お知らせ

集団生活で必要な視方と考え

2023.10.27

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さわやかな青空の元、とても気持ち良い誕生会でした。それぞれに遊んでいた子どもたちも音楽(電子ピアノ)と保育士の掛声に素早く反応し、楽しさを感じたのでしょうか?歌遊びに集中して取り組む姿がありました。気候のなせる業か、保育士のタイミングの良さか、遊びこんだ満足感からか、とてもスムースにすべての子どもたちが集まり遊んでいました。集中力が短い今現在(0歳児~4歳未満)の子どもたちには、場所や時間帯等様々な環境変化、タイミングを配慮しなければ、一か所に長い時間集まっていることは不可能に近いことです。

環境とプログラムがマッチすると、個別対応が大切な乳幼児さんの集団も、とてもスムースに楽しさが広がっていくようになります。逆にうまくいかない、小さなケガが連続する、プログラムがうまく運ばない等の状況も、いくら気を付けていても「起きる時には起きる」のが経験上感じることです。この流れにはまり込むことがないように気を付けなければなりません。自然の「気」とでもいうのでしょうか?ことが起きる時は前触れや、積み重なる前兆が起きていますので、そこを見落とさないようにしています。

子どもたちの健康も同じです。こればかりは目に見えない変化の場合もあります。「何となくおかしい?」この直観力が頼りとなります。長い時間子どもたちの仕事、自然教育活動などを行っていますと、子どもや人の心は「緊張」と「弛緩」を繰り返すことが分かっていますので、危険なこと(水、登山、気温変化、天候変化)に対して敏感にもなります。また、その影響が心と体に影響を及ぼすこともあります。(体のふるえ-不安、怖れからくる体温変化など)子どもたちの心をコントロールするためには、意図的に厳しい口調を使用するなど、適度な緊張感を与える場面も当然あるのです。

昨今の報道、行政はその一場面だけを取り上げて「虐待」、「不適切」と騒ぎ立てていることも多いと思います。もちろん保護者様の立場からは子どもたちへの適切で健全な対応を求められるのは至極当然です。危険でもないのに明らかに不適切な言葉や身体に負担をかけるような叱り方は問題外ですが、「保育」は集団(2人以上のことを指します)である限り、上記のような感情コントロールの方法は必要不可欠です。                                                              とはいっても乳幼児と言われる時代には、「それほどまでの危険状況への挑戦があり得ない」ということ、「幼い心は脆く壊れやすいものである」こと、この2点を肝に銘じておかなければならないことは周知の事実です。大人も子どもも「矩を越えず」はとても大切な教えです。その年齢、職責なりの限度を超えてしまうと大人でも事故や間違いを起こしてしまうこともあるのです。

話が飛躍しましたが、「丁度良い」、「中庸」、「なかいま」、「いい加減」等の言葉は、だから東洋文化では大切にされてきた考え方だと思います。曖昧が良いとは決して申しませんが、白か黒かの文化が絶対だとも言い切れませんね。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

欲のコントロール

2023.10.27

観てみたい映画 「子どもの時間-野中真理子監督 2001年」さいたま いなほ保育園 
http://nonaka-mariko.com/kodomono-jikan


世界は相次ぐ紛争で混沌とし命が軽んじられ、国内では物価高、文明化がもたらす孤立、虐待、事件、軍拡、環境汚染が相次いでいます。人間は果てしのない欲望をコントロールできず「宇宙の原理」、「見えぬ存在」に背いているような気がしてなりません。古の巨人は現代にも通ずる言葉で「欲」の制御を発信しています。欲は人類発展のために使わなければ、人間を堕落させると・・・・・。
イスラエルはどうしてもハマスを壊滅させたいと願います。それは長年お互いが命を奪い合った「恨み」に根源があります。その行為を繰り返していれば永遠に終わりは訪れません。大国も私益を優先し拒否権発動を交互に主張しあっていたのでは埒(らち)が明きません。文明社会はますます争いを複雑化させ、便利なはずの世の中を作ったにもかかわらず、その発展が「人間の孤立」を生み出しています。
「シンプルであることが大切です。」人間が真に精神的に発展していくためには、「欲」の使い方を間違ってはならないと思います。少子化はなぜ進むのか?これも現代人の生き方が文明社会の影響で変わってきたからだと思います。「何も知らない」、「器が空っぽ」であることは、様々なエネルギーがその中へ流入できる状態を示しています。ところが世界はほとんど何もかもがその質量ともに、酸いも甘いも経験しながら人間同士の関りを通じて得られる過程(労苦)を経ず、事前にほとんど分かってしまいます。そのことは欲を満たすために行う純粋な行動を飛び越え、醜悪な感情や敵対の構造を生み続けています。子どもたちは純粋な欲望を自己の成長のために使います。まさに濁りのない原点を見せてくれています。その純粋な生き方に大人は範を示し、人生が生きていくに値する素晴らしい世界であることを見せていく必要があります。そろそろ気付いたことを実践に移すべきです。身の回りを見渡してみてください。きっと一つや二つは、自分が手を差し伸べることで「変えられること」があるはずです。行ってらっしゃい。

カテゴリ:生き方

子どもは遊びの天才だ!

2023.10.26

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あなたにかかっては basket が hat に 変身だ!

今日も見せてくれています!様々な自然、玩具の状態を「見る」、「触れる」、といった感覚でキャッチし「おりる」、「まるめる」、「のせる」、「かぶる」、「おす」、「くぐる」、「ひっぱる」、「のばす」等々、様々な動きに転換していきます。これらの動作は本人が経験を通して挑戦してきたことが元になっています。

同じ動作を遊びという楽しさの中で繰り返すことによって、機能的な動きが発達し定着していくのです。比較的大きな筋力、関節などの動きを伴うのが「外遊び」です。平坦な地面よりも起伏ある環境、障害物のないのっぺらな地面よりも樹木や生活備品(机、いす)、遊び備品(平均台、遊具、タイヤ)がころがっていた方が、物、人を避ける注意力、走るスピードのコントロール、目でキャッチした情報を素早く脳に伝え、さらに足や手の操作に返していく時間も早く反応できるようになると思います。さらに、何度も行き来することで地形や配置は記憶として残り、次回の利用時に「短時間で身体が反応する」という利点も得られていると思います。

また、自然の素材は人工物にない複雑な感触を持っていますので、子どもたちにとってこれほど不思議で遊びがいのある素材はないのです。人工物には限界があります。反対にどんな「見立て」にも対応可能な自然素材!保育士はもちろん大人の視方ひとつで、子どもたちがどんな利用の仕方、素材の何に興味や意欲を感じているかがキャッチできれば「ほめること」、「認めること」も容易になります。そして大人の映し出し(認め、褒めた具体的な言葉【形容詞・名詞・擬態語】)と表情の豊かさが、子どもたちとの信頼をより強くすることにつながっていることは明らかです。

あそびの視方・遊びに取り組む子どもの姿をとらえる力=子どもの発達をとらえる力=相互の信頼関係を作る力であることを心に留めておけば、年長までの子どもたちは遊びを求めて大人の周りに集まってきます。結果近くで遊ぶ子どもとの関係を再度深めることにより安全をも確保できるのです。私の経験から言えることを書きました。子どもは遊びの天才です。そしてその力を伸ばしていけるのは、確かな愛情を持った大人に見守られた「子ども自身の伸びようとする力」です。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

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