プーチ・ダモイ(家に帰る途中に)
2024.04.06

おはようございます。
4月2日クローズアップ現代で「プーチ・ダモイ」(第二次大戦中に帰還を願う家族の運動)、戦争に行った息子(夫)を帰還させてほしいと願う市民運動について報道がありました。プーチン政権はウクライナとの戦争に30万人もの民間人を動員しました。家族、多くの兵士が傷つき亡くなっている現実にいたたまれず勇気ある女性が声を上げました。戦争反対の人々が国外に移住する中、統制が続くロシア国内で戦争に反対し「家族を帰せ!」と運動することはとても勇気が必要なことです。しかし一番身近な家族を思う心は、人間にとって最も尊厳ある考えだと思います。
太平洋戦争下の日本の憲兵、特別高等警察による生活統制、思想弾圧、ドイツナチ党のユダヤ人殲滅(せんめつ)作戦などはまだ最近ことです。民意を得た国の権力者に反旗を翻し、一個人が連帯する勢力を形作ることは「死」をも覚悟しなければなりません。「家族愛」がロシア国家の原点だと謳うプーチン政権は、真っ向から「家族を生きて返せ!」と訴える女性団体に対し、あからさまに引き締めを行うことを避けています。これは大統領としてスローガンを掲げている以上、矛盾した弾圧は国民の心が政権から離れることを意味し、崩壊にもつながりかねないからです。明らかな私欲です。
また、思想統制に乗せられ独裁色の強い指導者に従っている国民の姿を目の当たりにすれば、ヒトラー、毛沢東、スターリンなどの独裁者や、政治主導者が公的立場を利用し、責任を逃れようとした日本の戦前戦中体制を良しとした日本国民の思い込みが、結局は間違いであり、民衆を圧迫してきた歴史であることを想いださねばなりません。21世紀になっても同じ過ちを繰り返す人間は、どのようなシステムでこのような暴挙を防いでいけるのでしょうか?「家族を生きて返せ!」このシンプルな主張こそ、権力に屈しない人類の代表者の言葉、思いとして大きく取り上げるべきです。
カテゴリ:戦争
自分を生かしおもてなし「きょうわごはん」レストラン開店!
2024.04.06


おはようございます。
中村区に障がいのある女性が分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」を遠隔操作して接客し、元料理人の認知症の男性が調理場で腕を振るう「きょうわごはん」が2月に開店しました(3.23中日)。
重い障害があっても分身ロボットで接客し、認知症があっても得意の料理で仕事ができる。そんな職場を作りたいと、「キョーワ薬局(東区)」が障害者雇用を進め実現しました。
とても素晴らしい取り組みだと思います。私たちの福祉会においても「障害者雇用」は義務付けられています。しかし現実的難しい問題もひとつ一つ乗り越えていかなければならないのが現状です。誰もが働く場所を得ることは、社会の一員としての喜びを感じ、繋がりを意識できる意義深い活動です。「食」というなくてはならない生活の一部分に楽しく携わる社会があることは、とても大事なことだと感じます。高度経済社会の時代より、世の中は人とのつながりよりも利潤追及に走り続けてきましたが、今後はひとり一人の生活の豊かさを目指し、どんな立場の人も安心して喜びをもって生きる場所を作り出していかなければなりません。「スロー」、「豊か」、「共生」は今の世の中の課題です。人間が人間らしく生きていくために、自分の周りに注意を払い、見つけ体験することから一歩を踏み出してみたいです!
「きょうわごはん」でHPを見ることが可能です。畳などはありませんがお子様連れでも来店できるようです。余裕がありましたら訪ねても良いかもしれませんね!
カテゴリ:宗教・文化
同性婚への社会、司法の意識と法の立ち遅れ
2024.04.06


おはようございます。
同性婚訴訟で札幌高等裁判所が初めての「違憲判断」を示しました。問題になっているのは憲法14条法の下の平等、24条1項人と人の自由な結びつきとしての婚姻、同条2項婚姻や家族に関する立法の解釈について、先に民法で定められている同性婚を認めていない条文に対し、訴訟を起こした同性カップル等に対する憲法判断についてです。
性的マイノリティーの人々は今までにも様々な区別をうけ、福祉保障や医療現場などで様々な不利益を被ってきました。生物は元々多様です。人間もその例外ではないことを考えると、今までの不平等や差別こそ改めなければなりません。「どんな子も取り残さない」、「誰もが平等」文字や形はいくらでも唱えることができます。しかしその正しさ、国民が認識すべき考え方は、法律により裏付けられなければなりません。今回の高裁の判断を「人権保障を広げる解釈」と評価する見方が大半ですが、判決文に「社会の空気の変化」を挙げ人々の認識に委ねるような記述がなされたことには批判もあります。やはり着手されていない国会での法整備を急ぎ、積極的な制度化を進めていかなければ、国家の意思としての当たり前の平等感は広がっていかないと思います。国が先導してこそ世の中も変わっていくはずです。
カテゴリ:生き方