青虫(アゲハ)の羽化と「命」について考える
2026.06.07
さなぎになるため 高い所に自分をつるせなかった幼虫を 人工的に紙の入れ物(三角)に入れました
無事に羽化し羽を少しづつ広げ乾かしているところです!一人前になるのはとても時間がかかり 自然の中ではこの時も天敵に狙われるため羽化場所の選定も生死を分けますおはようございます。
園庭のシークワサーで生まれたナミアゲハの幼虫は、さなぎになりそしてほどなく羽化しました。と描写すれば「感動」はあまり感じられない表現となってしまいます。この変化(変態)に最初に気付いたのは、幼虫をいつも気にかけ、毎日出勤すると羽化を楽しみにしていた保育士です。羽化したときの驚きの声と表情には、嬉しさと感激の響きがありました!これこそ地球上のすべての生き物(人間も含む)の「命」の尊さを学ぶ好機なのです。
このような感動をまずは大人が感じていることが大切だと思います。「同じ感動を子どもたちに味合わせてあげたい!」と願う大人の強い思いがなければ、様々な子どもたちへの働きかけを行いたいという気持ちも湧いてこないことでしょう。この「伝えたい!」、「経験してもらいたい!」の思いは、幼虫に関わった人の原体験が元となるからです。虫が苦手で触れられなくても、やはり生き物の誕生の瞬間は、「視る」といった感覚を用い、昆虫や小動物においても経験しておくべきだと考えます。
最近北海道(旭山動物園)の飼育員が自らの連れ合いを殺め、よりによって勤務先の動物焼却施設で遺体を焼いたというショッキングな事件がありました。人の命を軽んじるとても凄惨な事件ですが、それよりも深刻なのは、普段から動物に愛情をかけているはずの飼育員が、このような行為に至ったことにあります。この事は見かけだけの「生命尊重」を物語っています。また「トクリュウ事件」の実行犯として、16歳の高校生が躊躇なく見ず知らずの他者を殺害してしまうのも、「命」について十分な体験を得てきていないことが、命を軽んずる大きな原因であるように思います。
先日の研修(あべのハルカス)でも、子どもの残虐性(アリを踏む、バッタの羽をちぎる等)について話題になりましたが、私も含め学童時代までは、興味と好奇心から多くの昆虫を粗末に扱ってきました。でも高学年になって同じことはしません。それは「命」への気づきの瞬間でもあります。だから幼児期は生き物には申し訳ないのですが、命を奪うような行為(幼虫に石をぶつける、アリの巣破壊等々)については、「あなたと同じように生きている命が亡くなったね、かわいそうだね」と事実だけは伝えてあげてほしいと思います。その行為を「ダメでしょ!」と否定しても子どもの心の底には伝わらないと感じます。子どもの頃生き物に対し「生死」を見聞きすることは、いずれ「大切にすべき自然」への気づきとなります。子どもたちが生きていける環境を残すことは、とりもなおさず生き物のことを知り、扱うことから始まるのです。身近な生き物を遠ざけてはなりません。
カテゴリ:教育
RSS 2.0