物を正しくコントロールし、安定した生活を送っていきましょう。行ってらっしゃい。

好きな遊びに取り組む大切さ!
今日は曇り空でしたが、外でも遊ぶことができ子どもたちも満足そうな表情を見せていました。慣れ親しんだ楽しさいっぱいの園庭は、今日も子どもたち心をくすぐります。様々な遊びを行っていく中で、自らのお気に入りの玩具、場所、遊び方に集中し、指先づかい、全身づかいで自らを鍛えていきます。鍛えられる力は体ばかりではありません。「やろうとする気持ち」、「諦めず何度も挑戦する心」、「大好きな友だちと一緒に過ごしたい意欲」、「小さな子への優しさ、いたわりの心」、これら大切な心情を遊びを通じて自らの力で育んでいくことは、自信という強い心根を生み出します。
さらに「自分はここで遊んでいて大丈夫、仲間や先生とたくさん遊ぶんだ」といった自己肯定感を育て、生活習慣という楽しみの前の面倒な「やるべきこと」に対しても、協力動作をしていく気持ちになり、早く遊びたいための準備技術が上達していきます。同時に「これをすませば、次は外でいっぱい遊べる」という見通しをも育てていくのです。強制や怖れによる締め付けからは、従順かつ他律的で無表情な感情しか生まれてきません。自分で結果を得ることがこんなに幼い時から必要であることは、先の成長を見越してのことでもあるのです。でも、「今」が大切です。目の前にある子どもたちの発達段階を認めることが、「子どもの人権を守り」、「子ども自身の成長を促す」大きな力になることを、どうぞ覚えておいてください。

カテゴリ:生き物・自然・人間

卒園生、転園生のみなさんへ30

2023.06.14

雨上がりの園庭
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まだ棒遊びは終わりません! そうとう楽しいようです 穴を使って 水をすくい 背もたれのパイプの穴に お水を入れているのかな?

子どもたちは性格にもよりますが、「動いてみた」、「遊んでみた」結果で物事の楽しさ、性質を学んでいくと感じます。今日は蒸し暑く時々気持ちの良い風が吹き、衣服が水でぬれてもそれほど不快感や寒さを感じることがありませんでした。こんな気候の時は水遊びにもってこいですね。泥や水は子どもによっては、ある時期遊ぶことを嫌がる、躊躇する場合が見られます。そんな時は自分なりのペースで素材と環境に対して距離が縮まるのを待ちます。もちろん抵抗がない方法から誘うことは忘れません。「水が冷たくて気持ちが良い」ことは、小さな子でも経験から分かっていると思います、ただドロドロや水道水ではないこと、自分の経験外の対象であることに戸惑いを感じるのです。しかし外気温や日照などの条件によっては「ひょんなきっかけ」で一気にその不安な気持ちが払しょくされることもあります。「その時」が訪れるのは心の中が準備され、外的環境がマッチしたときです。その時こそ心は開かれ、はじけるような笑顔が現れるはずです。私たちは心が発動しやすいように、ひそかに時に大胆に機会を提供していくのみです。
「こどもがこどもらしく生きること」はとても大切なことです。成長段階の一瞬々は同じ体験を同じ感覚で味わうのに2度目はありません。その都度受けとめる感覚、感動も変化していくことを思うと、その一瞬が最高の喜びであってほしいと願います。一緒に喜びを分かち合う時、その感情はきっと子どもたちひとり一人の宝物となっていくことでしょう。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

卒園生、転園生のみなさんへ29

2023.06.13


おはようございます。今日は予報とは少し異なり、朝から日差しがあります。洗濯物もよく乾きそうです。気温は高くなりますので水分補給に努めましょう。
【七十二候が芒種の次候に変わり、草の中から蛍が舞い、明りを灯しながら飛び交う頃となりました。古くは、暑さに蒸れて腐った草や竹の根が、蛍になると信じられていたそうです。水辺や野の暗がりに浮かんでは消える蛍の光は、まさに夏の風物詩。夏の夜を幻想的に照らし出してくれます。「夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」これは、清少納言の枕草子『春はあけぼの』に登場する有名な一節です。夏は夜が趣深い。月が出ている夜はもちろんのこと、闇夜もまた、蛍が多く飛び交っている様子も良い。また、それらがただ一つ二つと、ほのかに光って飛んでいるのも良い。夜に雨が降るのも趣があって良いと、綴っています。短い一節ですが、閑雅な光景が浮かんできますね。蛍が放つ淡い光は「蛍火」と呼ばれ、夏の季語にもなっています。】
情報が少ない昔は、見える、聴こえる、匂う、感じる等の五感で、知っている事物に置き換えて「○○のようだ」と例えたり、判断することがほとんどでした。その過程の中に自分自身の心を映し出し、表現力を高めていたと感じます。その結果優れた文学や絵画、音楽が生まれてきたのかもしれません。現代文明はこの「雅」、「哀れ」等の感性を生みにくくしています。人間は時々自然の中で過ごし、本来持っているはずの感性の働きを呼び覚まさなければなりません。人間であることの素晴らしさは、生き物としての繊細さや身近な生死を感じることで、限りある人生の一コマを大切に生きようと思う心を持てることでもあります。様々な自然の営みに触れてみてください。この地球で息づく自然や生き物に触れることは、「今」が違って見えることにつながるはずです。行ってらっしゃい。

カテゴリ:生き物・自然・人間

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