お知らせ

子どもは遊びの天才だ!

2023.10.26

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あなたにかかっては basket が hat に 変身だ!

今日も見せてくれています!様々な自然、玩具の状態を「見る」、「触れる」、といった感覚でキャッチし「おりる」、「まるめる」、「のせる」、「かぶる」、「おす」、「くぐる」、「ひっぱる」、「のばす」等々、様々な動きに転換していきます。これらの動作は本人が経験を通して挑戦してきたことが元になっています。

同じ動作を遊びという楽しさの中で繰り返すことによって、機能的な動きが発達し定着していくのです。比較的大きな筋力、関節などの動きを伴うのが「外遊び」です。平坦な地面よりも起伏ある環境、障害物のないのっぺらな地面よりも樹木や生活備品(机、いす)、遊び備品(平均台、遊具、タイヤ)がころがっていた方が、物、人を避ける注意力、走るスピードのコントロール、目でキャッチした情報を素早く脳に伝え、さらに足や手の操作に返していく時間も早く反応できるようになると思います。さらに、何度も行き来することで地形や配置は記憶として残り、次回の利用時に「短時間で身体が反応する」という利点も得られていると思います。

また、自然の素材は人工物にない複雑な感触を持っていますので、子どもたちにとってこれほど不思議で遊びがいのある素材はないのです。人工物には限界があります。反対にどんな「見立て」にも対応可能な自然素材!保育士はもちろん大人の視方ひとつで、子どもたちがどんな利用の仕方、素材の何に興味や意欲を感じているかがキャッチできれば「ほめること」、「認めること」も容易になります。そして大人の映し出し(認め、褒めた具体的な言葉【形容詞・名詞・擬態語】)と表情の豊かさが、子どもたちとの信頼をより強くすることにつながっていることは明らかです。

あそびの視方・遊びに取り組む子どもの姿をとらえる力=子どもの発達をとらえる力=相互の信頼関係を作る力であることを心に留めておけば、年長までの子どもたちは遊びを求めて大人の周りに集まってきます。結果近くで遊ぶ子どもとの関係を再度深めることにより安全をも確保できるのです。私の経験から言えることを書きました。子どもは遊びの天才です。そしてその力を伸ばしていけるのは、確かな愛情を持った大人に見守られた「子ども自身の伸びようとする力」です。

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多世代共生社会の必要性

2023.10.20

1999年5月12日、富山県初のNPO法人このゆびとーまれが認証されました。


おはようございます。
【赤ちゃんから認知症の高齢者、障がいの有無にかかわらず子どもから大人までが同じ空間で過ごす。そんな地域密着型の小規模福祉施設が「富山型デイサービス」との呼称で全国に広がりつつある。10.15中日】
子どもたちはおばあちゃんに駆け寄り握手をする、おばあちゃんは乳児の頭を撫でよしよしをする。こんな光景が自然に毎日繰り返されているのです。同じ空間にいることだけでお互いの存在を認め、子どもにとっては様々な人との交流によって「人を信頼する心」を育み、おばあちゃんにとっては「認知機能の維持」をしていくことにつながっていると思います。昔の日本では大家族でごく自然に営まれていた共生を、現代では意識的に作っていかなければならなくなりました。
子どもも高齢者も孤独から孤立し、将来を悲観しての自死や自分だけの世界への苛立ちから、他者を傷つけてしまうような事件さえ起きています。家族内でもこのような惨劇が起きているのは、まさに人間が孤立することの恐ろしさを物語っています。発達に支援が必要な子、独居、認知症の高齢者、違う一人ひとりが皆と一緒に暮らすことが、当たり前に認め合える社会を目指さなければならないと思います。誰もが孤独を抱え、本心を隠したまま生活する状況では、敵対や中傷などのマイナスの人間性がますます増長されてしまいます。プラスに向かっていけるようにひとり一人が努力し、笑顔を振りまいていけるようにしていきたいですね。行ってらっしゃい。

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ぐちゃぐちゃ遊びの楽しさ! 

2023.10.14

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自由にイメージし 押したり なぞったり 使い方も様々 おもしろいねー

1日目
子どもたちの自由な発想や行動を保障するために、室内環境を設定するには「想いと手間ひま」をかけることが必要です。準備の時間は1時間ほどかかっていました。講師の先生方は子どもたちへの熱意に溢れています。「保育ではなく時間限定だからできる」と言ってしまっては、何も学べないです。何よりも子どもたちの表情や言動が、光り輝き物語っていました。この瞬間をどれくらい「保育園の暮らし」の中で作っていけるかがとても大切だと思います。動画も撮影しましたので、いつか皆様にも公開できればと考えています。

講師は保育士を長らく務めていらしただけあり、導入にたくさん時間をかけ、子どもたちとの言葉と気持ちのキャッチボールにとても長けていらっしゃいました。「ぐちゃぐちゃ遊び」までの導入の流れはお見事!自己紹介(もちろん言葉のやり取り)から始まり、調律用の笛?でしょうか、「吹いても音が出ない!」と演じ、子どもたちのおまじない(言葉)を誘い、初めて会う人への安心と信頼を自然な雰囲気で作り出し、クイズ形式の野菜絵本(実はクラスでも見ている絵本でした)を観て野菜への関心を深め、さらに実物をみんなで触り感触を確認後、いよいよ本番。子どもたちの心は「やってみたい」気持ちに溢れていました。気持ちが掘り起こされれば、あとは子どもの自由に任すのみです。

子どもたちは日頃から豊かな園庭、おさんぽで様々な自然に慣れ親しんでいます。水と土が混ざれば泥に変わり、葉っぱはお皿に盛りつけられた土(ケーキ、ごはん)の上で、チョコレートやキャベツに見立てられます。ナメクジはチャーハンのおかずに変身!これらの豊かなイメージが絵具という人工物の感触、絵本という文化的な活動と相まみえ、ますますイメージは膨らみ、創造の世界は大きくなっていきます。さらにそこへ関わる様々な人の量、仲間とのやり取りが、子どもの心と身体の発達に関わっていることは言うまでもありません。

先生には大切な機会を与えてくださり感謝いたします。明日もたんぽぽ組の時間が有意義になることを期待しています。どうぞよろしくお願いします。子どもたちの作品はとても面白いです。何らかの形で保護者の皆様にも、実物を感じていただけたら良いと考えています。

2日目
最初は「押す」で遊んでいた子どもたちでしたが、途中から「ツルツル」した感触に多くの時間を割いていくようになってきました。野菜や物をスタンプすることへの興味は、間接的な物や道具の形を楽しむことに関心があると言えます。今日はどちらかと言えば、自分の掌、足などの形、手指で感じる絵具と水の感触の楽しさに没頭している時間が多かったように感じます。
子どもたちの姿は、僅かな年齢の差が様々な発達の違いをもって現れてきます。「なのはなさん」より月齢の低い「たんぽぽさん」は、そのような発達の段階だと思います。一つ一つその階段を踏み締め、味わいながら欲求を満足させ、その満足感が十分に味わえると、自然に次の発達の段階を求めるようになっていきます。

極ごく自然な流れの中で、子どもたちの発達は成り立っているのです。「大器晩成」という「老子」の言葉がありますが、実は最近の研究では「大器免成(めんせい)」だとも言われています。人間の力は無限なのです。体の成長はある年齢になればとまり、老化が始まります。しかし、脳の発達はどんなに時を経ても努力している限り、新たな神経細胞が生まれ、そして「つながる」と言われています。まさに「完成」することがないのが人間なのです。

子どもたちの成長発達はとても力強く、頼もしい限りです。子どもの成長発達から喜びをもらい、さらに学ぼうと思えばいくらでもその機会は得られます。「見ようとしているか」、「子どもを一個の人格として尊重しているか」、子どもを「小さな人(ノッポ さん-できるかなNHK)」と表現する意味は、「子ども」という存在の生きる強さと尊厳を表しているのです。

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かぼちゃの工作

2023.09.28

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半透明の発見! この紙の性質 声の振動や 空気が通ることへの関心

かぼちゃは畑を作ってもらったN(82歳の元気な方)さんが、子どものおもちゃにと持参していただいた、大きなかぼちゃ(オレンジ一色)が園庭においてあるため、イメージはできていると思います。本物をみていれば作ってみたいという意欲も持ちやすくなります。

そして子どもたちのすばらしさは、素材の性質をすぐに見抜くところです。色紙と違いこの紙は「クレープ紙?」という紙で、よく花束を包んだり、誕生日の際、包装紙として使いますね。半透明で吹きかけた息を通す、向こう側が見える、息と同時に声を出すと響く?などの性質があると思います。何でもやってみる、やってみたいのが子どもの本質です。このようにして物事の楽しさを見つけ、自分の力や知識として定着させていくのだと思います。

また、同じことを同じ場所、時間で仲間と行うことは、他者と自分の違いに気付く、思いもつかない方法の学びにもつながっています。さらに園庭では、年齢の上下が自然物を介在にして触れ合うことで、興味や意欲の芽を作っています。2歳児クラスの子どもたちは、そろそろ自分と気の合う特定の仲間を選択して遊ぶ気持ちが芽生えてきます。この発達を得て好き嫌いが生じ、偏った人間関係が生まれます。さらに発達が進むと(学童期)、「みんなの中の自分(好きでなないが上手に付き合うことの大切さ)」にも気づいて、「みんなちがってみんないい」と発展していきます。発達過程において「自己中心」、「好き嫌い」は、自己の選択力を伸ばしていくために必然な過程です。この時期があってこそ、「平等」、「協力」、「協同」、「連帯」等の崇高な思考にたどり着けるのです。時期が問題です。必要な時に必要な体験と仲間の中で育つことが、その力を生み出します。

私の息子は保育園時代、ダウン症の仲間と一緒に園生活を送っていました。何も拘りなく助け合い、お互いを尊重して生きている姿に、拘っているのは大人の見方であることを学んだのです。子どもの伸びやかで他者を受け入れる力(憐れみではなく、できないことを手伝う平等のやさしさ)は、幼い時ほど育つことができます。世の中はインクルーシブ(多様性を認め合う世界観)な考えになりつつあります。ハンセン病や障がいのある人々を過去の日本人は、座敷牢や山深い僻地に隔離し差別してきました。「生活する場を同じくする」ことは、お互いが理解しあい、助け合って生きる世界を作ることに最もふさわしい環境だとも思います。

ひとり一人違う人間同士です。世の中は必ずしも理解に寛大な場所ばかりではありませんが、自己を押し通すことばかりでは理想の人間社会だとは言えません。どこまでも理想を掲げ「信じあえる存在である人間同士」に希望を持ちたいと願います。

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「子どもの権利」を保障しなければ!

2023.09.19

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決定的瞬間! この不思議 快感! やってみなけりゃ 分かりません 本日のベストショット!!

手先、指先が十分使えるようになってくると、自分の好みや集中できる対象の選別に個性が現れてきます。保育は様々な環境を提供することで、子どもたちひとり一人の意欲が湧き上がる機会を設け、主体性を引き出していくことが大切です。「だれもがおなじではない」のです。したがって大人が「こうしてほしい」という願いのために、あまりにも物事を押し付けていくことは危険です。何が危険かといいますと、子どもは心の中で「やりたくない」と思っていても、大好きな大人から言われることに従おう、ホメられようと思う心が強く、その信頼に応えていきたいと知らず知らず考える傾向にあるからです。このような心の働きはもう少し先となりますが、習い事などの提供においては慎重になることも大事だと考えます。

子どもたちは様々な素材(新聞、広告)の使い方、自然物の性質、お日様を受けてできる影、へんてこな形の野菜(ヒョウタン)等々、見て、触り、匂いをかぎ、吹いて、つまんで、素早く水に足を着地させ・・・、物の性質の面白さを五感をフルに活用することで発見していきます。その様子はまさに「水を得た魚」そのものです。その集中力と意欲を止めることほどナンセンスで子どもの権利を阻害することであるのは言うまでもありません(危険回避は別)。
さらに私たち保育者は、人的環境としての関りに専門性を意識しなければなりません。それは、否定的言葉は極力使わない、結果論や大人の価値観で決めつけない(だから言ったでしょ、決まってるでしょ)、大人都合で子どもを扱わない(安全確保のためゲージの中に押し込まない等)、映像や目的のないおもちゃのバラマキはしない、今は話し掛けるべき時か(集中しているときに話しかければ邪魔をすることになる)、どんな言葉をかけるか(疑問形「どれだけ、いくつ、」、選択「どちら、何色」)、ナレーション(子どもが行っている様子を言語で表現する「クルクルだね」、「パシャーン とんだね」-オノマトペ 言葉が未熟でも子どもは聞いている)・・・・、等子どもたちが素材に親しみ、考えや行動をさらに深め発達を支援します。
また、感動や不思議に共感共有することで、身近な人への信頼感を育て、「自分自身を肯定する(自己肯定感)」を身につけられるように、日々子どもの遊びを見つめ、どんなかかわり方がベストであるのかを探求していく必要があります。写真一枚一枚には、そんな子どもたちの成長を願う、切実な思いを写し込もうとしている保育者の気持ちが込められていることを、ご理解いただければ幸いです。

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