卒園生、転園生のみなさんへ32
2023.06.21
花文字 中国伝統芸術 漢字の書体の一種。漢字の筆画を花、鳥、魚、虫、草、山、水などの縁起の良い文様に置き換え、基本的な漢字字形に従って、絵画と書道を統合して形成した書体
おはようございます。今日も曇りで外で遊ぶには丁度良い環境となりそうです。
【七十二候が夏至の初候に変わり、乃東が枯れていく頃となりました乃東とは、冬至に芽を出し夏至に枯れる「夏枯草 (かこそう)」の古名で、紫色の花を咲かせる「靫草 (うつぼくさ)」の漢方名でもあります。ウツボグサは、日当たりの良い山野の草地に群生し、夏至の頃に枯れていきますが、この枯れて茶色くなった花穂が「夏枯草 (かこそう)」です。夏枯草は、古くから洋の東西を問わず漢方として用いられてきました。この生薬を煎じて飲めば、利尿・消炎作用があり、煎液は、ねんざ・腫物・浮腫の塗り薬として、また、うがい薬にも用います。英名は、「all-heal = 全てを癒す」。和名は、花の形が矢を入れる「うつぼ」という道具に似ていることから付けられました。今回の候「乃東枯 (なつかれくさかるる)」は、冬至の初候「乃東生 (なつかれくさしょうず)」と対になっています。】
作日、今日は一般対象の園庭開放日です。昨年お世話になった加藤久美子先生(21日)、児童民生委員さんもいらっしゃり、お母さんや子どもたちと触れ合いの機会を持っていただきます。在園児さんにとっては様々な人に出会えるチャンス、地域の親子さんには、安心して遊べる場所の提供と、子育て仲間との出会い、育児、子どもの発達の学び機会としていただければ嬉しいです。行ってらっしゃい。
夕刻
今日は一般の皆さんのための園庭開放日でした。4組の親子様、加藤久美子先生、児童民生委員さん、蟹江町サロンの方もご参加いただき、様々な世代と専門家が集まる賑やかな園庭となりました。民生委員さんは年齢でいえば祖父母の世代、専門家ではありませんので、若いお母さま方に対しても遠慮がちです。これで2回目の来園になられますので、前回よりも余裕をもって親と子に関わる様子もうかがえました。子どもたちも大人も、いつもと異なる人や場所の環境に慣れるには時間が必要です。加藤先生にもたくさんの質問をされ一所懸命です。どうぞ肩の力を抜いていただきまして、自然体で楽しい園庭での子どもたちとの時間を楽しんで過ごしていただければ嬉しく思います。人間同士は対面で相手の息遣いも感じながら、笑顔と躍動感の関係性を持続していくことで、仲間になっていくことが可能になります。
江戸時代、庶民の生活は主に長屋と言われる隣近所が間近にある生活空間でした。中央に皆が集まれるようなスペースがあることも・・・、ひとりの問題を皆の問題として、皆の問題を自分事として心配しあっていました。貧しくつつましやかな生活が、そのような相互扶助の精神を生むのかもしれません。現代は情報も何もかも手に入れることは、テレビ、ネット、スマフォで可能になりましたが、一番大事な信頼や親近感を失っていることが増えてきました。私たちの祖先は仲間や隣人に迷惑をかけて村八分(近所付き合いをやめること)となっても、葬儀と火事だけは手伝う(疫病、延焼防止)風習を残しています。対面の付き合いは、最低限のルールを守り、人間同士が生きていくために必要なことだったのです。
人が生きるということは、必然的にどこかの誰かとお付き合いをするということだと思います。付き合いは心の中でいくら理論づけをしてもうまくいかないことがたくさんあります。しかし、頑張っている姿や言葉に触れるだけで、お互いを理解できるきっかけをも見つけることができるのです。意地を張らずまずはその場に身を置くことから始まると思います。
おはようございます。今日も曇りで外で遊ぶには丁度良い環境となりそうです。
【七十二候が夏至の初候に変わり、乃東が枯れていく頃となりました乃東とは、冬至に芽を出し夏至に枯れる「夏枯草 (かこそう)」の古名で、紫色の花を咲かせる「靫草 (うつぼくさ)」の漢方名でもあります。ウツボグサは、日当たりの良い山野の草地に群生し、夏至の頃に枯れていきますが、この枯れて茶色くなった花穂が「夏枯草 (かこそう)」です。夏枯草は、古くから洋の東西を問わず漢方として用いられてきました。この生薬を煎じて飲めば、利尿・消炎作用があり、煎液は、ねんざ・腫物・浮腫の塗り薬として、また、うがい薬にも用います。英名は、「all-heal = 全てを癒す」。和名は、花の形が矢を入れる「うつぼ」という道具に似ていることから付けられました。今回の候「乃東枯 (なつかれくさかるる)」は、冬至の初候「乃東生 (なつかれくさしょうず)」と対になっています。】
作日、今日は一般対象の園庭開放日です。昨年お世話になった加藤久美子先生(21日)、児童民生委員さんもいらっしゃり、お母さんや子どもたちと触れ合いの機会を持っていただきます。在園児さんにとっては様々な人に出会えるチャンス、地域の親子さんには、安心して遊べる場所の提供と、子育て仲間との出会い、育児、子どもの発達の学び機会としていただければ嬉しいです。行ってらっしゃい。
夕刻
今日は一般の皆さんのための園庭開放日でした。4組の親子様、加藤久美子先生、児童民生委員さん、蟹江町サロンの方もご参加いただき、様々な世代と専門家が集まる賑やかな園庭となりました。民生委員さんは年齢でいえば祖父母の世代、専門家ではありませんので、若いお母さま方に対しても遠慮がちです。これで2回目の来園になられますので、前回よりも余裕をもって親と子に関わる様子もうかがえました。子どもたちも大人も、いつもと異なる人や場所の環境に慣れるには時間が必要です。加藤先生にもたくさんの質問をされ一所懸命です。どうぞ肩の力を抜いていただきまして、自然体で楽しい園庭での子どもたちとの時間を楽しんで過ごしていただければ嬉しく思います。人間同士は対面で相手の息遣いも感じながら、笑顔と躍動感の関係性を持続していくことで、仲間になっていくことが可能になります。
江戸時代、庶民の生活は主に長屋と言われる隣近所が間近にある生活空間でした。中央に皆が集まれるようなスペースがあることも・・・、ひとりの問題を皆の問題として、皆の問題を自分事として心配しあっていました。貧しくつつましやかな生活が、そのような相互扶助の精神を生むのかもしれません。現代は情報も何もかも手に入れることは、テレビ、ネット、スマフォで可能になりましたが、一番大事な信頼や親近感を失っていることが増えてきました。私たちの祖先は仲間や隣人に迷惑をかけて村八分(近所付き合いをやめること)となっても、葬儀と火事だけは手伝う(疫病、延焼防止)風習を残しています。対面の付き合いは、最低限のルールを守り、人間同士が生きていくために必要なことだったのです。
人が生きるということは、必然的にどこかの誰かとお付き合いをするということだと思います。付き合いは心の中でいくら理論づけをしてもうまくいかないことがたくさんあります。しかし、頑張っている姿や言葉に触れるだけで、お互いを理解できるきっかけをも見つけることができるのです。意地を張らずまずはその場に身を置くことから始まると思います。
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卒園生、転園生のみなさんへ31
2023.06.16
おはようございます。
【七十二候が芒種の末候に変わり、青々と大きく実った梅の実が、黄色く色付き始める頃となりました。“梅の実が熟す頃の雨” ということから「梅雨」になったとも言われ、梅雨時である陰暦5月を「梅の色月」と美しく言い表した言葉も残っています。梅は、古くから日本人に身近な植物ですが、もともとは花よりもその実が万病に効くとされ、奈良時代に薬用植物として中国から伝わったといいます。じめじめとした梅雨に入り、身体の免疫力が落ちるこの時期、クエン酸が豊富で疲労回復、食欲増進の作用がある梅干しは、古くから重宝されてきました。殺菌作用も強いので、食中毒の予防にも役立ちます。収穫された梅の実は、梅干しや梅酒、梅シロップや梅ジャムなど、保存食として幅広く利用されています。梅酒用には、まだ熟す前の青く硬い実が、梅干しや梅酢用なら、完熟してちょっと黄色くなったくらいのものが良いそうです。】
今年も梅干し作りの季節がやってきました。我が家でも仲間からいただいた梅の実を、干す、漬ける、干すを梅雨明けにかけて繰り返し、心を込めて作っています。梅干し作りは人を育てることにも似ています。手間をかけずに放っておくと、中から水分が出てビニールなどに入れたままですと、湿気で腐ってしまいます。しばらくはへたをとり陰干しで水分を抜くことが必要です。それも梅同士がなるべく引っ付かないように、百均のよしずや新聞紙などに丁寧に置いておきます。とはいえたくさんあると丁寧にできず傷んでしまうこともあります。しかしちょっとやそっとでやられませんので、変色する前に塩と漬け込めば、塩と梅両方の殺菌作用で問題はほぼありません。植物は気候や状態に気を配れば答えてくれますが、人間はなかなかそのようにはいきませんね。しかし、根気が大切なこと、1度要領を学べば意外と育児は楽しくなるものです。梅の一粒々に子どもたちの顔を思い浮かべながら、今日もせっせと様子を見守るのでした。行ってらっしゃい。
夕刻
園庭での子どもたちの姿はいかがでしたでしょうか?子どもたちの自由奔放な姿に驚く、いやいやいつものことでしょうか?私たちは子どもたちの自由な園庭での言動を、できるだけ尊重できるように努力しています。最低限の安全確保、学びの機会は環境の整備が始まりです。園庭においても保育室でも、このことは忘れてはいけないことだと断言します。
今後も子どもたちは成長の途上の中で、きっと親が知ったらとんでもないことをしていくことでしょう。私たちは今は大人ですが、親に分からないように「危険、悪いこと」もしてきたはずです。しかし、今、世の中で問題になっていることは、このような経験を経てきていない子どもたちが多いと感じます。「親に内緒」これは親としては怖いことかもしれません。しかし、本人がやってみたいことに取り組むことを承認することは、本人が「これ以上はできない、してはいけない」と自分の心の中に歯止めを持てるように考えるきっかけとなることにつながります。そのためには、本人が自己決定し行うことを、保障していかなければなりません。規制してその危うさを学ぶ機会を邪魔してはならないのです。
思い返せば私も悪だくみをし、行ったことも数知れません。しかし、そのおかげで限度を学んできました。それは青年期まで続きます。本当に危うくなった時に親は成人前までは、子どもに「少し立ち止まること」を伝えることは許されるはずです。親に反対されたり、きつく戒められても、そこを乗り越えるだけの考えと責任を身につけているかどうかが大切になってきます。
そのような意味で、乳幼児期は「思いのまま」に過ごしていくことがとても大切な期間なのです。親子、保育士、教員との関係性をしっかりと保てるような力の育成は、この世に生まれてきた時から始まっていると思います。親としての第一義的責任、保育者としての責任、祖父母としての責任はそれぞれ異なります。しかし、産み育てる行為は人間にとって最も崇高で、真剣に考えなければならないことなのです。少子化は喫緊の問題です。子どもがいなくなれば人間は滅びます。そこが考えられていない政治、教育、子育てだから、時代と社会が生み出す世界に流された結果の、悲惨な事件が生まれていると考えます。いかがでしょうか?あくまで私見です。
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卒園生、転園生のみなさんへ30
2023.06.14
雨上がりの園庭
まだ棒遊びは終わりません! そうとう楽しいようです 穴を使って 水をすくい 背もたれのパイプの穴に お水を入れているのかな?
子どもたちは性格にもよりますが、「動いてみた」、「遊んでみた」結果で物事の楽しさ、性質を学んでいくと感じます。今日は蒸し暑く時々気持ちの良い風が吹き、衣服が水でぬれてもそれほど不快感や寒さを感じることがありませんでした。こんな気候の時は水遊びにもってこいですね。泥や水は子どもによっては、ある時期遊ぶことを嫌がる、躊躇する場合が見られます。そんな時は自分なりのペースで素材と環境に対して距離が縮まるのを待ちます。もちろん抵抗がない方法から誘うことは忘れません。「水が冷たくて気持ちが良い」ことは、小さな子でも経験から分かっていると思います、ただドロドロや水道水ではないこと、自分の経験外の対象であることに戸惑いを感じるのです。しかし外気温や日照などの条件によっては「ひょんなきっかけ」で一気にその不安な気持ちが払しょくされることもあります。「その時」が訪れるのは心の中が準備され、外的環境がマッチしたときです。その時こそ心は開かれ、はじけるような笑顔が現れるはずです。私たちは心が発動しやすいように、ひそかに時に大胆に機会を提供していくのみです。
「こどもがこどもらしく生きること」はとても大切なことです。成長段階の一瞬々は同じ体験を同じ感覚で味わうのに2度目はありません。その都度受けとめる感覚、感動も変化していくことを思うと、その一瞬が最高の喜びであってほしいと願います。一緒に喜びを分かち合う時、その感情はきっと子どもたちひとり一人の宝物となっていくことでしょう。
まだ棒遊びは終わりません! そうとう楽しいようです 穴を使って 水をすくい 背もたれのパイプの穴に お水を入れているのかな?
子どもたちは性格にもよりますが、「動いてみた」、「遊んでみた」結果で物事の楽しさ、性質を学んでいくと感じます。今日は蒸し暑く時々気持ちの良い風が吹き、衣服が水でぬれてもそれほど不快感や寒さを感じることがありませんでした。こんな気候の時は水遊びにもってこいですね。泥や水は子どもによっては、ある時期遊ぶことを嫌がる、躊躇する場合が見られます。そんな時は自分なりのペースで素材と環境に対して距離が縮まるのを待ちます。もちろん抵抗がない方法から誘うことは忘れません。「水が冷たくて気持ちが良い」ことは、小さな子でも経験から分かっていると思います、ただドロドロや水道水ではないこと、自分の経験外の対象であることに戸惑いを感じるのです。しかし外気温や日照などの条件によっては「ひょんなきっかけ」で一気にその不安な気持ちが払しょくされることもあります。「その時」が訪れるのは心の中が準備され、外的環境がマッチしたときです。その時こそ心は開かれ、はじけるような笑顔が現れるはずです。私たちは心が発動しやすいように、ひそかに時に大胆に機会を提供していくのみです。
「こどもがこどもらしく生きること」はとても大切なことです。成長段階の一瞬々は同じ体験を同じ感覚で味わうのに2度目はありません。その都度受けとめる感覚、感動も変化していくことを思うと、その一瞬が最高の喜びであってほしいと願います。一緒に喜びを分かち合う時、その感情はきっと子どもたちひとり一人の宝物となっていくことでしょう。
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卒園生、転園生のみなさんへ28
2023.06.12
いわさきちひろ
おはようございます。今朝は湿気が多く雨の1日となりそうです。
週末に孫(生後2ケ月少し)が我が家にやってきました。何年ぶりでしょうか、お風呂に入り湯船につかり、気持ちよさそうな顔を見ていると、思わず声をかけ、少しづつ表情や感情が現れてきた孫をいとおしく思う気持ちが湧いてきます。我が子の時とはまた異なる思いは何とも言えません。若い時は中々心に余裕がないものです。こうして私たちも赤んぼうのころ、家族にかわいがられて育ってきたのだと感慨深いことです。
母性本能は決してお母さんだけにあるものではなく、父親にも祖父母にも作られます。ただその役割は異なっているように思います。男性は女性にはなることができないため、すべてを半分とか大変な思いをして子どもを産んだのだからあとは父親の仕事、とはいきませんね。ですが育児に対し「手伝う」といった感覚ではなく、能動的に自己の価値観(もちろん家族間の合意の元)をもって、「育てる」をしていかなければなりません。そうすることで赤ちゃんはしっかりと父を「自分を大切にしてくれる人」としてとらえていきます。
子どもは大人の背中を見て育ちます。多世代や他者等多くの大人たちに助けてもらうことは、人間らしく育っていくためには、どうしても必要な環境であると思います。子育て真っ最中には中々気付かないで過ぎてしまうことが多いです。私の立場、年齢だからこそ納得できるのも確かです。子どもを育てながら、実は子どもに育てられている両親、祖父母、そして保育者であることを心にとめておくことが大切ですね。
ただ言えることは、「育児」を人に助けてもらうことは、親子にとっても手伝う他者にとっても、もちろん本人にとっても幸せに生きるため必要なことであるという真実です。行ってらっしゃい。
雨の日を楽しく!夕刻
えんちょうせんせい 来客です はーい これはこれは小さなお客様! しわ 何本 みえますか?
今日の雨の日のお楽しみは、「絵本を見る」、「イメージをもって絵を描く」、「双眼鏡(作って)で遊ぶ」、「色々な物や人を見る」、「ごはんを作る(ままごと)」でした。五感をたくさん使って休むことなく、次から次へ行っていきます。子どもたちは遊びの途中で「やすみたい」とは言いません。フルに活動し満足しきったところで、落ち着いて食べる、寝るへ移行していくだけです。大切なことは「遊びきる」ことだと思います。不完全燃焼では食欲も心地よい疲れも生じないのです。「やり切る」からこそ「お腹が空いて食べたい」、「お腹も膨れ、なんか眠くなってきた」、「ぐっすり眠りパワー100%復活!」という好循環が生じるのです。
だから大人から与えられたはずの活動が、「自分自身の楽しさ」、「あたかも自分で見つけたかのような遊び」として、心の満足へ向かうのです。大人はいかにその気になれるようにするのかが大切です。絵本で見た「ぞうさんのおさんぽ」でさえ、室内で何かしら仕掛けを設けておけば、「まるで絵本の世界が、現実に現れた」と沸き立つような嬉しさを感じることも生じることでしょう。夢と現実の世界を行き来することが得意な子どもたちは、いとも簡単にその世界を飛び越え、没入することができる力を持っているのです。
双眼鏡はとてもよいですね!きっと子どもたちの眼にも、普段見ている世界が「ピカピカ」の新鮮な世界として、映っていたに違いありません。保育とはそんな子どもの「期待感」をくすぐる時間でなければならないのです。子どもたちの遊びこめる世界には、①その遊びに挑戦性があること②自分の考えていることを素直に表現できること③他のこどもとの関りがあることなどの基準で、用意しようとしている内容を検討しておくと、大きく的を外すことはないと思います。
そして、双眼鏡は見ていることを明らかに相手に伝えることができます。誰かに興味関心を持つ、持たれることは人間としてとても必要な行為ですし、対面でしかその「ワクワク感」は得られるものではありません。子どもたちにとって「見ていてくれている、私に関心を持ってくれている」は、とても嬉しく安心できる状況だと思います。「自分は孤立なんかしていない」、「みんなの中の自分なんだ」と思える心強い関係性作りにも適した性質の物なのです。もちろん視野が狭くなるだけの話ですが、こんなことが子どもたちの心を揺さぶり、集中できる機会を提供することとなるのです。おもしろいですね!
おはようございます。今朝は湿気が多く雨の1日となりそうです。
週末に孫(生後2ケ月少し)が我が家にやってきました。何年ぶりでしょうか、お風呂に入り湯船につかり、気持ちよさそうな顔を見ていると、思わず声をかけ、少しづつ表情や感情が現れてきた孫をいとおしく思う気持ちが湧いてきます。我が子の時とはまた異なる思いは何とも言えません。若い時は中々心に余裕がないものです。こうして私たちも赤んぼうのころ、家族にかわいがられて育ってきたのだと感慨深いことです。
母性本能は決してお母さんだけにあるものではなく、父親にも祖父母にも作られます。ただその役割は異なっているように思います。男性は女性にはなることができないため、すべてを半分とか大変な思いをして子どもを産んだのだからあとは父親の仕事、とはいきませんね。ですが育児に対し「手伝う」といった感覚ではなく、能動的に自己の価値観(もちろん家族間の合意の元)をもって、「育てる」をしていかなければなりません。そうすることで赤ちゃんはしっかりと父を「自分を大切にしてくれる人」としてとらえていきます。
子どもは大人の背中を見て育ちます。多世代や他者等多くの大人たちに助けてもらうことは、人間らしく育っていくためには、どうしても必要な環境であると思います。子育て真っ最中には中々気付かないで過ぎてしまうことが多いです。私の立場、年齢だからこそ納得できるのも確かです。子どもを育てながら、実は子どもに育てられている両親、祖父母、そして保育者であることを心にとめておくことが大切ですね。
ただ言えることは、「育児」を人に助けてもらうことは、親子にとっても手伝う他者にとっても、もちろん本人にとっても幸せに生きるため必要なことであるという真実です。行ってらっしゃい。
雨の日を楽しく!夕刻
えんちょうせんせい 来客です はーい これはこれは小さなお客様! しわ 何本 みえますか?
今日の雨の日のお楽しみは、「絵本を見る」、「イメージをもって絵を描く」、「双眼鏡(作って)で遊ぶ」、「色々な物や人を見る」、「ごはんを作る(ままごと)」でした。五感をたくさん使って休むことなく、次から次へ行っていきます。子どもたちは遊びの途中で「やすみたい」とは言いません。フルに活動し満足しきったところで、落ち着いて食べる、寝るへ移行していくだけです。大切なことは「遊びきる」ことだと思います。不完全燃焼では食欲も心地よい疲れも生じないのです。「やり切る」からこそ「お腹が空いて食べたい」、「お腹も膨れ、なんか眠くなってきた」、「ぐっすり眠りパワー100%復活!」という好循環が生じるのです。
だから大人から与えられたはずの活動が、「自分自身の楽しさ」、「あたかも自分で見つけたかのような遊び」として、心の満足へ向かうのです。大人はいかにその気になれるようにするのかが大切です。絵本で見た「ぞうさんのおさんぽ」でさえ、室内で何かしら仕掛けを設けておけば、「まるで絵本の世界が、現実に現れた」と沸き立つような嬉しさを感じることも生じることでしょう。夢と現実の世界を行き来することが得意な子どもたちは、いとも簡単にその世界を飛び越え、没入することができる力を持っているのです。
双眼鏡はとてもよいですね!きっと子どもたちの眼にも、普段見ている世界が「ピカピカ」の新鮮な世界として、映っていたに違いありません。保育とはそんな子どもの「期待感」をくすぐる時間でなければならないのです。子どもたちの遊びこめる世界には、①その遊びに挑戦性があること②自分の考えていることを素直に表現できること③他のこどもとの関りがあることなどの基準で、用意しようとしている内容を検討しておくと、大きく的を外すことはないと思います。
そして、双眼鏡は見ていることを明らかに相手に伝えることができます。誰かに興味関心を持つ、持たれることは人間としてとても必要な行為ですし、対面でしかその「ワクワク感」は得られるものではありません。子どもたちにとって「見ていてくれている、私に関心を持ってくれている」は、とても嬉しく安心できる状況だと思います。「自分は孤立なんかしていない」、「みんなの中の自分なんだ」と思える心強い関係性作りにも適した性質の物なのです。もちろん視野が狭くなるだけの話ですが、こんなことが子どもたちの心を揺さぶり、集中できる機会を提供することとなるのです。おもしろいですね!
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!
卒園生、転園生のみなさんへ27
2023.06.09
園庭の自然を楽しむ!6月9日 朝
たくさん実りそうです シークワサー
こちらも豊作 イチジク ホワイトゼノア
赤い色を保ち熟しているモミジのタネ
すくすく育て 子どもたち カシワ
おはようございます。今日は「晴れ一時雨」という分かりにくい1日となりそうです。隙を見つけて少しでも外へ出られると良いのですが。
今週園庭の草刈りをしました。気温が上がると蚊も増えてきます。柔らかな子どもたちの皮膚は、蚊にしてみれば絶好の獲物です。自然との共生は、ある程度整備することで特定の生き物を調整する働きを生みます。多すぎても少なすぎても人間にとって「心地よく、面白い環境」にはなりません。先人は里山を手入れし、人間と生き物の共生を図ってきました。それは「山神様」という存在に対し畏怖の念を抱き、必要以上の乱獲はしてきませんでした。必要以上の恵みを享受することで、自然からのしっぺ返しを怖れていたからです。人間が自分のことだけを考え森を壊し、どこにでも足を踏み込んでいけば、結果、細菌やウイルスが必要以上に人間に害を及ぼしたり、災害に見舞われる結果をもたらします。
子どもたちにとって園庭は「心が沸き立つ環境」でないといけません。しかし、余りにも蚊が増えすぎることは健康被害につながりかねません。小さな昆虫がいれば、それを捕食する生き物がやってきます。園庭の多様性がどこまで進むのか毎日目をみはっています。招かれざる客(蛇)も現れるかもしれません。しかし、蟹江にマムシはいませんので安心してください。「植物と生き物と子どもたち」この関係性から生まれる「ワクワク」を共有しながら、生き物の多様な姿に触れていくことが、必ずや地球環境を守る心を育てると信じています。今からの季節はイチジク、シークワサー、ブルーベリー、秋が深まればクリもなることでしょう。初めて出会う果物にもどんな反応を見せてくれるのでしょうか?楽しみにしていきましょう。行ってらっしゃい。
2週間本園で頑張っていただきました実習生の先生が、本日をもって学びを終えられます。懸命に取り組まれる姿から私たちもたくさんの学びを得させていただきました。ありがとうございました。素敵な先生になられることを心から願っています。
たくさん実りそうです シークワサー
こちらも豊作 イチジク ホワイトゼノア
赤い色を保ち熟しているモミジのタネ
すくすく育て 子どもたち カシワ
おはようございます。今日は「晴れ一時雨」という分かりにくい1日となりそうです。隙を見つけて少しでも外へ出られると良いのですが。
今週園庭の草刈りをしました。気温が上がると蚊も増えてきます。柔らかな子どもたちの皮膚は、蚊にしてみれば絶好の獲物です。自然との共生は、ある程度整備することで特定の生き物を調整する働きを生みます。多すぎても少なすぎても人間にとって「心地よく、面白い環境」にはなりません。先人は里山を手入れし、人間と生き物の共生を図ってきました。それは「山神様」という存在に対し畏怖の念を抱き、必要以上の乱獲はしてきませんでした。必要以上の恵みを享受することで、自然からのしっぺ返しを怖れていたからです。人間が自分のことだけを考え森を壊し、どこにでも足を踏み込んでいけば、結果、細菌やウイルスが必要以上に人間に害を及ぼしたり、災害に見舞われる結果をもたらします。
子どもたちにとって園庭は「心が沸き立つ環境」でないといけません。しかし、余りにも蚊が増えすぎることは健康被害につながりかねません。小さな昆虫がいれば、それを捕食する生き物がやってきます。園庭の多様性がどこまで進むのか毎日目をみはっています。招かれざる客(蛇)も現れるかもしれません。しかし、蟹江にマムシはいませんので安心してください。「植物と生き物と子どもたち」この関係性から生まれる「ワクワク」を共有しながら、生き物の多様な姿に触れていくことが、必ずや地球環境を守る心を育てると信じています。今からの季節はイチジク、シークワサー、ブルーベリー、秋が深まればクリもなることでしょう。初めて出会う果物にもどんな反応を見せてくれるのでしょうか?楽しみにしていきましょう。行ってらっしゃい。
2週間本園で頑張っていただきました実習生の先生が、本日をもって学びを終えられます。懸命に取り組まれる姿から私たちもたくさんの学びを得させていただきました。ありがとうございました。素敵な先生になられることを心から願っています。
カテゴリ:卒園生・転園生の皆さんへ!