お知らせ

子ども目線

2023.11.01

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お椀の中には なにが?

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葉っぱを大事そうに・・・・

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なるほどね!

朝一番に自然に触れる、関わりながらそれぞれの子どもたちの1日が始まります。変化していく自然に個々異なる感性によって、異なる感じ方をし個性は磨かれていきます。「不思議に思う心」は「なんだろう」という探究の心へとつながり、つきつめ追求する粘り強い集中力を育んでいくことでしょう。我々大人はその疑問、自然物に目をみはる感性に寄り添っていかなければなりません。子どもたちは大人の反応を待ち焦がれています。大人が「私が見つけた凄いモノ」にどんな反応をするのだろうかと興味津々なのです。その表現に注目し、そして期待している反応が大人から発せられた時「こんなに驚き、嬉しがり、笑顔があふれるもの」なのだという価値観が定着します。「何拾ってきたの」、「捨ててきなさい」では、子ども心はがっかりの極致へ突き落されてしまいます。子どもたちと付き合う時は極力「大人の価値観」、「大人の視方」、「大人の都合」は捨て去るべきです。特に遊びの時には。

保育園でも「保育士が集団で動きたい」と考えている時(給食前、午睡前、内外活動移動時)に、一人異なる行動を止めない場合などに「大人の価値観」は発動されやすくなります。限られた保育士人数で保育を行っているときは特に注意しなければなりません。3歳頃までの時期は何度も伝え恐縮ですが「自己中心性」がピークになる時期です。この力は物事を探究する頭脳の基礎として大変重要な力であり、この時期を十分に体験することが必要なのです。「我慢するより欲求が叶えられる時期」でなければなりません。「我慢」はこの先の人生ですさまじい勢いで押し寄せてきます。だからこそ0~3、4歳頃までは欲求を叶えられなければ、不満が後を引く結果を招きます。

写真にもありますように、仲間同士の接点は集団で過ごせば必ず生じます。そして相互の欲求同士がぶつかり合います。「こうしたい」というイメージは、たまたま一致することもあれば、正反対となることも度々生じます。ここからが学びなのです。対大人との関係性の中では、圧倒的な大人の知力と権威によって子どもは「自己決定」、「判断」をしなくても済んでしまう環境が生まれやすくなります。しかし、子ども相互の間では、そのようなことは許されません。だから戸惑い、大人の判断を仰ぐような表情を見せたり、判断や力を利用しようとすることさえ起きます。子どもは自分の欲求を満たすためには、大人の権威を上手に使いこなそうと心が働きます。「欲求は受け止めても判断はしない」を心がけていくと「自己決定」の行動によって自らの頑張りも過ちも理解しやすくなると思います。結果が分かっていても「待つ」という姿勢を子どもたちに対して行っていくことは、大変まわりくどく忍耐が必要ですが、子どもにとっては自立心、自律心を育てる布石を作っていくことになるのです。皆様!我慢強くなりましょう。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

ガザ越境(侵攻)作戦?

2023.11.01

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おはようございます。
「人間は何のために生きているのでしょうか?」生きる、死ぬという自然現象は、本来「宇宙」、「神」の領域だと思います。人間の力で人の生死を左右するようなことはあってはならないはずです。戦争は罪もない一般市民が巻き込まれ多くの犠牲を伴います。政治家は間違いなくその事実を予測しているにもかかわらず、いったい誰のために戦うというのでしょうか。強い怒りを感じます。
「地上侵攻」という事実を、諸外国との関係性悪化を防ぐため見え過ぎた詭弁を並べても、隠しようのない事実が明らかとなっています。どんな理由があるにせよ人の命を奪う行為は、必ず自国、自己に跳ね返っていくことになるでしょう。異民族相互はお互いの風習や生き方を融合させることは難しいと思います。だからこそ共存するための住み分け、約束も必要となります。まして宗教が元となる戦争は首をかしげずにはいられません。人生において宗教心はとても大切だと思いますが、他者に強制すべきものでもなく、洗脳されるべき存在でもありません。「本末転倒」これ以外述べる言葉が見つかりませんね。できるだけ早く双方が合意し即時停戦すべきです。これ以上自然ではない死を作り出してはなりません。行ってらっしゃい。

カテゴリ:戦争

見立て、つもりは視る触れるから・・・・

2023.10.30

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おっとっと!! のりきれるかな・・・・


背丈より高い砂山も 繰り返すことで 身のこなしをつかんでいける あぶないからやらせないのではなく できる方法を見つける子どものたくましさを信じたい!

子どもたちの心と体の発達は、目の前にあるものの性質を自分の身体で確かめながら、「見立てる」、「つもりになる」へと発展し、具体的に時間や空間を思い描き、イメージを組み立てることによって進んでいきます。私も子どもの頃一人、家で留守番をしているとき、バスの運転席を再現しよく遊んだ記憶があります。回転イスをひっくり返し十字の足をハンドルにし、ギアは1メートルの竹製ものさし、アクセル、ブレーキ、クラッチは足踏みミシン、フロントガラスはミシンの空間と、なんとも豊かな発想をしていたものだと我ながら笑ってしまいます( ´艸`)。年齢にしては幼かったのかその記憶は小学生の時のものです。(*ノωノ) 親が帰宅するまでの時間そんなイメージ遊びで夢中になっていました。バスや電車は今も昔も子どもたちの憧れの対象ですね!

イメージが花開く「そのとき」は突然やってきます。特に乳幼児の時期は、思ったことを何はばかることなく口に出し、行動し自分の欲求を達成しようと動きます。大人は面食らうことも多々ありますね!直感で言動を発するのがこの時期の特徴であるともいえるでしょう。段ボールや植木鉢、タイヤ、狭いところ(玩具入れ)、倉庫の裏の狭い通り道、レンギョウの茂った園庭の片隅等空間の隙間は特にそのイメージを膨らませやすいと言えます。半面そのような場所は私も日頃から気を付けています。「危険がないかどうか」、夏の雑草生い茂る時期は「園庭端の段差」が子どもなりに視認できるかに特に注意します。草むらはバッタの住処になりますが蚊も住まいます。そして地面の形状を隠します。子どもたちにとって目を見開いていれば確認できることは、物と自分との物理的な距離感をつかむうえで大きなヒントになるため、ある程度の見通しがつくように環境整備が必要となります。

これらの情報がしっかりと確認できることが、子どもたちの感覚機能を発達へと導きます。園庭の環境は障害物だらけです。しかし視認できない環境ではありません。よって「障害物をよける力」、「起伏ある空間で自分のスピードをコントロールする力」を身につけていけるようになっています。
2歳児クラスとなったときその力は凧揚げ(子どもたちの凧揚げはどちらかというと走って揚げる)をしたときによくわかります。園庭での遊びを十分に体験することで、自分の凧を時々振り返り見ながら、それでも障害物に衝突することなく、走り続けることができる判断力と身のこなしを身につけているのです。
この先本園を卒園され大きい子がいる集団の場では、園庭で遊ぶことができる時間を制限されることもあると思います。しかし私は制限からは「注意力」、「反射神経」等は育っていかないものと考えています。あえて込み入った環境を用意することは、速いスピードで走る力が備わったとき、対象物、人をしっかりと視認し難を避ける能力を身につけるものと考えます。「規制」、「ルール」は本来大人から与えられるべきものではなく、子ども間において必然として生まれ出るべきものだと思います。現実すべてそのようにはいきませんが、「意識を持つ」ことは大切です。





カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

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