卒園生・転園生の皆さま4
2023.04.26
『雨の日の保育園』26日午後
雨の日は園庭に出られないため、子どもたちの心と体を上手にコントロールしてあげなければなりません。園庭のように自由度が少ない室内では、より人的環境の準備が子どもの状態を左右すると言えます。要するに「保育力が物を言う」こととなります。保育(子ども集団)は熟練者でも、毎日が「学び」であるという構えを持っていないと、子どもの心を見落としてしまうこともあります。ひとり一人の成長発達について責任を持つことは、たやすいことではありません。だからこそやりがいを感じる職務でもあります。
れんげ組(1歳児クラスの保育室での遊びについて)
もう少し月齢が高くなる、またお互いの関係性に遠慮がなくなる(慣れる)と、お互いの欲求がぶつかる(おもちゃの取り合い、人の取り合い)ことも起きてきます。今はまだ様子をうかがっている空気感があります。大人においても同じような手順を踏み「同じ」とか「違う」を見つけ出し、自分の好みにマッチしていれば、たとえ異なる反応をしている相手であっても、そこが一緒に遊びたいという動機につながることがありますね。すべてはこれからだと思います。
一人当たりが過ごす面積が大きければ(園庭のような)、自分から行動を起こさないうちは、他者と行動が重なったり、同じものを使おうと欲求が重なり合う場面も少ないはずです。ですからこの時期の保育室は、仲間の行動も確認しやすい、行動や言動も良く見聞きできます。逆に入園したばかりの頃は、クラスの皆が寂しさを共有し、一緒に泣いている、気持ちを同調させているといっても良いでしょう。「連鎖反応」と受け取られる状況は、「寂しさ」においても「楽しさ」であっても、向いている方向は同じ「気持ちの共有」ではないでしょうか。
寂しさ、体調が悪く機嫌が悪い時は絶対的安心存在である「ご家族」、あるいは「保育士という存在」が安心を伝えるために、非常に気と体を遣うこととなります。我がまま(幼児期以後)以外で泣いている状態の子は、どの年齢(乳幼児)であれ放置は絶対にできません。「抱っこしてないと泣き続ける」これは当たり前の反応です。個によってその反応に強弱があるだけで、人肌は「安心」であることに間違いはないのです。よく「抱き癖がつく」とか言いますが、そんなことはあり得ません。これは大人のいいわけです。子宮の中にいたころから、赤ちゃんはお母さんの声、鼓動のリズムを感じ「安心」を得ています。科学的に立証されている事実は、生まれた後も同じです。空腹や病気、排泄等の不快以外は、たとえ母親でなくても安心できる環境が、人の暖かさ、肌触り、小気味のいい揺れであることは間違いないのです。
雨の日は園庭に出られないため、子どもたちの心と体を上手にコントロールしてあげなければなりません。園庭のように自由度が少ない室内では、より人的環境の準備が子どもの状態を左右すると言えます。要するに「保育力が物を言う」こととなります。保育(子ども集団)は熟練者でも、毎日が「学び」であるという構えを持っていないと、子どもの心を見落としてしまうこともあります。ひとり一人の成長発達について責任を持つことは、たやすいことではありません。だからこそやりがいを感じる職務でもあります。
れんげ組(1歳児クラスの保育室での遊びについて)
もう少し月齢が高くなる、またお互いの関係性に遠慮がなくなる(慣れる)と、お互いの欲求がぶつかる(おもちゃの取り合い、人の取り合い)ことも起きてきます。今はまだ様子をうかがっている空気感があります。大人においても同じような手順を踏み「同じ」とか「違う」を見つけ出し、自分の好みにマッチしていれば、たとえ異なる反応をしている相手であっても、そこが一緒に遊びたいという動機につながることがありますね。すべてはこれからだと思います。
一人当たりが過ごす面積が大きければ(園庭のような)、自分から行動を起こさないうちは、他者と行動が重なったり、同じものを使おうと欲求が重なり合う場面も少ないはずです。ですからこの時期の保育室は、仲間の行動も確認しやすい、行動や言動も良く見聞きできます。逆に入園したばかりの頃は、クラスの皆が寂しさを共有し、一緒に泣いている、気持ちを同調させているといっても良いでしょう。「連鎖反応」と受け取られる状況は、「寂しさ」においても「楽しさ」であっても、向いている方向は同じ「気持ちの共有」ではないでしょうか。
寂しさ、体調が悪く機嫌が悪い時は絶対的安心存在である「ご家族」、あるいは「保育士という存在」が安心を伝えるために、非常に気と体を遣うこととなります。我がまま(幼児期以後)以外で泣いている状態の子は、どの年齢(乳幼児)であれ放置は絶対にできません。「抱っこしてないと泣き続ける」これは当たり前の反応です。個によってその反応に強弱があるだけで、人肌は「安心」であることに間違いはないのです。よく「抱き癖がつく」とか言いますが、そんなことはあり得ません。これは大人のいいわけです。子宮の中にいたころから、赤ちゃんはお母さんの声、鼓動のリズムを感じ「安心」を得ています。科学的に立証されている事実は、生まれた後も同じです。空腹や病気、排泄等の不快以外は、たとえ母親でなくても安心できる環境が、人の暖かさ、肌触り、小気味のいい揺れであることは間違いないのです。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!
統一地方選挙
2023.04.26
おはようございます。今日はまとまった雨が降るようです。周期的に変わる天気も春らしさですね。
統一地方選挙が終わりました。投票率は前回を下回る結果となり、政治に対する関心の低さに恐ろしさを感じます。こうして知らない間に、現政権は自分たちの都合のいいように権力をゆるぎないものとしていくのです。学術会議、原発、敵基地攻撃等、代表議員制民主主義は、国会という一部の人間の採決によって、法案が次々と可決されていきます。多くの検討事項を束ねて法案提出し、十分な議論も為されることなく、法律として決定される過程から、一般市民に災いを被りかねない事態が懸念されます。その時となってはもう遅いと思います。
権威主義国家(ロシア)は、とうとうネットを通じて召集令状を発出するようになっています。最新技術が国民に対する義務の強要として利用されることで、なお一層権威主義が我が物顔となっていくことでしょう。人間は「権威欲」、「金銭欲」、「食欲」、「性欲」において限度を超えてしまうと、破滅への引き金を引くこととなります。その状況に巻き込まれる前に、ひとり一人の力を元に改善していかなければなりません。特に多くの人を巻き込みかねない「権威欲」については、民主主義においてもよくよく監視の目を向けていかないと、権力者の好き勝手になってしまいます。
立候補者不在の無投票も目立ちます。原発のある地域でもこのような状況が発生し、地元市民の考えが反映されていない原発使用期限延長、推進はおかしな話だと感じます。議員となるには現行ではお金もかかります。しかしこのような時こそSNSなどの現代技術を使用し、今までにない方法で市民の代表者となる機会も作れます。(実際に行っている事例もある)私自身もスマフォや通信手段の高度化には中々ついていけず、対面が大切という考えが優先する世代ですが、学ぶ必要性は大いに在りと認めます。機会を見つけひとつ一つの問題点を挙げ、自分事として一緒に考えてみましょう。行ってらっしゃい。
統一地方選挙が終わりました。投票率は前回を下回る結果となり、政治に対する関心の低さに恐ろしさを感じます。こうして知らない間に、現政権は自分たちの都合のいいように権力をゆるぎないものとしていくのです。学術会議、原発、敵基地攻撃等、代表議員制民主主義は、国会という一部の人間の採決によって、法案が次々と可決されていきます。多くの検討事項を束ねて法案提出し、十分な議論も為されることなく、法律として決定される過程から、一般市民に災いを被りかねない事態が懸念されます。その時となってはもう遅いと思います。
権威主義国家(ロシア)は、とうとうネットを通じて召集令状を発出するようになっています。最新技術が国民に対する義務の強要として利用されることで、なお一層権威主義が我が物顔となっていくことでしょう。人間は「権威欲」、「金銭欲」、「食欲」、「性欲」において限度を超えてしまうと、破滅への引き金を引くこととなります。その状況に巻き込まれる前に、ひとり一人の力を元に改善していかなければなりません。特に多くの人を巻き込みかねない「権威欲」については、民主主義においてもよくよく監視の目を向けていかないと、権力者の好き勝手になってしまいます。
立候補者不在の無投票も目立ちます。原発のある地域でもこのような状況が発生し、地元市民の考えが反映されていない原発使用期限延長、推進はおかしな話だと感じます。議員となるには現行ではお金もかかります。しかしこのような時こそSNSなどの現代技術を使用し、今までにない方法で市民の代表者となる機会も作れます。(実際に行っている事例もある)私自身もスマフォや通信手段の高度化には中々ついていけず、対面が大切という考えが優先する世代ですが、学ぶ必要性は大いに在りと認めます。機会を見つけひとつ一つの問題点を挙げ、自分事として一緒に考えてみましょう。行ってらっしゃい。
カテゴリ:私見
卒園生、転園生のみなさん3
2023.04.24
24日朝
カマキリ生まれる! すごい数が生まれます

かわいいですが ピョンっと 跳ねて逃げていきます

園庭のかわいい雑草と実のなる木の変化
カタバミ(気候に応じ葉を閉じたり開いたり)

ジシバリ(どんな場所でも生きるタフな植物)

マツバウンラン(かわいい北アメリカ生まれの植物)

ビックリグミ(赤く熟したころ ヒヨドリなどが食べに来ます)

イチジク(単位結果性) 受精しないで実をつける(きゅうり バナナ ブドウ等)

ジューンベリー(ジャムにもできます)

おはようございます。明日から天気が崩れる予報です。お日様を十分に感じておきたいですね。
さて、園庭でカマキリの子どもが生まれ、子どもたちも観ることができました。きっと初めての経験だったと思います。生まれた数の多さには驚かされますが、この中で大人になれる個体は、それほど多くはありません。自然界はとても厳しく、多くが爬虫類や鳥などの餌食となってしまいます。生態系はこのように捕食関係があるからこそバランスを保っています。時々大発生や大量死などが起きるのも、自然界の掟に従っているといえます。
「自然淘汰」という言葉がありますが、生き物も大自然も何もかもが一方的ではない、存在と消失を繰り返します。人間も例外ではないはずです。ですが、人間は生活を豊かにし、生存をかけて自然を利用します。熱帯でしか生息できなかった稲を取り込み、安定した食料を確保し、結果稲作による水防、恒常的な食糧確保(保存)、土壌の無毒化などを得、干ばつや飢餓などによる食料不足に備えることができるようになりました。日本人にとって大切な米の文化を見直し、極端に欧米化する食糧事情から抜け出し、食料自給率を挙げていくことが、島国日本においては大切な課題となっていく時代だと感じます。行ってらっしゃい。
帰り
今日の写真に描かれている子どもたちの姿は、この時期の成長発達がよく捉えられていると思います。1枚の写真から何を読み取るかは、とても楽しく興味深いことです。「撮影者は何に感動したのだろう?」これが始まりです。私は勝手に想像し、文字にしていますので、間違った解釈をしていることもあるかと思います。ですが、いつもこのように想像力を働かせていると、いつのまにか子どもの心の世界に入り込んでいるような心持になります。
玩具は自分一人で遊ぶ、仲間と一緒に遊ぶ、その時々によっても「何を求めているのか」に左右され、予測が外れる時だってあるのです。しかし、遊んでいる物、場所、周りの人との関りを注意深く見て、考えを巡らせていくと答えに近づいているような気がします。
縄跳び紐、ロープ、食べもの玩具、押し車、ダンプカー、遊具それぞれの写真を見ていると、何かしら仲間や自分より幼い子との関りを持っていることが分かります。まだまだ一人で集中して遊ぶこむことが大切な時期ではありますが、たとえ言葉がなくても顔を見つめ合い、行動を起こすことでお互いが意思疎通しようとする様子が、見て取れます。「縄跳び紐を離さない」等は、「ぼくはきみと一緒にいるよ」のメッセージであり、なかなか来ない仲間をよく見て待っている姿は、「ぼくについてきてくれた きみを大切に思っているよ」、「差し出されたシロツメクサを 心の中のありがとうで受け取る」、「仲間のダンプに 君の車にも入れてあげるよ」と分かち合い、「おにーさんになって ここまでおいで 楽しいよ」、そんな心の言葉が聞こえてきそうです。
園庭という一つの場所で、毎日交わされるコミュニケーションは、確実に仲間への思いや必要性を含んでいます。そろそろ「なのはな組」のみんなは、一人よりも気の合う仲間を求め始めている時期になりつつあります。しかし、まだまだ自分中心でないといけません。この時期は決して学童期以降の我がままとは異なり、発達過程で当然充たされるべき欲求充足であると理解する必要があります。独りよがりなこの時代は一生のうち、今しかありません。他者や自分を傷つけることだけは避け、思う存分自分を押し通していくことが必要な時なのです。
カマキリ生まれる! すごい数が生まれます

かわいいですが ピョンっと 跳ねて逃げていきます

園庭のかわいい雑草と実のなる木の変化
カタバミ(気候に応じ葉を閉じたり開いたり)

ジシバリ(どんな場所でも生きるタフな植物)

マツバウンラン(かわいい北アメリカ生まれの植物)

ビックリグミ(赤く熟したころ ヒヨドリなどが食べに来ます)

イチジク(単位結果性) 受精しないで実をつける(きゅうり バナナ ブドウ等)

ジューンベリー(ジャムにもできます)

おはようございます。明日から天気が崩れる予報です。お日様を十分に感じておきたいですね。
さて、園庭でカマキリの子どもが生まれ、子どもたちも観ることができました。きっと初めての経験だったと思います。生まれた数の多さには驚かされますが、この中で大人になれる個体は、それほど多くはありません。自然界はとても厳しく、多くが爬虫類や鳥などの餌食となってしまいます。生態系はこのように捕食関係があるからこそバランスを保っています。時々大発生や大量死などが起きるのも、自然界の掟に従っているといえます。
「自然淘汰」という言葉がありますが、生き物も大自然も何もかもが一方的ではない、存在と消失を繰り返します。人間も例外ではないはずです。ですが、人間は生活を豊かにし、生存をかけて自然を利用します。熱帯でしか生息できなかった稲を取り込み、安定した食料を確保し、結果稲作による水防、恒常的な食糧確保(保存)、土壌の無毒化などを得、干ばつや飢餓などによる食料不足に備えることができるようになりました。日本人にとって大切な米の文化を見直し、極端に欧米化する食糧事情から抜け出し、食料自給率を挙げていくことが、島国日本においては大切な課題となっていく時代だと感じます。行ってらっしゃい。
帰り
今日の写真に描かれている子どもたちの姿は、この時期の成長発達がよく捉えられていると思います。1枚の写真から何を読み取るかは、とても楽しく興味深いことです。「撮影者は何に感動したのだろう?」これが始まりです。私は勝手に想像し、文字にしていますので、間違った解釈をしていることもあるかと思います。ですが、いつもこのように想像力を働かせていると、いつのまにか子どもの心の世界に入り込んでいるような心持になります。
玩具は自分一人で遊ぶ、仲間と一緒に遊ぶ、その時々によっても「何を求めているのか」に左右され、予測が外れる時だってあるのです。しかし、遊んでいる物、場所、周りの人との関りを注意深く見て、考えを巡らせていくと答えに近づいているような気がします。
縄跳び紐、ロープ、食べもの玩具、押し車、ダンプカー、遊具それぞれの写真を見ていると、何かしら仲間や自分より幼い子との関りを持っていることが分かります。まだまだ一人で集中して遊ぶこむことが大切な時期ではありますが、たとえ言葉がなくても顔を見つめ合い、行動を起こすことでお互いが意思疎通しようとする様子が、見て取れます。「縄跳び紐を離さない」等は、「ぼくはきみと一緒にいるよ」のメッセージであり、なかなか来ない仲間をよく見て待っている姿は、「ぼくについてきてくれた きみを大切に思っているよ」、「差し出されたシロツメクサを 心の中のありがとうで受け取る」、「仲間のダンプに 君の車にも入れてあげるよ」と分かち合い、「おにーさんになって ここまでおいで 楽しいよ」、そんな心の言葉が聞こえてきそうです。
園庭という一つの場所で、毎日交わされるコミュニケーションは、確実に仲間への思いや必要性を含んでいます。そろそろ「なのはな組」のみんなは、一人よりも気の合う仲間を求め始めている時期になりつつあります。しかし、まだまだ自分中心でないといけません。この時期は決して学童期以降の我がままとは異なり、発達過程で当然充たされるべき欲求充足であると理解する必要があります。独りよがりなこの時代は一生のうち、今しかありません。他者や自分を傷つけることだけは避け、思う存分自分を押し通していくことが必要な時なのです。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!