お知らせ

大人の反応の大切さは人間を育てる!

2023.09.15



乳幼児期の子どもたちの生活は、欲求が満たされることを第一に考えなければなりません。心の成長(欲求)と体の発達は常に一緒に伸びていきます。あそびの欲求が満たされれば心は落ち着き、生理的な欲求(食べる、寝る)が発動します。神経で言えば交換神経と副交感神経が入れ替わり、バランスよい休息と発達を得られるリズムが出来上がっていきます。

さらに写真では「三項の関係」も見うけられます。これは自分が指さしている絵(ゾウさん)が、好きな動物であること、知っている生き物であることを、懸命に指で指し示し、保育者の顔を見て同意を求める心の現れです。心の中は感動と表現したい気持ちであふれているのです。今は言葉を持ち合わせていないだけです。

ここを見逃してはいけません!大人はすぐさま「そうだね、ゾウさんだね かわいいわ 先生も大好きよ」とあふれんばかりの笑顔を伴って、言葉(音)を返さなければなりません。その応答をこまめに行っていくことが、言葉を獲得する土台につながっていくのです。言葉やルールは大人の権威や威圧によって教え込むのではなく、子どもが自分の力で勝ち取っていくものです。「人は人によって育てられて初めて人間になれる」ことを心に留めておかなければなりません。

その支援はどんな方法が正しいのかは綴っているとおりです。叱責や我慢で真の忍耐や思いやりが育つのであれば、劣悪な環境で育っている子が忍耐強さを身につけられるということになります。大きな間違いです。「愛情を受けて育つ」の具体性は、この大人の丁寧な「映し出し」がとても大事です。「何度言ったら分かるの」、「赤ちゃんじゃないのだから」といった、決めつけの言葉を浴びせていくと、子ども心はねじ曲がったり、ふさぎ込んだり、いつも不安を背負ってしまったり、「こうなってほしいという大人の願い」とは裏腹に、自信のない気持ちの弱い子どもになっていってしまいます。

保育者、親の発する言葉、表情は人格形成に大きな影響力を持っています。自己を振り返り今がそうでなくても「気付く」ことが何より大切です。常に自己を省みることを忘れてはなりません。心底気付けば子どもも大人も自分で変わることができます。子どもはまっすぐですが、大人の視方、考え方は、自分で自分を邪魔することもあります。だからこそ「人の言葉に耳を傾け」、「自制を忘れず」の構えが必要です。「六十にして耳順う(したがう)-孔子」では、遅すぎることもあるのです。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

桐生悠々

2023.09.15

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おはようございます。晴天が続きます。
9月10日に80年目の命日を迎えた桐生悠々は、気骨あるジャーナリスとして毎年社説を飾っています。言論人として戦時下何度も弾圧されました。しかし軍部を批判し、新聞報道の神髄を貫いた氏の功績は偉大です。有名な言葉として「言いたいことを言うのは権利の行使、言わねばならぬことを言うのは義務の履行」があります。心に留めておくべき名言です。遺言ともいわれる最後の個人誌「他山の石」に掲載された「科学的新聞記者」原稿です。政府、報道等マスコミに対しても、常に批判検討の目線を外してはならないと思います。
【《この頃の新聞に至っては、…全然社会を無視して、時の政府の反射鏡たらんとしている。輿論(よろん)を代表せずして、政府の提灯(ちょうちん)を持っているだけである。そして彼等(かれら)は矛盾極まる統制の名の下に、これを彼等の職域奉公と心得ている》《今日の新聞は全然その存在理由を失いつつある。従って人はこれを無くもがなのものとしているけれども、他に代(かわ)ってその機能を果たすものなきが故に、彼等は已(や)むを得ずなおこれを購読しつつある。…今日のだらしない状態である》《将来の新聞は科学的でなくてはならない。現在に於(おい)て、全くその態度を一変しても、決して早くはあるまい》《神秘主義を尊奉するに至っては、その存在理由を失うのは明である。見よ、彼等は既にその存在理由を失わんとしつつある。試みに街頭に出て、民衆の言うところを聞け、彼等は殆(ほと)んど挙げて今日の新聞紙を無用視しつつあるではないか》】

カテゴリ:教える・伝える

水 朽ち木 小枝

2023.09.13

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まあ さっきのジョウロだ ここへ注ぐためだったの 答えは濡れた枯草が物語っていますね!

個々の子どもによって夢中になれる遊びは異なります。それぞれの興味に応じて自分の好みまたは得意な場所、物、人との関りを選択して遊びこんでいきます。園庭環境はとにかく自由度が大きいため、子どもたち相互も「おもちゃを取り合う」という状況が発生しにくくなります。また遊びと遊びをつなぐ道具(押し車・縄跳び・タイヤ他)、担任以外の先生もいるので、多様な感覚に出会うチャンスが室内よりも格段に増します。

雨上がりの園庭でどんな遊びをしているのか覗いてみました。おもしろかったのは、朽ち木の時ですね。ひとりの子が一所懸命に小枝で柔らかくなっているところをほじっているのです。何かを発見したいとか、確かな目的があるわけではなく、とにかくひたすらほじり返すのです。その楽しそうな様子に同じ年齢の子が集まってきます。そして同じことをする子、異なる素材(ジョウロの水)を上から注ぎ関わろとする子等、多様な人間関係が芽生えてきます。なんでそのようにしているかは不明ですが、水がかかることで朽ち木の状態も変わり、何だか科学実験のようです。おもしろいですね。

この状況を見て思います。「子どもたちは探究心旺盛な小さな研究者だと。」ただし自他の身の安全や健康を省みることがないため、安全、安心は大人が確保していかねばならないこと(日陰遊びへの導入、小枝がケガの原因にならないよう見守る)。そしてシロツメや猫じゃらし、カヤツリソウ、シークワサー等、個性ある性質や形を持つ草花、実を見立てて遊ぶヒントとなるように支援していくことが、子どもが自分で伸びていくため、大人がなすべき環境準備とお手伝いだと考えます。

カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!

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