お知らせ

パフ 竜の物語

2024.07.20



学生時代YMCAという団体でボランティア活動をしていた頃、幼児、学童キャンプの引率として小豆島(海のキャンプ)や氷ノ山(雪遊びキャンプ)で子どもたちとよくうたった歌があります。「パフ」、ピーター・ポール&マリーというフォーク歌手が歌った夢いっぱいで、少しかわいそうになる歌です。メロディーも優しく日本では「みんなのうた」でも紹介されました。ユーチューブで聴けますのでどうぞ。子どもたちの生活は出会いと別れの連続です。楽しい、寂しい思いもたくさん経験して大きくなっていきます。そんな時代にそっと寄り添ってくれた優しい歌、そして歌ってもらった経験はいつまでも記憶の中にとどまっています。

パフ』は、アメリカのポピュラーソング『Puff, The Magic Dragon パフ・ザ・マジック・ドラゴン』を原曲とする子供向けの歌・キッズソング。NHKの幼児教育番組「おかあさんといっしょ」で放送されるほか、小学校の音楽の教科書にも日本語版が掲載され、音楽の授業で合唱される。

(歌詞 訳)パフ 魔法の竜 海辺に住んでた 秋の霧の中 ホナリー島で遊んでた 幼いジャッキー・ペーパーは いたずらっ子なパフが大好き ヒモやロウなどのオモチャ パフのために持ってきた 二人は帆船で旅をした ジャッキーは見張り番 パフの大きなシッポの上で 高貴な王様と王子様は ジャッキー達におじぎをした パフが彼の名前を叫べば 海賊船だって旗を降ろした ドラゴンは不老不死 けど少年はそうじゃない ペイントした翼も大きな輪っかも 他のオモチャに負けてしまうある灰色の夜 それは起こった ジャッキー・ペーパーはもう来なくなった あんなに強いドラゴンのパフも 力強い叫びを止めてしまったパフは悲しみでうなだれ 緑色のうろこは 雨のように剥がれ落ちた 桜の道にも行かなくなった 大切な友達なしでは パフも勇敢にはなれなかった 強いドラゴンのパフは 悲しそうに洞穴(ほらあな)へ帰っていった パフ 魔法の竜 海辺に住んでた 秋の霧の中 ホナリー島で遊んでた

カテゴリ:教える・伝える

人間の成長は命尽きるまで!

2024.07.20



子どもたちは一分一秒の時間の流れの中で、自己の行動を選択決定し手足を動かし結果を見てまた考えます。その方法が自分の思うような結果であれば満足し、異なっていれば悔しい思いをしたり、このような感情を繰り返し体験することで、失敗をしても良い事、次の機会があることなども理解し覚えていきます。そうなのです!人生は失敗の連続です。いっぱいいっぱい失敗し、這い上がることに強くなっていけばよいのです。ケガも失敗も小さなころに小さく繰り返すことで、小さな事故には動じず、やがて大きなハードルにも挑戦していこうとする力強さを得ることが可能となります。

昨今若者が自分の居場所がなかったり、安住できる国日本にとどまり、自宅外、県外、海外、ひとりで暮らすことから意識的に遠ざかっているようです。確かに今の日本は生活することに便利であり、言葉も不自由なく通じあい、コミュニケーションも取りやすく、わざわざ自分が苦労して話が通じない環境へ赴く必要性も感じていないようです。島国で暮らす民族だからなおさら、自分以外のこと、他国の文化に積極的に触れ理解しようとする好奇な目線が必要です。

今後の世界は、よりグローバルな視点で物事を考えていかなければ、日本人同士がつぶしあい、そのうねりの中に埋没してしまうことになりかねません。そのためにも、幼いころから多様性、多世代に慣れ親しみ、その中でも善悪の判断、たくましく自己選択できる力を養っておくことが大切です。英語力ももちろん必要ですが、人間は言葉が通じなくても心で通じ合おうとする「意欲」、「気概」があれば、言わんとしていることは分かり合えるものです。根本の心根を鍛えておかなければなりません。

子どもたちには子どもたちなりの世界があります。大人の感覚では小さく見える園庭、校庭が、子どもにとってとてつもなく大きな場所として感じられることは、それだけ挑戦するにも勇気と思い切りが必要となる環境であるということです。このような感覚を乗り越えてきた子どもは、きっと大人になっても自身に降り注ぐ課題やハードルに果敢に挑戦できる心根を持てるに違いありません。ですから大人は知識技術偏重ではなく、子どもの心の成長を推し量ることが大切なのです。

カテゴリ:発達

身体をぶつけ合うことの大切さ!

2024.07.20



親、先生、なかまとの心と体の触れ合い。これほど誰かに依存し、仲間の心と体を知り理解する機会はないと思います。腸は第二の脳、第三の脳は皮膚と言われているほど、人間にとって皮膚は大切な器官です。温度や物の感触、風速さえも感じ自らを守る、外界を知り知恵を使うための判断等を最初にキャッチすることもできます。

幼い頃は主に母親とのスキンシップを重ねることで、安心して生きていける環境を確認します。安定してくると母親との安心距離を保ちながら、少しづつ外界へ興味を持ち活動を始めます。東洋人はこの愛着、密着関係でオキシトシンの分泌が特に多い民族です。生まれたての赤ちゃんでさえ、別室で寝起きする習慣を持つ西洋人とはそもそも体の構造が異なるところもあるのです。母子の分離が困難になるのは、多くは親の不安が子どもに伝染してしまうことにあるようです。「大丈夫、何とかなる」といった気持ちが現れる表情こそ、子どもの安心材料です。どんと構えていましょう!

さて子どもたちの保育園での生活は、乳児といえども集団での経験にあります。「個を大切にする」とは、個ばかりに集中して関りを持つということではなく、集団の中での個をキャッチし課題を見つけ、そのハードルを乗り越えていけるように支援することだと思います。写真にあるような狭い場所には風船のフワフワ感といった、子どもたちが大好きな遊びの要素があります、相反して友だちは大勢乗ることが難しくなる、でもやりたい。この矛盾は2人以上乗り込めば必ず体がぶつかり合うという結果を招きます。

これは良くないことでしょうか?ここに課題が見つかります。肌の触れ合いが感覚的に嫌な子、気にせずぶつかり合いを楽しむ子、子どもの様子も様々です。大人としてどこまでが許容範囲でしょうか?安全がまず第一に浮かびますね、しかし体をぶつけあうことで「相手の身体を知る」、「痛みを経験する」、「激しくぶつからないように気を付ける物理的感覚」等が分かるように配慮していくこと、言葉をかけていくことがとても重要だと思います。課題に対する答えを用意し子ども自身が気付けるように仕掛けを作っておくことは大切なことなのです。「保育は計算」と言われる所以です。

最初にお話しした通り、この体験は「フワフワ感が味わえる楽い活動」が最も大切な内容です。しかし集団といった要素が加わることで、子どもたちにとって必要な感覚、人間関係、心の発達を培うための素晴らしいきっかけをも含んだ活動であることを、育てる側の考えとして持っていれば、より素晴らしい活動であることは間違いないのです。

カテゴリ:発達

記事検索

RSSフィード

- CafeLog -