地域の皆様とともに
2023.06.20
今朝の園庭 6.20

おはようございます。梅雨らしさは影を潜め晴天が続きます。今朝は昨日より気温も低めで過ごしやすい気候となりそうです。
今日明日は一般向け園庭開放日となります。保育園を地域に開いていくために、とても大切な機会ととらえています。「地域で子どもたちを育て、育てられる」を目指して頑張っていきたいと思います。まだまだ参加者は少ないですが、何事も継続が大切。最初は小さな輪でも信じて歩みを進めていきたいと思います。
コミュニケーションについて考える機会を増やしています。人間同士は家族間、職場、地域で生活する毎日の中で、対話していくことが大事だと思います。コミュニケーションという言葉は、「共有」という大切な意味を含んでいます。我々保育職員は子どもたちはもちろんですが、保護者の皆様、職場内の同僚ひとり一人と気持ちや行動を共有していくことが大切であり、プロ意識を持って臨まなければならない考えています。
人間同士は性格、考え方、方法も違うことが前提ですが、「共有」するためのスキルを身につけていってこそ、共通の目的に向かっていくことができます。そのためには、自己の感情をコントロールし、論争ではなく平和的に会話し一致点を見つけていく努力が必要です。保護者の皆様はいかがでしょうか?感情的になってしまうことも人間だから仕方はありませんが、お互いの考え方の違いは認め、相手如何ではなく「共有」を求め自分が変わることは可能であると思います。視点を変え人や物事を見つめ、今日も生きていきたいですね。行ってらっしゃい。
園庭開放 ご参加ありがとうございました!
今日は花曇りで強い日差しはなく、園庭開放にはもってこいの気候だったと思います。合計4組の親子様、チーかにサロンの皆さま(地域住民・支援者他)がおいでいただきました。
チーかにサロンのNさんは82歳と思えない元気のよさ、受けごたえ、体力、にこやかさ等、何もかも人生の先輩として見習うべき姿勢を多々感じます。昨日から畑作りの準備に来てくださり、子どもたちにも気さくに話しかけ、積極的に人や自然との距離を縮めていかれます。この力こそ地域の子育て、人間関係作りに必要であると思います。お母さま方もとてもにこやかで、園児さんも含め子どもたちを愛おしく見守っておられる姿が、とてもやさしい雰囲気を作っていました。また、2、3度いらっしゃっているお母さんは、本園の子どもたちもどこかで見たことがあるお母さんと覚えているのでしょうか?躊躇なく近づき赤ちゃんの頭を優しくなぜるなどして親しみます。さらに、赤ちゃんとお母さんという関係性を目の当たりにすることは、3歳前後の子どもたちにとっては「見立て」、「ふり」を行ってみたい対象が目の前に現れるわけですから、これほど気持ち躍ることはないと思います。やはり今は子どもたちにとって人間関係の質よりも量が必要なようです。
園の子どもたち、園庭開放でいらした親子様、年代の離れた方、普段はそれぞれの生活圏で日々を過ごしている多世代の皆様が、園庭という空間を共にすることで、決して大々的ではありませんが、何かしら影響し合うことが可能な瞬間を作り出していると思います。保育士、私、子どもたちは各々人との関係性をもっていますが、意図的に少しだけ広がる場所をつくれば、新たな子育て仲間、地域の先達、支援者の皆様に出会うことができます。こんな素敵なことはないと思います。人である以上私は狭い人間関係の中で生きていくよりも、まだ会うことができていない素敵な人とのめぐり逢いを思い描き、日々を楽しみに過ごしていきたいと願っています。
本日ご参加いただきました皆様全員に感謝申し上げます。

おはようございます。梅雨らしさは影を潜め晴天が続きます。今朝は昨日より気温も低めで過ごしやすい気候となりそうです。
今日明日は一般向け園庭開放日となります。保育園を地域に開いていくために、とても大切な機会ととらえています。「地域で子どもたちを育て、育てられる」を目指して頑張っていきたいと思います。まだまだ参加者は少ないですが、何事も継続が大切。最初は小さな輪でも信じて歩みを進めていきたいと思います。
コミュニケーションについて考える機会を増やしています。人間同士は家族間、職場、地域で生活する毎日の中で、対話していくことが大事だと思います。コミュニケーションという言葉は、「共有」という大切な意味を含んでいます。我々保育職員は子どもたちはもちろんですが、保護者の皆様、職場内の同僚ひとり一人と気持ちや行動を共有していくことが大切であり、プロ意識を持って臨まなければならない考えています。
人間同士は性格、考え方、方法も違うことが前提ですが、「共有」するためのスキルを身につけていってこそ、共通の目的に向かっていくことができます。そのためには、自己の感情をコントロールし、論争ではなく平和的に会話し一致点を見つけていく努力が必要です。保護者の皆様はいかがでしょうか?感情的になってしまうことも人間だから仕方はありませんが、お互いの考え方の違いは認め、相手如何ではなく「共有」を求め自分が変わることは可能であると思います。視点を変え人や物事を見つめ、今日も生きていきたいですね。行ってらっしゃい。
園庭開放 ご参加ありがとうございました!
今日は花曇りで強い日差しはなく、園庭開放にはもってこいの気候だったと思います。合計4組の親子様、チーかにサロンの皆さま(地域住民・支援者他)がおいでいただきました。
チーかにサロンのNさんは82歳と思えない元気のよさ、受けごたえ、体力、にこやかさ等、何もかも人生の先輩として見習うべき姿勢を多々感じます。昨日から畑作りの準備に来てくださり、子どもたちにも気さくに話しかけ、積極的に人や自然との距離を縮めていかれます。この力こそ地域の子育て、人間関係作りに必要であると思います。お母さま方もとてもにこやかで、園児さんも含め子どもたちを愛おしく見守っておられる姿が、とてもやさしい雰囲気を作っていました。また、2、3度いらっしゃっているお母さんは、本園の子どもたちもどこかで見たことがあるお母さんと覚えているのでしょうか?躊躇なく近づき赤ちゃんの頭を優しくなぜるなどして親しみます。さらに、赤ちゃんとお母さんという関係性を目の当たりにすることは、3歳前後の子どもたちにとっては「見立て」、「ふり」を行ってみたい対象が目の前に現れるわけですから、これほど気持ち躍ることはないと思います。やはり今は子どもたちにとって人間関係の質よりも量が必要なようです。
園の子どもたち、園庭開放でいらした親子様、年代の離れた方、普段はそれぞれの生活圏で日々を過ごしている多世代の皆様が、園庭という空間を共にすることで、決して大々的ではありませんが、何かしら影響し合うことが可能な瞬間を作り出していると思います。保育士、私、子どもたちは各々人との関係性をもっていますが、意図的に少しだけ広がる場所をつくれば、新たな子育て仲間、地域の先達、支援者の皆様に出会うことができます。こんな素敵なことはないと思います。人である以上私は狭い人間関係の中で生きていくよりも、まだ会うことができていない素敵な人とのめぐり逢いを思い描き、日々を楽しみに過ごしていきたいと願っています。
本日ご参加いただきました皆様全員に感謝申し上げます。
カテゴリ:園庭開放
一途に生きる!
2023.06.18
植物画を描く 牧野万太郎

おはようございます。梅雨明けを思わせるようなお天気です。暑さも増しますが、私にとって夏は何となく心躍る季節です。情熱、一途、燃える心等を連想させる躍動感はとても好きです。
さて、朝の連続ドラマ「らんまん」では、植物学者を目指して懸命に日々を生きる、牧野万太郎こと牧野富太郎の人生を描いています。植物以外には目もくれず突き進む姿は圧巻です。ドラマの中で夜明けまで一緒に植物論集制作に励む同志の言葉が印象に残ります。「まんちゃんを視ていると、空っぽの器の中に情熱を持って目いっぱい詰め込んでいるようだ」、「凄まじい集中力だ」、「自分もかくありたい」と一途でひたむきな情熱を称賛し、勇気をもらう姿が心に染みました。
人間は情熱を注げる人、仕事、趣味を見つけることが大切です。たとえ不遇な時代が続いたとしても、一途に見つけたことに没頭していると、そこから道が開くこともあるからです。苦しい時も喜びの時も、その「一途な思い」さえあれば、いつの日か乗り越えていけると信じます。この世に生まれ出た喜びと責務を、後悔なく過ごすためにも、追い求めていきたい心ですね。行ってらっしゃい。
夕刻
野菜でスタンプ(オクラ)、虫取り等子どもたちにとって、自然はやはり身近な存在です。人工物も自然物も触れてみてこそ相手が何者であるかが分かります。様々な感覚器官をフルに活用すれば、速く詳しく特徴をつかむことができます。だいたい何かが分かったら次はどう使うかです。固定された方法はありませんので、気の向くままに試していけばよいと思います。どの方法が目的に合致しているかどうかの判断は、もっともっと先の発達でつかみ取るものだと思います。今は自分の手指で扱ってみて、どんな楽しさが生まれるのかを体で感じ、心を揺さぶられながら同じ感覚を味わいたくなったり、「もっと、もっと」と何回も繰り返すことで新たな発見をし、遊びが発展するなどにつながっていきます。その好循環が心身の発達につながっていくことはこれまでにお伝えした通りです。

おはようございます。梅雨明けを思わせるようなお天気です。暑さも増しますが、私にとって夏は何となく心躍る季節です。情熱、一途、燃える心等を連想させる躍動感はとても好きです。
さて、朝の連続ドラマ「らんまん」では、植物学者を目指して懸命に日々を生きる、牧野万太郎こと牧野富太郎の人生を描いています。植物以外には目もくれず突き進む姿は圧巻です。ドラマの中で夜明けまで一緒に植物論集制作に励む同志の言葉が印象に残ります。「まんちゃんを視ていると、空っぽの器の中に情熱を持って目いっぱい詰め込んでいるようだ」、「凄まじい集中力だ」、「自分もかくありたい」と一途でひたむきな情熱を称賛し、勇気をもらう姿が心に染みました。
人間は情熱を注げる人、仕事、趣味を見つけることが大切です。たとえ不遇な時代が続いたとしても、一途に見つけたことに没頭していると、そこから道が開くこともあるからです。苦しい時も喜びの時も、その「一途な思い」さえあれば、いつの日か乗り越えていけると信じます。この世に生まれ出た喜びと責務を、後悔なく過ごすためにも、追い求めていきたい心ですね。行ってらっしゃい。
夕刻
野菜でスタンプ(オクラ)、虫取り等子どもたちにとって、自然はやはり身近な存在です。人工物も自然物も触れてみてこそ相手が何者であるかが分かります。様々な感覚器官をフルに活用すれば、速く詳しく特徴をつかむことができます。だいたい何かが分かったら次はどう使うかです。固定された方法はありませんので、気の向くままに試していけばよいと思います。どの方法が目的に合致しているかどうかの判断は、もっともっと先の発達でつかみ取るものだと思います。今は自分の手指で扱ってみて、どんな楽しさが生まれるのかを体で感じ、心を揺さぶられながら同じ感覚を味わいたくなったり、「もっと、もっと」と何回も繰り返すことで新たな発見をし、遊びが発展するなどにつながっていきます。その好循環が心身の発達につながっていくことはこれまでにお伝えした通りです。
カテゴリ:生き方
卒園生、転園生のみなさんへ31
2023.06.16

おはようございます。
【七十二候が芒種の末候に変わり、青々と大きく実った梅の実が、黄色く色付き始める頃となりました。“梅の実が熟す頃の雨” ということから「梅雨」になったとも言われ、梅雨時である陰暦5月を「梅の色月」と美しく言い表した言葉も残っています。梅は、古くから日本人に身近な植物ですが、もともとは花よりもその実が万病に効くとされ、奈良時代に薬用植物として中国から伝わったといいます。じめじめとした梅雨に入り、身体の免疫力が落ちるこの時期、クエン酸が豊富で疲労回復、食欲増進の作用がある梅干しは、古くから重宝されてきました。殺菌作用も強いので、食中毒の予防にも役立ちます。収穫された梅の実は、梅干しや梅酒、梅シロップや梅ジャムなど、保存食として幅広く利用されています。梅酒用には、まだ熟す前の青く硬い実が、梅干しや梅酢用なら、完熟してちょっと黄色くなったくらいのものが良いそうです。】
今年も梅干し作りの季節がやってきました。我が家でも仲間からいただいた梅の実を、干す、漬ける、干すを梅雨明けにかけて繰り返し、心を込めて作っています。梅干し作りは人を育てることにも似ています。手間をかけずに放っておくと、中から水分が出てビニールなどに入れたままですと、湿気で腐ってしまいます。しばらくはへたをとり陰干しで水分を抜くことが必要です。それも梅同士がなるべく引っ付かないように、百均のよしずや新聞紙などに丁寧に置いておきます。とはいえたくさんあると丁寧にできず傷んでしまうこともあります。しかしちょっとやそっとでやられませんので、変色する前に塩と漬け込めば、塩と梅両方の殺菌作用で問題はほぼありません。植物は気候や状態に気を配れば答えてくれますが、人間はなかなかそのようにはいきませんね。しかし、根気が大切なこと、1度要領を学べば意外と育児は楽しくなるものです。梅の一粒々に子どもたちの顔を思い浮かべながら、今日もせっせと様子を見守るのでした。行ってらっしゃい。
夕刻
園庭での子どもたちの姿はいかがでしたでしょうか?子どもたちの自由奔放な姿に驚く、いやいやいつものことでしょうか?私たちは子どもたちの自由な園庭での言動を、できるだけ尊重できるように努力しています。最低限の安全確保、学びの機会は環境の整備が始まりです。園庭においても保育室でも、このことは忘れてはいけないことだと断言します。
今後も子どもたちは成長の途上の中で、きっと親が知ったらとんでもないことをしていくことでしょう。私たちは今は大人ですが、親に分からないように「危険、悪いこと」もしてきたはずです。しかし、今、世の中で問題になっていることは、このような経験を経てきていない子どもたちが多いと感じます。「親に内緒」これは親としては怖いことかもしれません。しかし、本人がやってみたいことに取り組むことを承認することは、本人が「これ以上はできない、してはいけない」と自分の心の中に歯止めを持てるように考えるきっかけとなることにつながります。そのためには、本人が自己決定し行うことを、保障していかなければなりません。規制してその危うさを学ぶ機会を邪魔してはならないのです。
思い返せば私も悪だくみをし、行ったことも数知れません。しかし、そのおかげで限度を学んできました。それは青年期まで続きます。本当に危うくなった時に親は成人前までは、子どもに「少し立ち止まること」を伝えることは許されるはずです。親に反対されたり、きつく戒められても、そこを乗り越えるだけの考えと責任を身につけているかどうかが大切になってきます。
そのような意味で、乳幼児期は「思いのまま」に過ごしていくことがとても大切な期間なのです。親子、保育士、教員との関係性をしっかりと保てるような力の育成は、この世に生まれてきた時から始まっていると思います。親としての第一義的責任、保育者としての責任、祖父母としての責任はそれぞれ異なります。しかし、産み育てる行為は人間にとって最も崇高で、真剣に考えなければならないことなのです。少子化は喫緊の問題です。子どもがいなくなれば人間は滅びます。そこが考えられていない政治、教育、子育てだから、時代と社会が生み出す世界に流された結果の、悲惨な事件が生まれていると考えます。いかがでしょうか?あくまで私見です。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!