一途に生きる!
2023.06.18
植物画を描く 牧野万太郎

おはようございます。梅雨明けを思わせるようなお天気です。暑さも増しますが、私にとって夏は何となく心躍る季節です。情熱、一途、燃える心等を連想させる躍動感はとても好きです。
さて、朝の連続ドラマ「らんまん」では、植物学者を目指して懸命に日々を生きる、牧野万太郎こと牧野富太郎の人生を描いています。植物以外には目もくれず突き進む姿は圧巻です。ドラマの中で夜明けまで一緒に植物論集制作に励む同志の言葉が印象に残ります。「まんちゃんを視ていると、空っぽの器の中に情熱を持って目いっぱい詰め込んでいるようだ」、「凄まじい集中力だ」、「自分もかくありたい」と一途でひたむきな情熱を称賛し、勇気をもらう姿が心に染みました。
人間は情熱を注げる人、仕事、趣味を見つけることが大切です。たとえ不遇な時代が続いたとしても、一途に見つけたことに没頭していると、そこから道が開くこともあるからです。苦しい時も喜びの時も、その「一途な思い」さえあれば、いつの日か乗り越えていけると信じます。この世に生まれ出た喜びと責務を、後悔なく過ごすためにも、追い求めていきたい心ですね。行ってらっしゃい。
夕刻
野菜でスタンプ(オクラ)、虫取り等子どもたちにとって、自然はやはり身近な存在です。人工物も自然物も触れてみてこそ相手が何者であるかが分かります。様々な感覚器官をフルに活用すれば、速く詳しく特徴をつかむことができます。だいたい何かが分かったら次はどう使うかです。固定された方法はありませんので、気の向くままに試していけばよいと思います。どの方法が目的に合致しているかどうかの判断は、もっともっと先の発達でつかみ取るものだと思います。今は自分の手指で扱ってみて、どんな楽しさが生まれるのかを体で感じ、心を揺さぶられながら同じ感覚を味わいたくなったり、「もっと、もっと」と何回も繰り返すことで新たな発見をし、遊びが発展するなどにつながっていきます。その好循環が心身の発達につながっていくことはこれまでにお伝えした通りです。

おはようございます。梅雨明けを思わせるようなお天気です。暑さも増しますが、私にとって夏は何となく心躍る季節です。情熱、一途、燃える心等を連想させる躍動感はとても好きです。
さて、朝の連続ドラマ「らんまん」では、植物学者を目指して懸命に日々を生きる、牧野万太郎こと牧野富太郎の人生を描いています。植物以外には目もくれず突き進む姿は圧巻です。ドラマの中で夜明けまで一緒に植物論集制作に励む同志の言葉が印象に残ります。「まんちゃんを視ていると、空っぽの器の中に情熱を持って目いっぱい詰め込んでいるようだ」、「凄まじい集中力だ」、「自分もかくありたい」と一途でひたむきな情熱を称賛し、勇気をもらう姿が心に染みました。
人間は情熱を注げる人、仕事、趣味を見つけることが大切です。たとえ不遇な時代が続いたとしても、一途に見つけたことに没頭していると、そこから道が開くこともあるからです。苦しい時も喜びの時も、その「一途な思い」さえあれば、いつの日か乗り越えていけると信じます。この世に生まれ出た喜びと責務を、後悔なく過ごすためにも、追い求めていきたい心ですね。行ってらっしゃい。
夕刻
野菜でスタンプ(オクラ)、虫取り等子どもたちにとって、自然はやはり身近な存在です。人工物も自然物も触れてみてこそ相手が何者であるかが分かります。様々な感覚器官をフルに活用すれば、速く詳しく特徴をつかむことができます。だいたい何かが分かったら次はどう使うかです。固定された方法はありませんので、気の向くままに試していけばよいと思います。どの方法が目的に合致しているかどうかの判断は、もっともっと先の発達でつかみ取るものだと思います。今は自分の手指で扱ってみて、どんな楽しさが生まれるのかを体で感じ、心を揺さぶられながら同じ感覚を味わいたくなったり、「もっと、もっと」と何回も繰り返すことで新たな発見をし、遊びが発展するなどにつながっていきます。その好循環が心身の発達につながっていくことはこれまでにお伝えした通りです。
カテゴリ:生き方
卒園生、転園生のみなさんへ31
2023.06.16

おはようございます。
【七十二候が芒種の末候に変わり、青々と大きく実った梅の実が、黄色く色付き始める頃となりました。“梅の実が熟す頃の雨” ということから「梅雨」になったとも言われ、梅雨時である陰暦5月を「梅の色月」と美しく言い表した言葉も残っています。梅は、古くから日本人に身近な植物ですが、もともとは花よりもその実が万病に効くとされ、奈良時代に薬用植物として中国から伝わったといいます。じめじめとした梅雨に入り、身体の免疫力が落ちるこの時期、クエン酸が豊富で疲労回復、食欲増進の作用がある梅干しは、古くから重宝されてきました。殺菌作用も強いので、食中毒の予防にも役立ちます。収穫された梅の実は、梅干しや梅酒、梅シロップや梅ジャムなど、保存食として幅広く利用されています。梅酒用には、まだ熟す前の青く硬い実が、梅干しや梅酢用なら、完熟してちょっと黄色くなったくらいのものが良いそうです。】
今年も梅干し作りの季節がやってきました。我が家でも仲間からいただいた梅の実を、干す、漬ける、干すを梅雨明けにかけて繰り返し、心を込めて作っています。梅干し作りは人を育てることにも似ています。手間をかけずに放っておくと、中から水分が出てビニールなどに入れたままですと、湿気で腐ってしまいます。しばらくはへたをとり陰干しで水分を抜くことが必要です。それも梅同士がなるべく引っ付かないように、百均のよしずや新聞紙などに丁寧に置いておきます。とはいえたくさんあると丁寧にできず傷んでしまうこともあります。しかしちょっとやそっとでやられませんので、変色する前に塩と漬け込めば、塩と梅両方の殺菌作用で問題はほぼありません。植物は気候や状態に気を配れば答えてくれますが、人間はなかなかそのようにはいきませんね。しかし、根気が大切なこと、1度要領を学べば意外と育児は楽しくなるものです。梅の一粒々に子どもたちの顔を思い浮かべながら、今日もせっせと様子を見守るのでした。行ってらっしゃい。
夕刻
園庭での子どもたちの姿はいかがでしたでしょうか?子どもたちの自由奔放な姿に驚く、いやいやいつものことでしょうか?私たちは子どもたちの自由な園庭での言動を、できるだけ尊重できるように努力しています。最低限の安全確保、学びの機会は環境の整備が始まりです。園庭においても保育室でも、このことは忘れてはいけないことだと断言します。
今後も子どもたちは成長の途上の中で、きっと親が知ったらとんでもないことをしていくことでしょう。私たちは今は大人ですが、親に分からないように「危険、悪いこと」もしてきたはずです。しかし、今、世の中で問題になっていることは、このような経験を経てきていない子どもたちが多いと感じます。「親に内緒」これは親としては怖いことかもしれません。しかし、本人がやってみたいことに取り組むことを承認することは、本人が「これ以上はできない、してはいけない」と自分の心の中に歯止めを持てるように考えるきっかけとなることにつながります。そのためには、本人が自己決定し行うことを、保障していかなければなりません。規制してその危うさを学ぶ機会を邪魔してはならないのです。
思い返せば私も悪だくみをし、行ったことも数知れません。しかし、そのおかげで限度を学んできました。それは青年期まで続きます。本当に危うくなった時に親は成人前までは、子どもに「少し立ち止まること」を伝えることは許されるはずです。親に反対されたり、きつく戒められても、そこを乗り越えるだけの考えと責任を身につけているかどうかが大切になってきます。
そのような意味で、乳幼児期は「思いのまま」に過ごしていくことがとても大切な期間なのです。親子、保育士、教員との関係性をしっかりと保てるような力の育成は、この世に生まれてきた時から始まっていると思います。親としての第一義的責任、保育者としての責任、祖父母としての責任はそれぞれ異なります。しかし、産み育てる行為は人間にとって最も崇高で、真剣に考えなければならないことなのです。少子化は喫緊の問題です。子どもがいなくなれば人間は滅びます。そこが考えられていない政治、教育、子育てだから、時代と社会が生み出す世界に流された結果の、悲惨な事件が生まれていると考えます。いかがでしょうか?あくまで私見です。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!
雑草と草刈りの効用
2023.06.15
草刈り後の さっぱりとした園庭



おはようございます。今日も南の海上に梅雨前線があるため、快晴とはいきませんが、時々晴れ間も現れるのではないかと期待します。気温は徐々に高くなっていきます。園庭の野菜も順調に育っている様子ですが、湿気が多すぎて根腐れも心配します。
さて、昨日夕刻園庭の草刈りをしました。気温が高くなると草丈も伸び、同時に蚊や毒のある虫も増えてきます。ある程度除草することで虫の害も減りますので、梅雨明け前に1回は地面すれすれまでの刈込が必要となります。しかし、根こそぎ抜いてしまうと、生き物が何もいなくなり、土も痩せ何も育たなくなるため適度が大切です。草は見映え、虫刺され等で、良いことはないように思われますが、日中の輻射熱を抑え二酸化炭素を吸収し、酸素を輩出することで地面付近の温度を下げる効果があります。森、山へ行くと澄んだ空気を感じますね。また、人間の身体ばかりではなく、土壌にしっかりと根を張ることで地面が崩れることを防ぐなどの作用があります。森林伐採、針葉樹(杉)ばかりを植林する(根が浅い)ことが、山の土壌に良くないことは、ゲリラ的豪雨が発生したときの大きな災害ニュースで皮肉にも実証されています。園庭に増え続けるシロツメクサは、根がとても強く一度広がると留まるところを知りません。元は外国から持ち込まれた草で、家畜の飼料として使われていたのですが、日本の風土に合うのでしょう。一気に広がりましたね。動物が好んで食べるくらいですから、栄養価も高いようです。
何事も「中庸」、「今中」、「いい加減」が必要なのです。その「ころ合」が肌身で理解できると、自然や人との付き合い方にも通ずるコツのようなものが分かってきます。若いころには中々気付けませんが、失敗をしてきたからこその到達点かもしれません。
子どもたちも生まれてわずかな期間の中で、毎日様々な自然、人に出会っています。そのことが五感や生きる方法を身につけていく刺激になります。特に乳幼児期は感受性豊かと言えますので、強すぎない程度に様々な環境に触れていくことは大切です。しかし、情報量が多すぎると子どもの心と身体の許容範囲を超え、病気や不安定な心に傾いていきやすくなりますので適量が肝心です。本来自然は人間が手を入れなくても、適度なところで自らを制限するすべも持っています。里山は人が手を入れることで共生力を保ちます。人工物はついつい限度を超えた使い方をしてしまいます。扱いはよくよく考えていくべきですね。
今日も自然から学び、人工物を正しくコントロールし、安定した生活を送っていきましょう。行ってらっしゃい。
好きな遊びに取り組む大切さ!
今日は曇り空でしたが、外でも遊ぶことができ子どもたちも満足そうな表情を見せていました。慣れ親しんだ楽しさいっぱいの園庭は、今日も子どもたち心をくすぐります。様々な遊びを行っていく中で、自らのお気に入りの玩具、場所、遊び方に集中し、指先づかい、全身づかいで自らを鍛えていきます。鍛えられる力は体ばかりではありません。「やろうとする気持ち」、「諦めず何度も挑戦する心」、「大好きな友だちと一緒に過ごしたい意欲」、「小さな子への優しさ、いたわりの心」、これら大切な心情を遊びを通じて自らの力で育んでいくことは、自信という強い心根を生み出します。
さらに「自分はここで遊んでいて大丈夫、仲間や先生とたくさん遊ぶんだ」といった自己肯定感を育て、生活習慣という楽しみの前の面倒な「やるべきこと」に対しても、協力動作をしていく気持ちになり、早く遊びたいための準備技術が上達していきます。同時に「これをすませば、次は外でいっぱい遊べる」という見通しをも育てていくのです。強制や怖れによる締め付けからは、従順かつ他律的で無表情な感情しか生まれてきません。自分で結果を得ることがこんなに幼い時から必要であることは、先の成長を見越してのことでもあるのです。でも、「今」が大切です。目の前にある子どもたちの発達段階を認めることが、「子どもの人権を守り」、「子ども自身の成長を促す」大きな力になることを、どうぞ覚えておいてください。
カテゴリ:生き物・自然・人間