卒園生、転園生のみなさんへ12
2023.05.12
5月12日 朝
旧NHK教育テレビ 「できるかな」 ノッポさんの心よ 永遠に!

おはようございます。
「ノッポさん」が昨年9月に世を去りました。88歳だったそうです。発表されたのは10日のことで、「みんなをわずらわせたくないから、亡くなっても半年以上は公表しないように。風のように自分は逝くからね、見ててよ」周りを騒がせたくないという実にノッポさんらしい言葉です。ノッポさんはNHKの教育テレビ番組「できるかな」でその名のごとく長身で一言もしゃべらず、トレードマークである緑色の帽子を被り、夢中に工作をする姿で子どもたちにも親にも人気がありました。不器用でも一所懸命楽しい物作りに励み、失敗しても諦めない姿、実は子どもの頃から手先が不器用だったノッポさん、苦手なことがあっても楽しく諦めない心を無言で伝えてくれていた真の教育者だったと思います。
人間にとって何を大切にし、生きる必要があるでしょうか?まさに彼が伝えたかった「楽しく、諦めず、一所懸命、心優しく」だと思います。この心を忘れた生き方、伝え方が現代の子どもたちの「心の闇」を作っていると感じます。私たち大人は気を付けなければななりません。子どもに技術や知恵を用意する前に、「仲間」、「会話」、「触れ合い」、「多様な世代との関り」を得ることができる環境を準備すべきです。乳幼児期、学童期においては、狭くて少ない人間関係ではなく、「量」を大切にしなければならないのです。知識、技能の習得はそれからで十分です。
苦手な工作を自分の仕事としたノッポさん、マイナスに思えるようなことに活路を見出せる力は、きっと多くの大人、仲間がいる環境に育てられたものと信じます。今日もたくさんの人と自然に囲まれ、子どもたちが様々な経験をできますように、誰かを頼ることで「真の自立」へ向かう土台が培われますように願っていきたいと思います。行ってらっしゃい。
夕刻
「子どもは寝て育つ」と言われます。寝ることは人間にとって成長、疲労回復のためとても必要な時間です。交感神経と副交感神経が入れ替わり、心の休み時間を確保できるようになっています。心地よい日差しと外気の中でゆっくりと副交感神経が働きだします。心身にとって必要な脳内休息、回復時間を満たせば、交感神経が働きだし心と体はゆっくり動き始めます。そして様々なものに影響を受け、記憶や身体使いを体得していきます。
さらに量の人間関係に触れながら(今日は睡眠中・大きい子にとっては優しくすべき対象)、「かわいがられ、かわいがり」を体験することで、人への接し方を覚えていきます。幼い子どもにとって心への刺激機会はとても大きく多いはずです。ですがそのことが決して負担だということではなく、成長するための糧となっていると思います。人間は心に「空」があるからこそ、沢山の情報を取り込むことができ、睡眠があるからこそ、またゼロ(空)に戻ることができます。そして受け止められる刺激の量も、その回数が増えるにしたがって大きく強くなっていくのです。心身への負荷はかかりすぎるとストレスとなり、心も体も壊れてしまう可能性があります。適度、中庸(ちゅうよう)が大切なことは、先人の言を見ても明らかです。
子どもは大人よりも好奇心旺盛にインプットされています。それは生きていくための手段であり、必然でもあります。したがって脳と体を休める時間もたくさんないと生きていくための感性、体力を持続していくことができないと思います。うまくできていますね。
旧NHK教育テレビ 「できるかな」 ノッポさんの心よ 永遠に!

おはようございます。
「ノッポさん」が昨年9月に世を去りました。88歳だったそうです。発表されたのは10日のことで、「みんなをわずらわせたくないから、亡くなっても半年以上は公表しないように。風のように自分は逝くからね、見ててよ」周りを騒がせたくないという実にノッポさんらしい言葉です。ノッポさんはNHKの教育テレビ番組「できるかな」でその名のごとく長身で一言もしゃべらず、トレードマークである緑色の帽子を被り、夢中に工作をする姿で子どもたちにも親にも人気がありました。不器用でも一所懸命楽しい物作りに励み、失敗しても諦めない姿、実は子どもの頃から手先が不器用だったノッポさん、苦手なことがあっても楽しく諦めない心を無言で伝えてくれていた真の教育者だったと思います。
人間にとって何を大切にし、生きる必要があるでしょうか?まさに彼が伝えたかった「楽しく、諦めず、一所懸命、心優しく」だと思います。この心を忘れた生き方、伝え方が現代の子どもたちの「心の闇」を作っていると感じます。私たち大人は気を付けなければななりません。子どもに技術や知恵を用意する前に、「仲間」、「会話」、「触れ合い」、「多様な世代との関り」を得ることができる環境を準備すべきです。乳幼児期、学童期においては、狭くて少ない人間関係ではなく、「量」を大切にしなければならないのです。知識、技能の習得はそれからで十分です。
苦手な工作を自分の仕事としたノッポさん、マイナスに思えるようなことに活路を見出せる力は、きっと多くの大人、仲間がいる環境に育てられたものと信じます。今日もたくさんの人と自然に囲まれ、子どもたちが様々な経験をできますように、誰かを頼ることで「真の自立」へ向かう土台が培われますように願っていきたいと思います。行ってらっしゃい。
夕刻
「子どもは寝て育つ」と言われます。寝ることは人間にとって成長、疲労回復のためとても必要な時間です。交感神経と副交感神経が入れ替わり、心の休み時間を確保できるようになっています。心地よい日差しと外気の中でゆっくりと副交感神経が働きだします。心身にとって必要な脳内休息、回復時間を満たせば、交感神経が働きだし心と体はゆっくり動き始めます。そして様々なものに影響を受け、記憶や身体使いを体得していきます。
さらに量の人間関係に触れながら(今日は睡眠中・大きい子にとっては優しくすべき対象)、「かわいがられ、かわいがり」を体験することで、人への接し方を覚えていきます。幼い子どもにとって心への刺激機会はとても大きく多いはずです。ですがそのことが決して負担だということではなく、成長するための糧となっていると思います。人間は心に「空」があるからこそ、沢山の情報を取り込むことができ、睡眠があるからこそ、またゼロ(空)に戻ることができます。そして受け止められる刺激の量も、その回数が増えるにしたがって大きく強くなっていくのです。心身への負荷はかかりすぎるとストレスとなり、心も体も壊れてしまう可能性があります。適度、中庸(ちゅうよう)が大切なことは、先人の言を見ても明らかです。
子どもは大人よりも好奇心旺盛にインプットされています。それは生きていくための手段であり、必然でもあります。したがって脳と体を休める時間もたくさんないと生きていくための感性、体力を持続していくことができないと思います。うまくできていますね。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!
卒園生、転園生の皆さんへ11
2023.05.10
科学の進歩がもたらすものとは?5月10日

おはようございます。暦では立夏を迎えます。本格的な夏はまだ先で、気温もまださほど高くありませんが、陽の光は一年の中で最も強く、「光の夏」とも呼ばれます。今日は暑くなりそうですね!
【七十二候が立夏の初候に変わり、野原や田んぼで蛙が鳴き始める頃となりました。蛙の声が響くようになると、野山の若葉もみずみずしく輝いて、まもなく本格的な夏が訪れます。蛙は生まれてから別の場所へ移動しても、その後必ずもとの生まれた池に戻ってくることから「帰る=蛙 (かえる)」と呼ばれるようになったといいます。「無事帰る」「お金が帰る」などにつながることから、古くから縁起が良いとされてきました。また、「蛙」という漢字は鳴き声に由来しており、蛙が「けーけー」と鳴いていると捉えられたため、虫偏にこの「圭」が用いられたといいます。真夜中に響く蛙の大合唱は、夏の夜の風物詩。いろんな鳴き声がこだましますが、実は鳴き声にもそれぞれ意味があるそうです。オスがメスを呼ぶ求愛の声、危機を感じたときの警戒の声、なわばり宣言の声など。意識して聞いてみるのも面白いものです。】
「不便益(不便だからこそ得られる益)」という言葉(京都先端科学大学教授 川上浩司提唱)があります。(4月30日 中日 社説)不便をあえて楽しむという意味です。現代は様々な電子機器や便利グッズを手に入れることができます。使い捨ても多いです。この「もっと、もっと」が、環境を破壊し人間も退化させていくことを危惧しています。世間では今「キャンプブーム」です。この世界においても様々な用具が販売され、手軽に自然の中で生活できるようになってきました。購入したテントを組み立てることも、ユーチューブを観ながら現場で行う人もいます。準備や練習の楽しさ、「物を組み立てるワクワク感」はあえなく素通りされ、自分の頭を使わなくても済むことをあてにし当日を迎える。それはそれでよいのですが、「1本のロープ」、「1枚のブルーシート」でも居住空間は確保でき、箸は小枝、竹はご飯を炊くことも水をためることも可能です。要は工夫(頭を使う)次第で何でもできます。また、その工夫が楽しいとも言えます。
先に掲載しました「2001年宇宙の旅」キューブリック監督は、コンピュータ「ハル9000」を登場させ、人間を越えようとする人工知能の危険を描きました。人間自身が作り出す喜びによって自身を滅ぼす。このようなことにならないよう自分の頭と体で物事を感じ、生きていきたいものです。不便であることは人類にとって大きな可能性と成長の喜びを感じさせてくれます。チャットGPTも使い様ですが、危険をはらんでいることは確かです。
今日も機械を頼りすぎず、子どもたちのように自分の感覚器官を信じ生きていきたいですね。行ってらっしゃい。
5月10日夕刻 子どもの「まねび(学び)」
4月に入園した子どもたちにとっては、園庭の素材環境は具体性に乏しいと言えます、反面使い方によってはとても大きな可能性とおもしろさを含んでいます。素材そのままがほとんどのため、最初はどうやったら良いのか使いあぐねています。それでも子どもたちは、直接素材(砂、実、花、葉、水)に触れていくことで少しづつ慣れていきます。また、それぞれの自然物が持っている肌触りや色、香りなど五感を刺激する要素が、子どもたちの心と体を揺さぶるのです。
そして先輩、上の年齢の子がとても楽しそうに素材を使いこなすのを見て、最初は真似ます。真似て使ううちにその楽しさを実感し、「もっと もっと」とオリジナルな使い方も見つけることができるようになっていくのです。ここまでくれば大人は手を出す回数が減っていきます。逆に子どもの奇想天外な発想と豊かさに驚かされることも起きます。もちろん乳幼児期は大人が「きっかけ」をたくさん作るべき発達時期ではあります。
そして危険も増してくるということです。大人が必要以上に危険を知らせることが、自身の安全確保への力を身につけるのではなく、「自己選択」が自分の体を守るうえで、後々必要な力となっていくことを考えておかなければなりません。この危険への対応を身につける絶好の機会が「小さな危険」なのです。小さな危険を自分が選んだ活動で、繰り返し体験することにより、大きな危険を回避、あるいは事前に対応し、最小限のケガで済ますことができるようになります。結果がすぐに現れるわけではありませんので、大人は辛抱強くこの機会を見守る必要があります。

おはようございます。暦では立夏を迎えます。本格的な夏はまだ先で、気温もまださほど高くありませんが、陽の光は一年の中で最も強く、「光の夏」とも呼ばれます。今日は暑くなりそうですね!
【七十二候が立夏の初候に変わり、野原や田んぼで蛙が鳴き始める頃となりました。蛙の声が響くようになると、野山の若葉もみずみずしく輝いて、まもなく本格的な夏が訪れます。蛙は生まれてから別の場所へ移動しても、その後必ずもとの生まれた池に戻ってくることから「帰る=蛙 (かえる)」と呼ばれるようになったといいます。「無事帰る」「お金が帰る」などにつながることから、古くから縁起が良いとされてきました。また、「蛙」という漢字は鳴き声に由来しており、蛙が「けーけー」と鳴いていると捉えられたため、虫偏にこの「圭」が用いられたといいます。真夜中に響く蛙の大合唱は、夏の夜の風物詩。いろんな鳴き声がこだましますが、実は鳴き声にもそれぞれ意味があるそうです。オスがメスを呼ぶ求愛の声、危機を感じたときの警戒の声、なわばり宣言の声など。意識して聞いてみるのも面白いものです。】
「不便益(不便だからこそ得られる益)」という言葉(京都先端科学大学教授 川上浩司提唱)があります。(4月30日 中日 社説)不便をあえて楽しむという意味です。現代は様々な電子機器や便利グッズを手に入れることができます。使い捨ても多いです。この「もっと、もっと」が、環境を破壊し人間も退化させていくことを危惧しています。世間では今「キャンプブーム」です。この世界においても様々な用具が販売され、手軽に自然の中で生活できるようになってきました。購入したテントを組み立てることも、ユーチューブを観ながら現場で行う人もいます。準備や練習の楽しさ、「物を組み立てるワクワク感」はあえなく素通りされ、自分の頭を使わなくても済むことをあてにし当日を迎える。それはそれでよいのですが、「1本のロープ」、「1枚のブルーシート」でも居住空間は確保でき、箸は小枝、竹はご飯を炊くことも水をためることも可能です。要は工夫(頭を使う)次第で何でもできます。また、その工夫が楽しいとも言えます。
先に掲載しました「2001年宇宙の旅」キューブリック監督は、コンピュータ「ハル9000」を登場させ、人間を越えようとする人工知能の危険を描きました。人間自身が作り出す喜びによって自身を滅ぼす。このようなことにならないよう自分の頭と体で物事を感じ、生きていきたいものです。不便であることは人類にとって大きな可能性と成長の喜びを感じさせてくれます。チャットGPTも使い様ですが、危険をはらんでいることは確かです。
今日も機械を頼りすぎず、子どもたちのように自分の感覚器官を信じ生きていきたいですね。行ってらっしゃい。
5月10日夕刻 子どもの「まねび(学び)」
4月に入園した子どもたちにとっては、園庭の素材環境は具体性に乏しいと言えます、反面使い方によってはとても大きな可能性とおもしろさを含んでいます。素材そのままがほとんどのため、最初はどうやったら良いのか使いあぐねています。それでも子どもたちは、直接素材(砂、実、花、葉、水)に触れていくことで少しづつ慣れていきます。また、それぞれの自然物が持っている肌触りや色、香りなど五感を刺激する要素が、子どもたちの心と体を揺さぶるのです。
そして先輩、上の年齢の子がとても楽しそうに素材を使いこなすのを見て、最初は真似ます。真似て使ううちにその楽しさを実感し、「もっと もっと」とオリジナルな使い方も見つけることができるようになっていくのです。ここまでくれば大人は手を出す回数が減っていきます。逆に子どもの奇想天外な発想と豊かさに驚かされることも起きます。もちろん乳幼児期は大人が「きっかけ」をたくさん作るべき発達時期ではあります。
そして危険も増してくるということです。大人が必要以上に危険を知らせることが、自身の安全確保への力を身につけるのではなく、「自己選択」が自分の体を守るうえで、後々必要な力となっていくことを考えておかなければなりません。この危険への対応を身につける絶好の機会が「小さな危険」なのです。小さな危険を自分が選んだ活動で、繰り返し体験することにより、大きな危険を回避、あるいは事前に対応し、最小限のケガで済ますことができるようになります。結果がすぐに現れるわけではありませんので、大人は辛抱強くこの機会を見守る必要があります。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!
卒園生、転園生の皆さんへ10
2023.05.09
5月9日 朝 子どもたちの今を守るために

おはようございます。今日も良い天気です。新緑がまぶしく感じられます。
5日は子どもの日でした。子どもの権利条約、子ども基本法等、子どもたちが健やかに育っていくための法律が施行されています。なぜ、このような規則が作られているのでしょうか。それは子どもが子どもらしく生きていける環境が不足、欠如、侵害されているからにほかなりません。アンケート調査(日本財団が実施した、全国の10〜18歳の男女を対象「こども1万人意識調査」)でも「聞いたことがない」という回答が60%を超えています。「子どもがそれぞれの時代をその子らしく生きる権利」はとても大切です。認知度が問題なのではなく、法律まで作らなければならない現状がとても心配なことだと感じます。中日新聞コラムに詩人谷川俊太郎の一編の詩が掲載されました。
『生まれたよ ぼく』
生まれたよ ぼく やっとここにやってきた まだ眼は開いてないけど まだ耳も聞こえてないけど ぼくは知ってる ここがどんなにすばらしいところか だから邪魔しないでください ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを ぼくが幸せになるのを
いつかぼくが ここから出て行くときのために いまからぼくは遺言する 山はいつまでも高くそびえていてほしい 海はいつまでも深くたたえていてほしい 空はいつまでも青く澄んでいてほしい そして人はここにやってきた日のことを 忘れずにいてほしい
皆様それぞれの捉え方があるでしょう。それで良いと思います。ただ、忘れてならないことは、「子どもが子どもらしく生きること」を守る義務(今の成長を大切にする、世界平和、環境保護、人類の維持・・・)は大人にあるということを。今日も子どもたちが子どもらしくあることを願って、行ってらっしゃい。

おはようございます。今日も良い天気です。新緑がまぶしく感じられます。
5日は子どもの日でした。子どもの権利条約、子ども基本法等、子どもたちが健やかに育っていくための法律が施行されています。なぜ、このような規則が作られているのでしょうか。それは子どもが子どもらしく生きていける環境が不足、欠如、侵害されているからにほかなりません。アンケート調査(日本財団が実施した、全国の10〜18歳の男女を対象「こども1万人意識調査」)でも「聞いたことがない」という回答が60%を超えています。「子どもがそれぞれの時代をその子らしく生きる権利」はとても大切です。認知度が問題なのではなく、法律まで作らなければならない現状がとても心配なことだと感じます。中日新聞コラムに詩人谷川俊太郎の一編の詩が掲載されました。
『生まれたよ ぼく』
生まれたよ ぼく やっとここにやってきた まだ眼は開いてないけど まだ耳も聞こえてないけど ぼくは知ってる ここがどんなにすばらしいところか だから邪魔しないでください ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを ぼくが幸せになるのを
いつかぼくが ここから出て行くときのために いまからぼくは遺言する 山はいつまでも高くそびえていてほしい 海はいつまでも深くたたえていてほしい 空はいつまでも青く澄んでいてほしい そして人はここにやってきた日のことを 忘れずにいてほしい
皆様それぞれの捉え方があるでしょう。それで良いと思います。ただ、忘れてならないことは、「子どもが子どもらしく生きること」を守る義務(今の成長を大切にする、世界平和、環境保護、人類の維持・・・)は大人にあるということを。今日も子どもたちが子どもらしくあることを願って、行ってらっしゃい。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!