暑さと戦争
2024.07.28
長岡の花火 山下清 作(貼り絵)

山下清 名言 みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな。
おはようございます。
うだるような暑さに毎年考えるようにしていることは、やはり戦争のことです。海や山などのレジャーが真っ盛りなこの時期にこそ、肉体と心の限界をも想起する暑さの中で、わずか数十年の間にどれだけの忘れがたい悲しみが生まれたことか、この現実を忘れず思い返していくことが、平和な世の中に暮らしている私たちの義務であると思います。
沖縄戦、本土空襲、南京大虐殺、シベリア抑留、中国残留孤児、日本が関わる戦争関連の歴史だけでも数多くあります。これが世界ともなればベトナム戦争枯葉剤散布、ナチスのユダヤ人虐殺、イランイラク戦争、ルワンダ虐殺・・数え上げれば切りがないほど殺戮の事実が存在しています。人間はかくも好戦的で残虐であることを心に留めておかなければ、きっと同じ悲惨を繰り返す本性を持っているのでしょう。だからこそ定期的にこれらの悲しみを思い出さなければならないのです。戦争体験がない世代はなおさらです。本物の悲惨はまさに「人間が人間でなくなる」行為行動に対し、何とも感じなくなるほど恐ろしいことです。現在も続いている身近な「戦争」も他人事ではなく、自分事として捉えていくようにしたいですね。

山下清 名言 みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな。
おはようございます。
うだるような暑さに毎年考えるようにしていることは、やはり戦争のことです。海や山などのレジャーが真っ盛りなこの時期にこそ、肉体と心の限界をも想起する暑さの中で、わずか数十年の間にどれだけの忘れがたい悲しみが生まれたことか、この現実を忘れず思い返していくことが、平和な世の中に暮らしている私たちの義務であると思います。
沖縄戦、本土空襲、南京大虐殺、シベリア抑留、中国残留孤児、日本が関わる戦争関連の歴史だけでも数多くあります。これが世界ともなればベトナム戦争枯葉剤散布、ナチスのユダヤ人虐殺、イランイラク戦争、ルワンダ虐殺・・数え上げれば切りがないほど殺戮の事実が存在しています。人間はかくも好戦的で残虐であることを心に留めておかなければ、きっと同じ悲惨を繰り返す本性を持っているのでしょう。だからこそ定期的にこれらの悲しみを思い出さなければならないのです。戦争体験がない世代はなおさらです。本物の悲惨はまさに「人間が人間でなくなる」行為行動に対し、何とも感じなくなるほど恐ろしいことです。現在も続いている身近な「戦争」も他人事ではなく、自分事として捉えていくようにしたいですね。
カテゴリ:戦争
オリンピック選手の苦悩
2024.07.28

おはようございます。
政治家の不祥事は慣れてしまうほど、毎日のように報道され呆れてしまいますが、スポーツ選手については何とも言えず考えさせられます。
喫煙、飲酒によってパリオリンピック代表を辞退した体操女子キャプテン、19歳、日本チャンピオン、様々なプレッシャーを背負いオリンピックに挑もうとしていた心は崩壊寸前だったのかもしれません。
【日本体操協会の藤田直志会長は「本人の責任だけでなく、協会全体の責任で、宮田選手に新たな一歩を踏み出してもらうためにサポートしたい」と話しました。宮田笙子選手が所属する順天堂大学の監督で日本代表の原田睦巳コーチは、「ものすごいプレッシャーと、結果を残さなくてはいけないということを胸に抱えながら日々を過ごしていたということはご理解いただきたい」と涙ながらに話しました。恩師で、鯖江高校女子体操部の田野辺満監督は「事実が明らかになったがまだ整理できていない。今は悔しいし、残念だ。キャプテンを任され、メダルも期待されて、本人からは相当な覚悟と強い意志が伝わってきていたが、けがも抱えていて、極度のプレッシャーもあったと思う。本人が反省して、次の一歩が踏み出せるよう、私や所属の大学も含めてサポートしていきたい」と話していました。】
未来ある人であり選手です。若さゆえの挫折はつきもの。彼女の人生がこのことで曲がっていくことがないように祈ります。精進、忍耐厳しい道を選択した人だからこそ、レールの上を踏み外して得た、欠け替えのない思いを大切にしていってほしいと願うばかりです。
カテゴリ:スポーツ
すばらしい生命の誕生!蝶の羽化
2024.07.28


自然の神秘は素晴らしいものです!人間の意欲関心を引き付けずにおきません。その中でも蝶の羽化は見ていてとても感動的です。小さな密室のさなぎから少しづつ自力で抜け出し、折りたたんでいた羽を少しづつ伸ばしていきます。青虫が茶色のさなぎになり、大きく変化し蝶となる。緻密にDNAにインプットされた生命の生まれ変わりはドラマティックなのです!
子どもたちはそんな生き物の姿に驚きを隠しません。日常的に見慣れている生き物、相手が動かない野菜やトウモロコシ、トマト、キュウリ、ジャガイモなどには、それほど触れることを躊躇する姿はありませんが、初めて間近で見る昆虫などの生き物となると、慣れ親しんでいるダンゴムシ以外は個人差もありますが、触れることに不安を抱いている姿が多いと思います。今日のセミ、キアゲハ、セミの抜け殻、トンボ(簡単にはつかまりませんが)、バッタなどには一定の距離(遠くから眺める、仲間が触れるのを観察する、少しだけ触れてみる)を置き関わっています。
しかし中には昆虫に非常に強い子もいます。少し不安な子はそんな仲間が良き教師となります。大人よりも仲間から受ける影響はとても大きく、憧れや励まされる対象にもなります。仲間と一緒に過ごす価値観はまさにここにあると考えます。子どもは大人から何でも与えられる存在ではなく、仲間に影響を受けながら「自分で行動を選択する」機会に恵まれることこそ、本人の成長を支える原動力となるのです。
だから今は虫に触れられなくてもよいのです。仲間の楽しそうな姿と大人の励ましを十分に受けておくことで良いのです。自分が見た仲間の姿、仲間や大人の励ましは心の中に残っていきます。生き物がこの先もずっと苦手な子はいると思います。しかし他の得意なことで本人が頑張ろうと心に決め、「行動を選択する」場合、虫での立場が逆転し、皆に憧れを持ってもらう嬉しさ、すべてが出来なくても良いこと、上手くいかない仲間を優しく勇希づける眼差しや行動が行える人に育っていくことでしょう。
嫌な思いをしたとき「仲間に助けてもらった」、「一緒に泣いてくれた」、このような関係性の経験は、人間同士が支え合っていくためにとても大切な経験です。幼い頃「子どもの経験」、「学び」という視点においてどんな価値観を大切にしているのかは、子どもたちの将来を左右します。大切にすべきことを誤ってはならないのです。
カテゴリ:生き物・自然・人間