球界のご意見番 張本氏 逝去
2026.09.21

おはようございます。
「野球界のご意見番」として活躍した張本勲さんが逝去されました。心から哀悼の意を表します。張本さんは野球人としても現役を退いてからも活躍されましたが、広島出身の在日韓国2世で原爆の被爆者でもあります。その際姉を亡くし原爆について語ることを封印してきましたが、ある子どもの手紙に触発され原爆について向き合いました。
【被爆体験を語る“きっかけ”となった一通の手紙 伝えたい思いとは…自らの被爆について口を閉ざした張本勲さん。そこに訪れた転機とは…60代になった張本さんは、新聞社に頼まれ、原爆についての記事を寄せます。毎日新聞(2006年10月)「8月6日は大嫌い。法律でなくして、5日の次は7日にしてほしいぐらいだね」この記事を見た小学生の女の子から届いた一通の手紙が、張本さんの背中を押しました。張本勲さん「小学校の女の子が手紙をくれまして、『逆でしょう、8月6日はなくしちゃだめですよ。終生忘れない』って言われて、はっとしました」原爆と向き合うことから逃げていた自分に気付いた張本さん。これまでつらくて、行くことができなかった原爆資料館に足を運んだのです。黒焦げの三輪車、そして、やけどを負った人たちの写真。すべての展示に足をとめたといいます。(2014年・広島平和記念資料館)「姉さんを思い出す。このケロイドを見ると…ひどい」偉大なプロ野球選手として、そして、被爆者としての人生を歩んだ張本さん。「野球に出会えたことで私の人生は救われたといってもいい。しかし、私は、原爆の日のことを忘れたわけではありません」(『張本勲 もう一つの人生』より)被爆体験を伝えることのできる最後の世代として、張本さんは語り続けました。「私らが最後のメッセンジャーでしょう。悲惨な姿、光景、人間、物、自分の目で見てるし、体験したからね」原爆の被害は広島・長崎を最後にしたいと語っていた張本さん。「被爆者にとっては、死ぬまで戦争は終わっていない。『地球上から核兵器がなくなった』という一言を聞いて息絶えたいんだ」】
【フリーアナウンサーの唐橋ユミ(51)が13日、TBS「サンデーモーニング」(日曜前8・00)に出演。今月9日に86歳で亡くなった、プロ野球歴代最多の3085安打をマークした張本勲(はりもと・いさお)さん(本紙評論家)を追悼した。番組では、「張本勲さん死去。“ご意見番”としてスポーツ界を見守り続けた『喝!&あっぱれ』を振り返る」と題し、張本さんをしのんだ。番組サブキャスターとして、20年近く“ご意見番”の張本さんと毎週、接した唐橋は「張本さんの発言が毎週毎週ネットニュースになってSNSで大騒ぎになっていたのは、多くの人が張本さんの言葉に対して感情を揺さぶられていたからだと思うんですね。コンプライアンスを守ろうとするこの令和の時代に、人を傷つけかねない本音を張本さんがズバッと言っていたからだと思います」と話した。そして、「でも人の苦言というのは、その人に深い愛情がないと決して言葉にすることはできないと思うんですね。ですから私が身近で接してきた張さんというのは本当に心から深く愛情深い方だったなという印象です。本当にあっぱれです、張さん。ありがとうございました」と悼んだ。張本さんは1940年6月19日生まれ、広島県出身。浪商(現大体大浪商)から59年に東映(現日本ハム)へ入団し、巨人、ロッテでプレーした。昨年6月に亡くなった長嶋茂雄さん(享年89)の盟友でもあった。「安打製造機」の異名を取り、プロ野球歴代最多の3085安打をマーク。首位打者7度、最多安打3度、最高出塁率9度、ベストナイン16度を記録。首位打者7度はプロ野球記録で、90年に野球殿堂入りした。引退後は野球評論家として歯に衣(きぬ)着せぬ発言で人気を博し、「サンモニ」のスポーツコーナー「週刊御意見番」では、故・大沢啓二さんとともに「喝!」、「あっぱれ!」の熱い言葉で選手らを叱咤激励、野球ファン以外にも広く知られる存在となった。2021年12月26日の放送をもってレギュラー出演を卒業したが、その後も不定期で生出演。今年8月2日放送回にも生出演していた】
様々な顔を持った張本勲さん、苦しい戦争体験を糧に様々を語った姿は、様々な人々の生きる励みとして、永遠に心に残ることでしょう。
カテゴリ:プロフェッショナル
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