お知らせ

卒園生、転園生のみなさんへ22

2023.06.01

自然を通じた感動!の力 6月1日 朝
おはようございます。週末に接近する台風は、何とか南海上通過で難を逃れそうです。少しほっとしましたが、まだまだ油断せず見守っていきましょう。
世界も日本も殺伐としたニュースが続いていますが、今朝は「心温まるお話」をいたします。
昨日の園庭は「モンシロチョウ」が翔び交い、のどかな風景が広がっていました。そんな時園庭を駆け回り、園を見学に来た人にまで「自らの力で蝶を捕まえたこと」をはじけんばかりの笑顔で知らせていた園児さんがいました。よほど嬉しかったのでしょう、駆け回る姿、満面の笑顔にその感動がみなぎっていました。普段は草花を集めたり、静かに遊んでいることが多い女の子、でも「自分で見つけ、捕まえた喜び」は、誰かに伝えたい強い思いが我を忘れて誰かれなく話したい感動に結びついたのでしょう。その思いはきっと心の中を明るく照らし、意識しなくても、これから生きる人生の中で役立つ時が来るでしょう。
人生は苦しい時の方が多いかもしれません。しかし、自然の美しさ、素晴らしさを体験した子は、決して曲がることがない真っすぐな心根を自らに育てていき、時に心が閉ざされても、再び立ち上がることができるようになっていくのです。そんな遠い未来も見据え、一瞬一瞬の子どもたちの感動を見過ごさず、心を分かち合う大人でありたいと願います。その後女の子は蝶を逃がしてあげることを自ら決め、そのことを共に感動してくれた実習生の先生に告げたのでした。😢
子どもたちの姿から学ぶ爽やかな心に感謝し、今日も過ごしていきましょう。行ってらっしゃい!

雨の日は・・・
これからは雨の季節。室内で集中できる遊びを、本人がたくさん見つけられるように環境を整えておくことも必要です。雨の中お外では遊べませんが、見て聞いて触れて雨を感じ、絵本の世界に想像力を働かせる時間も作りたいですね。子どもたちは非現実の想像の世界に浸ることが大好きです。もちろん絵本はイメージを膨らませるだけではなく、めくる、口に入れるなどをすることで、形や重み、匂いなどを感じていくものでもあります。そして一人で見るよりも必ず話し手を求めます。母さん父さん、保育士の膝に座り、優しい言葉と慣れ親しんだ大人の声によって、心は落ち着き安心していきます。時々大人の顔を見ては、どんな思いなのか、「笑っているのか、泣いているのか、怒っているのか」、その表情をみて、感情を学んでいきます。
子どもたちの生活には「お話」と同じようにストーリーがあります。もちろんクライマックスも、ちゃんと心の中で「楽しみ」として待ち受けています。大人におもしろい表情や、お決まりの表現を求める時、「今か今かと待ちわびる」このワクワク感は、まさに心の中のクライマックスを楽しんでいるのです。
雨の日はお外へ出られない分、親子であるいは保育士とイメージをたくさん作り上げていくには良い時です。園庭で遊んだ時の、お散歩へ行った時の、海や川へ行った時の想い出とともに、嬉しさ、安心の感情を追体験しながらイメージを確かにしていく絶好の機会でもあるのです。これらの豊かな想像の世界は、必ず見立て、つもり、ごっこなどの遊びとなって子どもたちに戻っていきます。そして豊かな感性、豊かな人との関係性を築いていく上の重要な要素となっていくことでしょう。

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卒園生、転園生のみなさんへ21

2023.05.31

5月31日【食料輸入依存国 日本】
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おはようございます。東海地方は5月に何十年ぶりかの梅雨に入ったことが発表されました。季節訪れにも環境変化の影響が表れているようです。雨は農家にとっては待ちに待った天からの恵みです。気象予報士は「あいにくの雨」という言葉は禁句だということです。大雨による災害は危惧されますが、過去の災害を忘れることなく備えながら、雨の季節に豊作と情緒を楽しめる感性も持ちたいものです。
【七十二候が小満の末候に変わり、初冬に蒔かれた麦が小麦色に熟す頃になりました。刈り取りを待つ麦畑は、一面黄金色に輝き、新緑がまぶしいこの頃にコントラストが際立ちます。収穫期を迎えたこの時期を「麦の秋・麦秋 (ばくしゅう)」といい、旧暦4月の異名にもなっています。麦がたわわに実り、麦にとっての収穫の「秋」であることから名付けられました。雨が少なく乾燥した季節ですが、まもなく梅雨が始まります。そんな麦秋の候には、「麦」に因んだ言葉がたくさんあります。この頃に麦の穂を揺らしながら吹き渡るさわやかな風は「麦嵐」「麦風」「麦の秋風」、また、そよぐ穂を「麦の波」、降る雨を「麦雨 (ばくう)」といいます。麦の種蒔きや刈入れにぴったりな日は「麦日和」。そろそろ麦わら帽子も大活躍と、まさに ”麦尽くし” の季節です。】
麦にも様々な種類(大麦、小麦、ライ麦、エン麦)があります。日本人に馴染み深いのは、小麦と大麦でしょうか?小麦はおよそ2000年前に日本に伝わりましたが、製粉技術(うす)が発達していなかったため、普及するのは江戸時代以降になります。うどん、和菓子、すいとん等今も人々の食生活を支え、栄養価も高く、大麦は健康食としても知られています。
ところが日本は小麦をほとんどを輸入に頼っており、高値となり家計を圧迫しています。直近のウクライナ、ロシア戦争によって世界でも輸出入が滞おり、貧しい国では飢餓も発生しているのが現状です。日本は元々米食文化ですしアレルギー問題も考えると、コメの自給率をあげ、同じく栄養価が高い米粉パンなどへの転用も考えていくべきかもしれません。食文化が多様となり何でも手に入る日本社会ですが、世界の事情を考えると、少しばかり我慢や忍耐をしていくのは「恕(思いやり)」の心を大切にしてきた日本人がなすべきことだと思います。行ってらっしゃい。


【自己中心でないとならない時期】 夕刻
まだまだ自己中心性を充実している途中ですので、おもちゃは一つでなくて二つあっても物足りません。譲ることができるのは満足しきったときだけ、発達から考えると、同じ物を二つ持っていても譲ることができない場面は多々あります。この発想は年長以降の子どもには通用しますが、2歳前後では分からなくて当たり前と考えたほうが良いです。
しかし、集団生活をしていると、他者が泣いているのを見て、「かわいそう」と感じることも、経験を重ねることで芽生えてくる感情のようです。不完全ですが、小さい子に優しくする、泣いている子を労わろうとする姿勢も見受けられるようになります。圧倒的に強い自己中心性を無理に「他者の中の自分」に引き込んでしまうと、逆に我慢が心の傷、欲求の不満足となり年長を越えても、自己中心性から抜け出せない心を作る場合もあります。「いけないことはいけないこと」ですが、強いトーン、口調で否定することは極力避ける必要があるのが、今の乳児期です。強く否定されると子どもたちは安心感を持てません。恐怖感は心の「臆病」への道案内であると心得ておく必要があります。友だちに手が出る、力づくで物を奪う等ケガや相手を傷つけてしまうことが予想される時は、直接止めに入らなければなりませんが、落ち着いた時にしっかりとお話しする、叱った後はしっかりと抱きとめる、絵本を読む、一緒に遊ぶなどを必ずしてあげることが大切です。子どもは叱られれば心がしぼみますが、自分が間違ったことを分かってもいます。大人への信頼はこのバランスある対応につきます。要するにダメ押しやしつこい叱責は、逆効果になるということです。
子どもも大人も心のバランスを保つことで、毎日を楽しく有意義に過ごすことが可能となります。そのバランスを欠いた時、心も体も病となってしまいます。子どもたちは未熟であり、うまく保っていくことができない対象と考えましょう。最近では大人もバランスを崩し心の病を発症しています。子どもはなおさら大切に、寛容に、おおらかにが必要な対象だと思います。

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卒園生、転園生のみなさんへ20

2023.05.30

ネパール 遊動民 ラウテ(森の王)に学ぶ

おはようございます。はるか南の海上では、台風2号が巨大な勢力を保ったまま北上しようとしています。日本列島に近づくことも予想され、地震も起きている最中、大きな災害とならないように祈るのみです。
さて、5月も残り2日です。子どもたちも環境に慣れ、それぞれに安定しつつありますが、気候の変化に対応しきれず、体調を崩される方も増えています。お気を付けください。
撮りだめたBS放送でドキュメンタリーを観ました。ネパールの奥地に「ラウテ」という遊動民(一定の期間で生活の場を変え生きる民)が生活しています。ラウテは900年前に戦いに敗れ、山深くで隠れて目立たぬように生きるため、必要以外はできるだけ外部との接触を避け、ヤギ、豚、鶏などの他定住民族が口にする家畜を食べず、サルのみを食べています。これは同じ食べ物による争いを避けるための知恵だそうです。また、他の食物は移動生活のため育てるということはせず、一時的に居留地の木材を少量伐採し、独特な手斧技術で器や家具を作り、村々を巡り物々交換をすることで食材を得ていました。木の伐採も15年周期くらいで元の場所に戻ってくるため、そのころには樹木が復活していることで、再び糧を得ることができる合理的な行動原理とも言えます。徹底的に他者と争わず、自然を痛めつけない生き方をすることで、民族の継承を図っています。
国は人権保護(生活レベルの向上)、環境保護(樹木伐採の禁止)、文明化政策(狩猟生活の否定)により補助金を渡し、定住生活をさせようとしています。本来のラウテとしての誇りあるシンプルな生活、祈り、自然への畏怖の念、争いを避け他者と協力する生き方・・・。現代社会が学ぶべき生き方は、消滅の方向へ流れつつあります。
最近は文明と接点が増えたことで、生活に悪い影響も出始めています。市販のアルコールを手軽に大量に口にし酔いつぶれる(子どもまでも飲酒に染まる)、政府から支給された現金をすべて使い果たしてしまう。文明について知識がなく、限度や疑うことを知らずに閉鎖的環境で生きてきたことは、文明の風にさらされ痛めつけられてしまいます。先住民族の問題は日本、アメリカ、ブラジル、カナダ等々他国でも不幸な結末が少なくはありません。
私たちは「ラウテ」から学ばなければなりません。「連帯、協力、隠す、移動、再生、伝統、継承」等々、様々な生きる知恵を、過酷な生活だからこそ豊かに培ってきた民族の力を侮ってはいけません。
今日も自分自身の知恵を使い、生活していくことを心がけていきましょう。行ってらっしゃい。

5月30日 夕刻 偉大な自然物 水
やはりお水は偉大ですね!昨日の大量の雨は子どもたちの遊び、眼が光り輝く環境を作っておいてくれました。重みのある土は自分のイメージ通りの形を表し、細かな指使い、物の選択眼、分量のおよその理解等々、潜在している子どもの能力をたくさん引き出してくれます。お顔は真剣そのもの、これ以上に勝る素材はありません。自然は災害をもたらしますが、代えがたい人間の知恵を引き出し、「創造しなさい」と言わんばかりの勢いで私たちに語り掛けてくるようです。この想像力をあらゆる自然からもらうことができる器を持っているのが人間です。
涵育薫陶(かんいくくんとう)吉田松陰 ー孟子の言葉解説ー【「涵は綿を水でひたすという意味。育は幼児を乳で育てるという意味。薫(くん)はお香をたきこめるという意味。陶は土器を焼き固めるという意味である。人を養う場合も、この涵育薫陶のように行い、人々が自然に化せられて行くのを待つだけである」と記している。】少し難しく感じますが、人を育てる上の極意が自然になぞらえて現わされています。私はこの解釈を「自然環境が大切」と読み替えます。過干渉の弊害は、人を育てるうえでその妨げとなる可能性があります。過保護でないと子どもは育ちませんが、過干渉は子どもの成長の芽をつぶしかねません。
ありのままの環境を体験できる機会は、子どもの成長にとって、なくてはならないものなのです。文明化されていない「ラウテ」の世界は、今日の園庭の子どもたちの姿と同じように、「自分で考える」に満ち溢れた環境だと考えます。汚れは子ども時代を生きる精一杯の証(勲章)です。でもね「お母さん 汚れ物いっぱいでごめんなさい!」「あらってくれて ありがとう!」子どもたちの心のなかは、きっとこんな思いのはずと思い込みましょう。

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