自然、人間、対等、平等
2021.09.07
おはようございます!植物の世界では稲の実りと並行し、他のイネ科植物も子孫繁栄のために花粉や綿毛を飛ばす季節です。これらの様々な生き物と共に生きていくために、免疫力を持つことで人間は生き延びてきました。母親の免疫保護から離れていく年齢では、この洗礼から逃れることはできません。人間のからだには元々癌細胞やウイルスも存在するそうですが、そのバランスによって良くも悪くも変化することが明らかになっています。悪玉と思われる細菌やウイルスも、実は均衡を保つことに貢献もしているのです。このバランスを崩さないように人間社会は考えていかなければなりません。過度な除菌による滅菌、食品添加物、農薬、品種改良等々、一見問題がなく人間生活を助けているように思われる知恵、物質も、その不自然さゆえに何らかの影響を人体に与えているのかもしれません。様々な自然界の脅威を抑え込んだり、快適に過ごすための知恵は必要です。しかし、根本的な 何か を変えていかなければ、人体に及ぼす悪影響はいたちごっこで根本的解決とは言えないと感じます。
さて、オリンピック、パラリンピックは何とか無事に終えることが出来ました。感染症禍のさ中様々な問題があったにせよ、アスリート、ボランティアの皆様、大会運営に携わった多くの皆様の奮闘は、私たちに多くの勇気と感動、そして平等や対等の考え方について、あらためてたくさんの教示をもたらしたのではないでしょうか。障がいの有無にかかわらず、スポーツを通じ人間力の限界に挑む姿は、「競えども争わず」お互いの人間性を称えあう美しい姿の結集であったと振り返ります。
人間同士の平等や対等、認め合う力は、意識していかなければ見失ってしまうことが多いと思います。世の中にはまだまだ貧困や虐待、紛争や殺りくが世界のどこかしこで発生しています。どの国においても理想の国家を作り上げるための努力は無くてはならないものですが、「競えども争わず」を大切にしていかなければ、人間の優越感という欲をもとにした人権侵害はなくならないでしょう。まして、人間の都合で破壊し続けてきた物言わぬ自然は、大きなしっぺ返しを人間界にもたらしているのです。根本的な変化は、自然の一部である人間が、多種多様な生き物間の存在やその居場所を、決して勝手に踏みにじらないための戒めを守り続ける他ないと考えるのです。そのためには、私も含め今無知であろうとも、知ろう、得ようと思う地道な毎日を忘れないようにしなければなりませんね!
さて、オリンピック、パラリンピックは何とか無事に終えることが出来ました。感染症禍のさ中様々な問題があったにせよ、アスリート、ボランティアの皆様、大会運営に携わった多くの皆様の奮闘は、私たちに多くの勇気と感動、そして平等や対等の考え方について、あらためてたくさんの教示をもたらしたのではないでしょうか。障がいの有無にかかわらず、スポーツを通じ人間力の限界に挑む姿は、「競えども争わず」お互いの人間性を称えあう美しい姿の結集であったと振り返ります。
人間同士の平等や対等、認め合う力は、意識していかなければ見失ってしまうことが多いと思います。世の中にはまだまだ貧困や虐待、紛争や殺りくが世界のどこかしこで発生しています。どの国においても理想の国家を作り上げるための努力は無くてはならないものですが、「競えども争わず」を大切にしていかなければ、人間の優越感という欲をもとにした人権侵害はなくならないでしょう。まして、人間の都合で破壊し続けてきた物言わぬ自然は、大きなしっぺ返しを人間界にもたらしているのです。根本的な変化は、自然の一部である人間が、多種多様な生き物間の存在やその居場所を、決して勝手に踏みにじらないための戒めを守り続ける他ないと考えるのです。そのためには、私も含め今無知であろうとも、知ろう、得ようと思う地道な毎日を忘れないようにしなければなりませんね!
カテゴリ:生き物と子ども
対等、同等、共存
2021.08.19
人間は目に見えるような弊害がないと、深刻にとらえたり、中々動こうとはしません。今日も「手ぶら登園」を勧める業者から朝一番に営業の電話がありました。「紙オムツも数を気にせずどんどん使ってもらえます。」この言葉に非常に危うさを感じました。大量消費社会が私たちの住環境や意識に何をもたらしているか。これは既に目に見える環境変化、人間の思考の無秩序性を見渡せば一目瞭然です。また、すべての番組がオリンピック一色になった日々に比べ、パラリンピックの放映はなんと少ないことでしょうか。放映権に左右される姿勢を疑問なく日常にさらけ出していることに疑問を感じます。パラの語源はギリシャ語の「並んで立つ、共存、対等、同等」という意味だそうです。「パラリンピックを誰もが楽しめるスポーツとしてとらえる、障がい者に対する既定や見方を変える。」が前提だといわれていますが、SGDSや様々な人権がうたわれている今だからこそ、民間企業にも働きかけが必要ではないでしょうか。オムツの問題も子育てや育児に対する姿勢を「物で解決できる」、テレビ放送も「スポンサーがつかないから放送しない」等、地球や人権に優しいとは言えない理念の無い実態がまかり通っています。私はスポーツで自分の限界まで頑張る人の姿をたくさん視たいです。紙おむつは最小限の使用に心がけ、ゴミを少なくしたいです。民意は一国民が作るものでもありますが、企業のトップが方向性を決めていることも事実です。縄文期から共生、共同を伝統として根付かせてきた日本人として、今こそ「私」から離れた思想を発信する好機が、このパラリンピックでもあると思うのですが?
カテゴリ:パラリンピック
太平洋戦争が終わった日
2021.08.15
今日は中国戦線、南方戦線、本土唯一の地上戦があった沖縄戦、広島原爆、長崎原爆を経て、大勢の人命が失われ戦いの終わった8月15日です。今ある日本の平和のために落命された皆様に感謝するほかありません。
この戦争には様々な呼称があります。大東亜戦争(日本の戦時下での呼称)、日中戦争、第二次大戦、立場や含まれる国の数により呼称は様々です。もちろん亡くなったのは日本人ばかりではありません。どうしてこのような事態になってしまったのか。その場にいた人間の心や組織の状態を紐解いていかなければなりません。軍人、政治家ばかりではなく、世論を後押しした国民の意識もあったことを、痛切に反省する必要もあります。戦争は終わったけれども生き残った人々の心の中は、いまだ戦争は終わっていないのです。
人間の個人思想は様々な情報によって左右されます。国家権力に自由を奪われ、統制が行われていた時代においては、間違った考えが世論になってしまうことも当然ありました。しかし現代は思想を見聞きし、自己選択が可能な時代のはずです。国家権力も普通選挙等で監視することが可能です。戦前戦中の宰相であった犬養毅(5.15事件で暗殺)は、普通選挙法を成立させ、命を懸け戦争を回避しようと働きかけ、国民がその判断をできる環境を用意してくれました。大いに先人に感謝するとともに制度を守っていかなければならないと思います。
さて、今を生きる私たちは今を真剣に考えることができる環境を用意しているでしょうか?様々な思想に触れていくことも、二度と悲惨を起こさない責任を作っていく大きな力となります。スマートフォンやネット環境で、好きな情報だけを選択できる今の時代にこそ、新聞、ニュース、過去現在の思想家の書物にも触れていかなければ、個人の考え方は限りなく偏っていくと危惧します。一部メディア、国家は自国や世界情勢について事実を隠したり、自分に都合の良い考えにすり替えてしまっています。それを見抜き、正しさを見据える力を持たないといけません。終戦の日は毎年訪れます。そのたびに特攻、空襲、原子爆弾の話は特集されます。その体験を語り、報道される真実から私たちは国のあり方や国民としての責任について、ほんの少しでも考えを深められるように努力していくことを忘れてはならないと思います。
この戦争には様々な呼称があります。大東亜戦争(日本の戦時下での呼称)、日中戦争、第二次大戦、立場や含まれる国の数により呼称は様々です。もちろん亡くなったのは日本人ばかりではありません。どうしてこのような事態になってしまったのか。その場にいた人間の心や組織の状態を紐解いていかなければなりません。軍人、政治家ばかりではなく、世論を後押しした国民の意識もあったことを、痛切に反省する必要もあります。戦争は終わったけれども生き残った人々の心の中は、いまだ戦争は終わっていないのです。
人間の個人思想は様々な情報によって左右されます。国家権力に自由を奪われ、統制が行われていた時代においては、間違った考えが世論になってしまうことも当然ありました。しかし現代は思想を見聞きし、自己選択が可能な時代のはずです。国家権力も普通選挙等で監視することが可能です。戦前戦中の宰相であった犬養毅(5.15事件で暗殺)は、普通選挙法を成立させ、命を懸け戦争を回避しようと働きかけ、国民がその判断をできる環境を用意してくれました。大いに先人に感謝するとともに制度を守っていかなければならないと思います。
さて、今を生きる私たちは今を真剣に考えることができる環境を用意しているでしょうか?様々な思想に触れていくことも、二度と悲惨を起こさない責任を作っていく大きな力となります。スマートフォンやネット環境で、好きな情報だけを選択できる今の時代にこそ、新聞、ニュース、過去現在の思想家の書物にも触れていかなければ、個人の考え方は限りなく偏っていくと危惧します。一部メディア、国家は自国や世界情勢について事実を隠したり、自分に都合の良い考えにすり替えてしまっています。それを見抜き、正しさを見据える力を持たないといけません。終戦の日は毎年訪れます。そのたびに特攻、空襲、原子爆弾の話は特集されます。その体験を語り、報道される真実から私たちは国のあり方や国民としての責任について、ほんの少しでも考えを深められるように努力していくことを忘れてはならないと思います。
カテゴリ:戦争