お知らせ

夏休み

2023.07.26

宮澤賢治
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おはようございます。今日も最高気温38度と予報されています。空調も利きが悪くなりそうです。
「日照りの時は涙を流し寒さの夏はおろおろ歩き・・」賢治が残した「雨にもマケズ」の一説です。
【「雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ・・・」、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ (日照の時は無力に涙を流すだけで)サムサノナツハオロオロアルキ (冷夏の時も無力におろおろ歩くだけで)・・・」「ひでり」「さむさのなつ」は自然災害の代表例でしょう。台風、大雨、洪水、地震、火山噴火、害虫の大量発生など。農作物の生育に甚大な被害を与え、飢饉となり、生活を直撃します。疫病も同様でしょう。自然は人間に対する悪意があるわけではなく、人間をいじめようとか滅ぼそうとかするのでもありません。自然としての当たり前の営みが人間にとっては脅威なのです。しかも多くの場合に有効な対策がなく、ひたすら頭を低くして過ぎ去るのを待つだけです。】
丈夫な体を持っていても、自然災害に対し人間は無力です。恐ろしいほどの最近の暑さ、突然の豪雨に逆らうことはできません。じっと耐え、やり過ごすしかありません。おそらく人間が原因の気候変動、争いについても悲しいかな人間は喉元を過ぎなければ、心から何とかしようとは思いません、また戦争など同じ過ちを何度も繰り返します。釈尊も老子も同じことを言っています。「他者が持っている物は自分の物(大きな世界から見れば所有を超える)」、「他者は自分を映し出す鏡(自分自身も持っている一面)」このことに気付くことが大切であると。行ってらっしゃい。

夏休み 吉田拓郎 作詞作曲 2006年
麦わら帽子は もう消えた たんぼの蛙は もう消えた それでも待ってる 夏休み
姉さん先生 もういない きれいな先生 もういない それでも待ってる 夏休み
絵日記つけてた 夏休み 花火を買ってた 夏休み 指おり待ってた 夏休み
畑のとんぼは どこ行った あの時逃がして あげたのに ひとりで待ってた 夏休み
西瓜を食べてた 夏休み 水まきしたっけ夏休み ひまわり 夕立 せみの声

古いですが私の20代のころの大好きな歌です。暑い夏にかぶった麦わら帽子、美しい先生への憧れ、宿題を適当にこなしながらも綴った日記、家族、恋しい人と切なさを感じた線香花火、捕まえたセミやクワガタ、季節の風物、共に過ごした大切な人は、自己の過ごした時間の中で鮮明に今の自分を支えています。その記憶が自己の経験、感情と合い重なり、素敵な、苦い、嬉しい想い出として心に残っていきます。
幼少期の子どもたちにはなおのこと歌や見るもの、体験することに家族との経験が豊かにそして鮮やかに重なっていくはずです。そんな楽しかった経験、病気で苦しい時の家族との温かい触れ合いが、心の支えとなっていきます。もちろん他者が優しさや労りを与えられる世の中であるべきだと思いますが、土台は家族にはかないません。だからこそ病気の時は一番近くに家族がいてほしいと願います。子ども心が寂しさを感じるとき、私は思わずその「クシャクシャになりかけている心」を「わしづかみ」にしたくなります。
凄惨な事件が後を絶ちません。子どもを溺愛するあまり殺人をほう助してしまう両親、何のために我が子を育ててきたのでしょうか?信じられない事件に思わず「親を選ぶことのできない子どもたち」の不幸を悲しまずにいられません。このような世の中になったとは言え、希望を失わず前に進んでいきたいと思います。目に見える形で子どもたちそしてご両親、祖父母の皆様、保育園がともに助け合って、楽しさ、辛さを分かち合っていけるような場所にしていきたいと切に願っています。

カテゴリ:子育て

表現画法から考える

2023.07.25

若碇の見事な掛け投げ!

おはようございます。今日も暑さは続きます。
大相撲名古屋場所が日曜日に終わりました。優勝はモンゴル出身で元横綱朝青龍の甥っ子、豊昇龍でした。横綱照ノ富士が途中休場し波乱の幕開けとなりましたが、若い力士が伸びるチャンスでもありました。私も毎回欠かさず観ていたわけではありませんが、たまたま幕下の優勝決定戦をテレビで観ることができ、覚悟を持った十両筆頭熱海富士の気迫、三段目若碇の見事な投げ技と相撲運びに感激しました。幕下でもこんなに素晴らしい闘いをする力士が存在することに驚きと嬉しさが溢れました。相撲界も国技でありながら多国籍が進み、失ってはならない日本の伝統を、日本人以外の皆様が純粋に守っている姿に対し、心から称賛の気持ちを持つことができます。どんなスポーツも取り組む賢明さに国境はなく、素晴らしい精神と鍛え抜かれた技にこそ注目し、讃えていくことが人間の尊さを表す象徴として、今後も全人類が意識していくべきだと思う機会でした。行ってらっしゃい。


ブラシを使ったスパッタリングは、なかなか出会うことができない道具(ブラシ)と素材(絵具)の体験です。指先に伝わる毛先が金網をひっかく感触(触覚)、絵の具が弾き飛ばされ、薄色の紙に点状にきれいに染まる色(視覚)、こするときに聞こえる擦れた音(聴覚)など、実は五感への刺激がたくさん詰まっている表現活動なのです。人間の感覚器官や呼吸器官は顔に集中しています。皮膚は第三の脳(第二は腸)とも言われ、外界を知る、コミュニケーションをとる(母子間密着-オキシトシンの生成)という大事な機能を持っています。盲目の人は風や香りで地形変化(車の接近、通過、ビルの切れ目)を感じ取ります。どこか機能を失ったとき、生きたい、知りたいという心がエンジンとなり、他の臓器や器官が代役を果たすため、普通以上に発達することが知られています。人間もそれぞれの感覚機能を眠らせたままでは、与えられた力をすべて使いきっているとは言えませんね。

一方昆虫は人間とは感覚器官の位置が異なっていますので、例えばカブトムシを飼っていたら、スイカを餌として与えることもあるかと思います。たまには体を洗ってやらないと、お尻近くに対で何か所かある気門(呼吸をする穴)がふさがり、窒息死してしまうことがあります。バッタやトンボも同じような体の構造をしています。理由は生きるために都合が良いからだと考えられますが、異なる体の構造と機能に昆虫の多様性を感じます。動物もイヌワシは1000m上空から獲物を視認し、鵜の視力は6.0~8.0もあるというのですから驚きです。他にも嗅覚に優れた犬は人の約2倍、イルカは6、7倍も優れているというのです。それぞれの生き物が生きていくための感覚機能の高度化を進化させてきたことがうかがえます。

かといって人間が幼少期から英才教育を行っても、心の成長がついていけるかどうかは疑問です。昨今の知識、技術に特化した教育方法も偏った人格を形成してしまわないかと心配になります。確固とした生きるための意欲という本質から離れ、一歩間違えば人間は私欲の塊であることも、心に留めておかなければなりません。人間としての様々な能力を伸ばしていくことは、とても素晴らしいことですが、同時に「矩を越えず」を意識することを忘れないようにしたいですね。

カテゴリ:生き物・自然・人間

研究と実践の差異

2023.07.25

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第三十四候「桐始結花 (きりはじめてはなをむすぶ)」 7/22~7/27頃
おはようございます。猛暑が続きます。負けないように食べ物や休息、気分転換が必要ですね。
【七十二候が大暑の初候に変わり、桐の花が実を結び始める頃になりました。桐は、初夏に薄紫色の花を咲かせ、盛夏を迎える今頃、卵形の実を結びます。この長さ3cmほどの実の中には、翼のある種子がたくさん入っており、風に乗って飛散します。桐の樹高は10メートル以上と大きく、花も高い場所に咲くため、目にする機会は少ないですが、古来より高貴な木とされ、家紋や紋章の意匠に取り入れられてきました。天皇家や日本政府、そして500円硬貨でも桐が使われています。】
「らんまん」。学者の世界は現代も論文発表が大切な業務の一つとなっています。先を争い学会発表した者が、新種の名付け親となれることも生き物を扱う分野では同様です。東京大学で学ぶ同士藤丸君は動物や生き物に関して、とても純粋に考え取り組んでいました。学会の競争原理に嫌気がさし、ある時万太郎に学校を辞めたいと打ち明けます。万太郎はそんな藤丸君を植物にたとえ、「弱いかもしれないが、他の誰よりも優しく特別な品種なんだ」、「一番住みやすい場所を探しに行く(休学)こと」を勧めます。人生は短いようで長いものですが、迷い、悩み、苦しさはつきものです。そんな世界を乗り越えていくためには、「逃げる」を「探す」に置き換え、明るく日々を生きていく知恵も必要であることを教えられました。行ってらっしゃい。

生きること
子どもたちの世界は道具と素材があれば、大人が思いもよらない方法で、自分自身の考えと方法を使いこなそうと奮闘します。その力はまさに「私はここにいる」、「私は生きている」という自己主張と生きる権利の行使を行っている姿に他なりません。その力に大人は蓋をしてしまってはならないと考えます。自分の身に危険が伴う時、お友だちを傷つけてしまいそうな時以外は、何をしようとしているのかをよくよく観察し、その言動を共有したり遊びが発展していけるように、助けてあげるのが大人の役割だと思います。子どもたちは道具を自らの考えで使ってみて、はじめてその性質を理解していきます。答えを先に示してしまえば、頭と身体を使い切る機会は奪われてしまうかもしれません。

人間の一生は「好奇心」と「挑戦」、「失敗」と「成功」の連続があるからこそ面白いのです。99回の失敗と1回の成功が「意欲」という、人間として必要な力の源になるのです。充たされるばかりでも不足ばかりでも、人間は前向きな考えを持続していきにくくなります。

カテゴリ:生き方

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