卒園生、転園生のみなさんへ28
2023.06.12
いわさきちひろ

おはようございます。今朝は湿気が多く雨の1日となりそうです。
週末に孫(生後2ケ月少し)が我が家にやってきました。何年ぶりでしょうか、お風呂に入り湯船につかり、気持ちよさそうな顔を見ていると、思わず声をかけ、少しづつ表情や感情が現れてきた孫をいとおしく思う気持ちが湧いてきます。我が子の時とはまた異なる思いは何とも言えません。若い時は中々心に余裕がないものです。こうして私たちも赤んぼうのころ、家族にかわいがられて育ってきたのだと感慨深いことです。
母性本能は決してお母さんだけにあるものではなく、父親にも祖父母にも作られます。ただその役割は異なっているように思います。男性は女性にはなることができないため、すべてを半分とか大変な思いをして子どもを産んだのだからあとは父親の仕事、とはいきませんね。ですが育児に対し「手伝う」といった感覚ではなく、能動的に自己の価値観(もちろん家族間の合意の元)をもって、「育てる」をしていかなければなりません。そうすることで赤ちゃんはしっかりと父を「自分を大切にしてくれる人」としてとらえていきます。
子どもは大人の背中を見て育ちます。多世代や他者等多くの大人たちに助けてもらうことは、人間らしく育っていくためには、どうしても必要な環境であると思います。子育て真っ最中には中々気付かないで過ぎてしまうことが多いです。私の立場、年齢だからこそ納得できるのも確かです。子どもを育てながら、実は子どもに育てられている両親、祖父母、そして保育者であることを心にとめておくことが大切ですね。
ただ言えることは、「育児」を人に助けてもらうことは、親子にとっても手伝う他者にとっても、もちろん本人にとっても幸せに生きるため必要なことであるという真実です。行ってらっしゃい。
雨の日を楽しく!夕刻

えんちょうせんせい 来客です はーい これはこれは小さなお客様! しわ 何本 みえますか?
今日の雨の日のお楽しみは、「絵本を見る」、「イメージをもって絵を描く」、「双眼鏡(作って)で遊ぶ」、「色々な物や人を見る」、「ごはんを作る(ままごと)」でした。五感をたくさん使って休むことなく、次から次へ行っていきます。子どもたちは遊びの途中で「やすみたい」とは言いません。フルに活動し満足しきったところで、落ち着いて食べる、寝るへ移行していくだけです。大切なことは「遊びきる」ことだと思います。不完全燃焼では食欲も心地よい疲れも生じないのです。「やり切る」からこそ「お腹が空いて食べたい」、「お腹も膨れ、なんか眠くなってきた」、「ぐっすり眠りパワー100%復活!」という好循環が生じるのです。
だから大人から与えられたはずの活動が、「自分自身の楽しさ」、「あたかも自分で見つけたかのような遊び」として、心の満足へ向かうのです。大人はいかにその気になれるようにするのかが大切です。絵本で見た「ぞうさんのおさんぽ」でさえ、室内で何かしら仕掛けを設けておけば、「まるで絵本の世界が、現実に現れた」と沸き立つような嬉しさを感じることも生じることでしょう。夢と現実の世界を行き来することが得意な子どもたちは、いとも簡単にその世界を飛び越え、没入することができる力を持っているのです。
双眼鏡はとてもよいですね!きっと子どもたちの眼にも、普段見ている世界が「ピカピカ」の新鮮な世界として、映っていたに違いありません。保育とはそんな子どもの「期待感」をくすぐる時間でなければならないのです。子どもたちの遊びこめる世界には、①その遊びに挑戦性があること②自分の考えていることを素直に表現できること③他のこどもとの関りがあることなどの基準で、用意しようとしている内容を検討しておくと、大きく的を外すことはないと思います。
そして、双眼鏡は見ていることを明らかに相手に伝えることができます。誰かに興味関心を持つ、持たれることは人間としてとても必要な行為ですし、対面でしかその「ワクワク感」は得られるものではありません。子どもたちにとって「見ていてくれている、私に関心を持ってくれている」は、とても嬉しく安心できる状況だと思います。「自分は孤立なんかしていない」、「みんなの中の自分なんだ」と思える心強い関係性作りにも適した性質の物なのです。もちろん視野が狭くなるだけの話ですが、こんなことが子どもたちの心を揺さぶり、集中できる機会を提供することとなるのです。おもしろいですね!

おはようございます。今朝は湿気が多く雨の1日となりそうです。
週末に孫(生後2ケ月少し)が我が家にやってきました。何年ぶりでしょうか、お風呂に入り湯船につかり、気持ちよさそうな顔を見ていると、思わず声をかけ、少しづつ表情や感情が現れてきた孫をいとおしく思う気持ちが湧いてきます。我が子の時とはまた異なる思いは何とも言えません。若い時は中々心に余裕がないものです。こうして私たちも赤んぼうのころ、家族にかわいがられて育ってきたのだと感慨深いことです。
母性本能は決してお母さんだけにあるものではなく、父親にも祖父母にも作られます。ただその役割は異なっているように思います。男性は女性にはなることができないため、すべてを半分とか大変な思いをして子どもを産んだのだからあとは父親の仕事、とはいきませんね。ですが育児に対し「手伝う」といった感覚ではなく、能動的に自己の価値観(もちろん家族間の合意の元)をもって、「育てる」をしていかなければなりません。そうすることで赤ちゃんはしっかりと父を「自分を大切にしてくれる人」としてとらえていきます。
子どもは大人の背中を見て育ちます。多世代や他者等多くの大人たちに助けてもらうことは、人間らしく育っていくためには、どうしても必要な環境であると思います。子育て真っ最中には中々気付かないで過ぎてしまうことが多いです。私の立場、年齢だからこそ納得できるのも確かです。子どもを育てながら、実は子どもに育てられている両親、祖父母、そして保育者であることを心にとめておくことが大切ですね。
ただ言えることは、「育児」を人に助けてもらうことは、親子にとっても手伝う他者にとっても、もちろん本人にとっても幸せに生きるため必要なことであるという真実です。行ってらっしゃい。
雨の日を楽しく!夕刻

えんちょうせんせい 来客です はーい これはこれは小さなお客様! しわ 何本 みえますか?
今日の雨の日のお楽しみは、「絵本を見る」、「イメージをもって絵を描く」、「双眼鏡(作って)で遊ぶ」、「色々な物や人を見る」、「ごはんを作る(ままごと)」でした。五感をたくさん使って休むことなく、次から次へ行っていきます。子どもたちは遊びの途中で「やすみたい」とは言いません。フルに活動し満足しきったところで、落ち着いて食べる、寝るへ移行していくだけです。大切なことは「遊びきる」ことだと思います。不完全燃焼では食欲も心地よい疲れも生じないのです。「やり切る」からこそ「お腹が空いて食べたい」、「お腹も膨れ、なんか眠くなってきた」、「ぐっすり眠りパワー100%復活!」という好循環が生じるのです。
だから大人から与えられたはずの活動が、「自分自身の楽しさ」、「あたかも自分で見つけたかのような遊び」として、心の満足へ向かうのです。大人はいかにその気になれるようにするのかが大切です。絵本で見た「ぞうさんのおさんぽ」でさえ、室内で何かしら仕掛けを設けておけば、「まるで絵本の世界が、現実に現れた」と沸き立つような嬉しさを感じることも生じることでしょう。夢と現実の世界を行き来することが得意な子どもたちは、いとも簡単にその世界を飛び越え、没入することができる力を持っているのです。
双眼鏡はとてもよいですね!きっと子どもたちの眼にも、普段見ている世界が「ピカピカ」の新鮮な世界として、映っていたに違いありません。保育とはそんな子どもの「期待感」をくすぐる時間でなければならないのです。子どもたちの遊びこめる世界には、①その遊びに挑戦性があること②自分の考えていることを素直に表現できること③他のこどもとの関りがあることなどの基準で、用意しようとしている内容を検討しておくと、大きく的を外すことはないと思います。
そして、双眼鏡は見ていることを明らかに相手に伝えることができます。誰かに興味関心を持つ、持たれることは人間としてとても必要な行為ですし、対面でしかその「ワクワク感」は得られるものではありません。子どもたちにとって「見ていてくれている、私に関心を持ってくれている」は、とても嬉しく安心できる状況だと思います。「自分は孤立なんかしていない」、「みんなの中の自分なんだ」と思える心強い関係性作りにも適した性質の物なのです。もちろん視野が狭くなるだけの話ですが、こんなことが子どもたちの心を揺さぶり、集中できる機会を提供することとなるのです。おもしろいですね!
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!
卒園生、転園生のみなさんへ27
2023.06.09
園庭の自然を楽しむ!6月9日 朝

たくさん実りそうです シークワサー

こちらも豊作 イチジク ホワイトゼノア

赤い色を保ち熟しているモミジのタネ

すくすく育て 子どもたち カシワ
おはようございます。今日は「晴れ一時雨」という分かりにくい1日となりそうです。隙を見つけて少しでも外へ出られると良いのですが。
今週園庭の草刈りをしました。気温が上がると蚊も増えてきます。柔らかな子どもたちの皮膚は、蚊にしてみれば絶好の獲物です。自然との共生は、ある程度整備することで特定の生き物を調整する働きを生みます。多すぎても少なすぎても人間にとって「心地よく、面白い環境」にはなりません。先人は里山を手入れし、人間と生き物の共生を図ってきました。それは「山神様」という存在に対し畏怖の念を抱き、必要以上の乱獲はしてきませんでした。必要以上の恵みを享受することで、自然からのしっぺ返しを怖れていたからです。人間が自分のことだけを考え森を壊し、どこにでも足を踏み込んでいけば、結果、細菌やウイルスが必要以上に人間に害を及ぼしたり、災害に見舞われる結果をもたらします。
子どもたちにとって園庭は「心が沸き立つ環境」でないといけません。しかし、余りにも蚊が増えすぎることは健康被害につながりかねません。小さな昆虫がいれば、それを捕食する生き物がやってきます。園庭の多様性がどこまで進むのか毎日目をみはっています。招かれざる客(蛇)も現れるかもしれません。しかし、蟹江にマムシはいませんので安心してください。「植物と生き物と子どもたち」この関係性から生まれる「ワクワク」を共有しながら、生き物の多様な姿に触れていくことが、必ずや地球環境を守る心を育てると信じています。今からの季節はイチジク、シークワサー、ブルーベリー、秋が深まればクリもなることでしょう。初めて出会う果物にもどんな反応を見せてくれるのでしょうか?楽しみにしていきましょう。行ってらっしゃい。
2週間本園で頑張っていただきました実習生の先生が、本日をもって学びを終えられます。懸命に取り組まれる姿から私たちもたくさんの学びを得させていただきました。ありがとうございました。素敵な先生になられることを心から願っています。

たくさん実りそうです シークワサー

こちらも豊作 イチジク ホワイトゼノア

赤い色を保ち熟しているモミジのタネ

すくすく育て 子どもたち カシワ
おはようございます。今日は「晴れ一時雨」という分かりにくい1日となりそうです。隙を見つけて少しでも外へ出られると良いのですが。
今週園庭の草刈りをしました。気温が上がると蚊も増えてきます。柔らかな子どもたちの皮膚は、蚊にしてみれば絶好の獲物です。自然との共生は、ある程度整備することで特定の生き物を調整する働きを生みます。多すぎても少なすぎても人間にとって「心地よく、面白い環境」にはなりません。先人は里山を手入れし、人間と生き物の共生を図ってきました。それは「山神様」という存在に対し畏怖の念を抱き、必要以上の乱獲はしてきませんでした。必要以上の恵みを享受することで、自然からのしっぺ返しを怖れていたからです。人間が自分のことだけを考え森を壊し、どこにでも足を踏み込んでいけば、結果、細菌やウイルスが必要以上に人間に害を及ぼしたり、災害に見舞われる結果をもたらします。
子どもたちにとって園庭は「心が沸き立つ環境」でないといけません。しかし、余りにも蚊が増えすぎることは健康被害につながりかねません。小さな昆虫がいれば、それを捕食する生き物がやってきます。園庭の多様性がどこまで進むのか毎日目をみはっています。招かれざる客(蛇)も現れるかもしれません。しかし、蟹江にマムシはいませんので安心してください。「植物と生き物と子どもたち」この関係性から生まれる「ワクワク」を共有しながら、生き物の多様な姿に触れていくことが、必ずや地球環境を守る心を育てると信じています。今からの季節はイチジク、シークワサー、ブルーベリー、秋が深まればクリもなることでしょう。初めて出会う果物にもどんな反応を見せてくれるのでしょうか?楽しみにしていきましょう。行ってらっしゃい。
2週間本園で頑張っていただきました実習生の先生が、本日をもって学びを終えられます。懸命に取り組まれる姿から私たちもたくさんの学びを得させていただきました。ありがとうございました。素敵な先生になられることを心から願っています。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!
卒園生、転園生のみなさんへ26
2023.06.08
6月8日 藤井聡太さん 「努力」「粘り強い心」

おはようございます。今日の夜からは雨の予報です。同時に約1週間ぐずつき模様です。丁度良いころ合いなどということは、人間の我がままなのでしょう。それでも「お天気だったらなー」と考えてしまいますね。
6歳の時に抱いた夢「名人」になるを、藤井聡太さんは最年少記録で達成しました。地元愛知県瀬戸市の生れで今の力を生み出した要因の一つに、モンテッソ-リ教育があると言われています。この教育法はイギリスの医師マリア・モンテッソ-リが提唱した教育法です。教育の基本的考えは、【子どもの「敏感期」にあった「教具」を自由に選び、使える「環境」を整え、「提示」することで、子どもは夢中になって「お仕事」をする「集中現象」が見られます。そして、子どもが間違っていた場合も、「誤りの訂正」をするのではなく、子ども自身が気付くまで待ってあげることが重要です。】一言でいえば、子ども自身の自発、気付きを待つ教育と言えます。
一手を指すのに2時間余り長考し、その中で82手先を読んでいるというのですから、並の忍耐、集中力ではないことが分かります。プロ転向後何度も相手に負けることを経験する中で、自分自身の選択で、AIを相手に徹底的に合理的方法の訓練を積み重ね、最後はオリジナルな自身の一手を指す力には驚かされます。
決して自分自身に限界を作らず、どんな時も前を向いて進んでいく姿は、20歳とは思えませんが、一つの生きるスタイルとして敬愛すべき存在だと感じます。行ってらっしゃい。
夕刻
子どもたちは小さいながらも、その場の雰囲気や、同じ部屋でいつも一緒にいる仲間ではない人がいる場合、じっと見て考えて?いるときがあります。何かが違うことを察知しているのでしょうか。自分の身を守るため本能が働いていると感じます。自分より大きいと感じることができるのでしょう?とすれば凄い能力だと思います。「静止、手を出さない」このことでその場は平和裏に流れていきます。ところが同じ部屋で過ごす仲間の場合、遠慮がありません。奪い合い、手を出し合い、泣き叫ぶ等、自分の欲求を通すため自己主張し続けることが多いです。自我の成長は、このような相手との繊細な力関係によって成り立っているようです。中々理屈では言い表せない、人間本来が心に刻み付けている能力のようです。
さて、本日は「不審者対応訓練」の日です。何度もお伝えし恐縮ですが、「無事有事のごとく 有事無事の如く」です。日頃の備えほど大切なことはありません。肝心な時に慌てず、何も指示がなくても体が覚えているかのように、日頃から努力を怠らないことが大切です。昨今は様々な事件事故が多発しています。想定できないような事態も見聞きし、自分で自分の命を守る術は、年齢に応じ身につけていかなければならないと感じます。小さな子どもたちには、理屈を言っても分かりませんので、真剣な顔つきで危機を知らせる大人の存在が必要です。しかも怖がらせず整然とが訓練の目標です。

おはようございます。今日の夜からは雨の予報です。同時に約1週間ぐずつき模様です。丁度良いころ合いなどということは、人間の我がままなのでしょう。それでも「お天気だったらなー」と考えてしまいますね。
6歳の時に抱いた夢「名人」になるを、藤井聡太さんは最年少記録で達成しました。地元愛知県瀬戸市の生れで今の力を生み出した要因の一つに、モンテッソ-リ教育があると言われています。この教育法はイギリスの医師マリア・モンテッソ-リが提唱した教育法です。教育の基本的考えは、【子どもの「敏感期」にあった「教具」を自由に選び、使える「環境」を整え、「提示」することで、子どもは夢中になって「お仕事」をする「集中現象」が見られます。そして、子どもが間違っていた場合も、「誤りの訂正」をするのではなく、子ども自身が気付くまで待ってあげることが重要です。】一言でいえば、子ども自身の自発、気付きを待つ教育と言えます。
一手を指すのに2時間余り長考し、その中で82手先を読んでいるというのですから、並の忍耐、集中力ではないことが分かります。プロ転向後何度も相手に負けることを経験する中で、自分自身の選択で、AIを相手に徹底的に合理的方法の訓練を積み重ね、最後はオリジナルな自身の一手を指す力には驚かされます。
決して自分自身に限界を作らず、どんな時も前を向いて進んでいく姿は、20歳とは思えませんが、一つの生きるスタイルとして敬愛すべき存在だと感じます。行ってらっしゃい。
夕刻
子どもたちは小さいながらも、その場の雰囲気や、同じ部屋でいつも一緒にいる仲間ではない人がいる場合、じっと見て考えて?いるときがあります。何かが違うことを察知しているのでしょうか。自分の身を守るため本能が働いていると感じます。自分より大きいと感じることができるのでしょう?とすれば凄い能力だと思います。「静止、手を出さない」このことでその場は平和裏に流れていきます。ところが同じ部屋で過ごす仲間の場合、遠慮がありません。奪い合い、手を出し合い、泣き叫ぶ等、自分の欲求を通すため自己主張し続けることが多いです。自我の成長は、このような相手との繊細な力関係によって成り立っているようです。中々理屈では言い表せない、人間本来が心に刻み付けている能力のようです。
さて、本日は「不審者対応訓練」の日です。何度もお伝えし恐縮ですが、「無事有事のごとく 有事無事の如く」です。日頃の備えほど大切なことはありません。肝心な時に慌てず、何も指示がなくても体が覚えているかのように、日頃から努力を怠らないことが大切です。昨今は様々な事件事故が多発しています。想定できないような事態も見聞きし、自分で自分の命を守る術は、年齢に応じ身につけていかなければならないと感じます。小さな子どもたちには、理屈を言っても分かりませんので、真剣な顔つきで危機を知らせる大人の存在が必要です。しかも怖がらせず整然とが訓練の目標です。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!