お知らせ

秋の来訪者

2025.09.20







先週の金曜日、本日と0,1歳児(つくし組)、1歳児クラス(れんげ、すみれ組)と2歳児クラス(たんぽぽ組)の子どもたちが、それぞれ別のクラスで過ごす交換留学!を行いました。また、秋の兆しを感じる頃となり、昆虫や植物、果物と触れ合う機会も増えていきます!

先の発達をいくおにーちゃん、おねーちゃんが一人でもクラスにいることで、子どもたち同士は大きな影響を受けます。小さな子にとって大きな子が行うことは、大胆でカッコよく憧れの対象になります。逆に大きな子は小さな子の羨望の眼差しを敏感にキャッチし、得意げに頑張ろうとすることもあります。このような作用があることは双方の発達にとても良いことだと考えています。

しかし他者のことよりも「自己中心のただ中」にいる段階の子にとっては、まだまだ他者の言動に気持ちや目が向かないのが当然のことです。「自己中心」を謳歌すべき時です。時々それぞれの発達の中で、無理なく関りを持つことで、良い意味での影響が生まれることを期待したいと思います。このように大まかなスパンの中でお子様の発達をとらえておけば大丈夫です。他の子と比べることは無意味です。

部屋の中のバッタ、実は他の保育士が部屋の中へ招き入れたようです!そしてバッタに触れることが平気な保育士が手に持ち、子どもたちに見せてあげたということです。安心感からか子どもたちは皆、見る、触る等を試していました。

カエルはこれまた触れるのが大丈夫な保育士が、手で持って子どもたちに見せています。生き物への接触がまだまだ少ない子どもたちにとって、少しづつ触れ合える機会を提供していくことはとても大切だと思います。どんな様子なのか、怖くないのかなどは、身近に感じる環境(水気さえあればカエルは餌を求めて草むらにやってきます)がなければ味わうことが出来ません。

シークワサーは今の時期にたくさん成っていますので、子どもが もごう と思えばいつでも可能です。できなければ様子を見て同意を得てお手伝いしても良いでしょう。いつか自分の指先で もぐ 時がやってきます。それも大人や仲間がシークワサーを もいでいる 様子を見ることが出来るのはおそらくこの園庭内でしかできないことです。

さらにバッタやカエルは保護色で茶色になっている個体もいます。「同じ種類でもなぜ緑や茶色の生き物がいるの?」、いつの日かその不思議さ(科学的視方)に気付く時が来るでしょう。それも身近にバッタやカエルが住む環境があってこそです。

このような小さな生き物、植物、野菜や実に触れていくことは「〈ESDエデュケーション・サスティナビリティ-・デベロップメント〉持続可能な開発のための教育・〈EfS〉持続可能な教育(いつも同じ時期に虫や植物がみられる環境)」の大切さを願う心を育てることでもあります。何時も決まって生き物、実、花が現れる季節、様々な生き物の状態にいつもめぐり逢い感じていくことこそ、自然のおもしろさや大切さに気付く原点なのです。

その事がいずれ自然を慈しみ、結果人間が生きていける世界を残していくことに繋がります。壮大な願いかつ生き物としての使命(持続していく地球)は、実はこんな小さな自然と子どもの成長期に繰り返し体験する感動の中にこそ潜んでいるのです。

地球環境は増々悪化しています。これから地球で生きていく子どもたちが、自分事として温暖化、ごみ問題、自然保護について乳幼児から考える機会を設けていくことこそ、私たち大人に与えられた使命であることは確かなのです。

カテゴリ:生き物・自然・人間

解党的出直し?

2025.09.20

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はようございます。
石破総理の自民党改革への覚悟は後任候補に伝わるのでしょうか?自民党の一致団結は、派閥、政治資金等責任が明確にされることもなく、毎回問題に上がりますが、内輪もめの様相を呈し、何も進まずうんざりするような状況になっています。外交問題の目途が立ったのは進歩ですが、山積みの内政問題をどのようにスピード感をもって解決していくのでしょうか?物価高騰への対応、防災への備え、地方創生への取り組み、子どもを育てやすい環境構築、人を大切にする労働環境を作り「楽しい日本」を目指す等、国民が期待していた施政方針が朝令暮改になってしまわないのか危惧します。
正直言えばわずか1年で石破総理退陣は残念に思います。党内で仲間がいないと言われていましたが、徒党を組み多数に流されるような政治体制でないことに期待もしていました。多くの政治家が同じ党員同士の出方や足並みをそろえることを優先しますが、そこが古い体質の自民政治でもあり、政治資金に限らず様々を改革していかなければ、真の意味で日本の政治は変わっていけないのではないかと思います。石破総理が言うように良識的な判断ができない政党の安易なポピュリズムに乗せられず、日本の行く末を責任をもって描き進んでいける総理、内閣、議員組織を作っていかなければなりません。代表民主主義制を敷く日本では、国のトップを議員に付託しています。やはり選挙で選ばれる人をよくよく吟味する必要と義務(国民権利の行使)の実行を確実に行うことが大切だと考えます。

カテゴリ:政治・国際状況

体験と表現活動の関係

2025.09.15

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指先の操作は中々難しいですが、みんな集中してよく頑張っています!集中できる時間は好みや発達に左右されますので、個人差があります。それはそれでよいのです!

それぞれの考え方で取り組むことが出来ればよいのではないでしょうか?得意な子は随分長い時間行うことが出来ます。このような取り組みは「集中する」、「指先を自分が使った結果を得る」という活動ですので、にこにこ笑いながら楽しむというよりも、思った結果を得るために頑張る気持ちの満足を求める活動です。どの子も真剣に素材と向き合っていますよね!

終わってから自分の成果を自分で満足するを、まずは味わってもらいたいものです。うまいとかの評価ではなく、「がんばって貼れたね」、「おもしろい形だね」、「あかやあおやきいろ、沢山のシールを貼りました、きれいだね!」などの具体的な言葉で様子を伝えてあげると、何がよかったのかを子どもなりに感じ取ることもできるのではないでしょうか?

さらにお話しすると、今日の活動が体験に基づくものであれば、なお素晴らしかっただろうなと振り返ります。もしも昨日園庭で見た虫、収穫した野菜、葉っぱの模様や形が台紙に書いてあったり、色画用紙が虫や昆虫の形であれば、もっともっと子どもの心の中はざわついていたのでは?と考えてしまいます。

子どもも大人も経験(見る聞く触る)を通して感動を得たことは、強烈に心に残っているものです。それは「絵本をみる」であっても良いのです。言葉の表現が未熟でも、その思いを伝える手段は、造形や描画などの文化的活動の表現の中にもたくさんあるはずです。

言葉にならない心の感動を、工作や造形はきっと叶えてくれると思います。たとえ大人が見て何を描いているのか分からなくても、本人が心の底から満足できていれば、その力は次へとつながり、「もっともっと・・・」といった意欲の発現へと導かれていくことでしょう。

私たち大人は子どもたちに何を望むのか、どんな力の育ちを期待しているのか?その道筋をよく考えなければなりません。子どもにとっての表現とは、感動体験があってこそ「表現しようとする意欲」につながるのです。まずは「経験ありき!」の道筋を計画する、もしくはつなげることが、子どもの「やりたい」をさらに伸ばしていくことを私たち大人は心に持っておきたいものです。

カテゴリ:教育

第四十四候「鶺鴒鳴 (せきれいなく)」 9/12~9/16頃

2025.09.15

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おはようございます。
【七十二候が白露の次候に変わり、セキレイが鳴き始める頃となりました。「チチッチチッ」と鈴のように高い声を放ちながら、秋の空をさわやかに飛んでいくセキレイ。水辺を好む鳥ですが、民家の軒下などにも巣を作るので、その鳴き声だけでも聞いたことがある人は多いはず。セキレイは、長い尾が特徴のスマートな小鳥で、羽色は主に「背黒・白・黄」の3種類が見られ、それぞれセグロセキレイ・ハクセキレイ・キセキレイの名が付けられています。尾を上下に振り、地面を叩くように歩く様子から、「石叩き」の異名も。また、日本神話の伊弉諾 (イザナギ) と伊弉冉 (イザナミ) に男女の交わりを教えたことから、「恋教え鳥」とも呼ばれます。こうした伝説から、セキレイは古来より夫婦円満の御神鳥として崇められ、結婚の儀にも関係が深く、皇室の成婚時には新床にセキレイの飾りが置かれてきたそうです。】
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宮澤賢治の童話に「めくらぶどうと虹《「めくらぶどう」という、ちょっと違和感のある名称の実は、全盲の人の眼球の色に似ているからとつけられた野葡萄の俗称だということです。その実の色を見ていると、虹の淡い色に近しいものを感じました。めくらぶどうの不自由さと、虹のはかなさが擬人化されて語り合うのですから、とても神秘的な世界です。》」というお話があります。

【抜粋 もずが、まるで音譜(おんぷ)をばらばらにしてふりまいたように飛(と)んで来て、みんな一度(いちど)に、銀(ぎん)のすすきの穂(ほ)にとまりました。】自然を音としてとらえ、季節の変化を捉えていた賢治さん、秋がやってきて自然の中に様々を見つけられる心を持ちたいと思います。そんな変化を見つめていると、子ども心にも少し近づけると思います。

カテゴリ:生き物・自然・人間

皆既月食

2025.09.15

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おはようございます。
【満月が地球の影に覆われて赤黒く輝く「皆既月食」が8日午前2時半ごろから全国各地で見られました。「皆既月食」は、太陽と地球と月が一直線に並び、満月が地球の影に完全に覆われる現象です。国立天文台によりますと、8日の午前1時27分ごろから南西の空にある月が欠け始め、午前2時30分ごろ、月全体が地球の影に入り皆既月食の状態になります。皆既月食になると、月は地球の大気で屈折した太陽の赤い光があたり、「赤銅色」と呼ばれる独特の赤黒い色に輝いて見えます。この状態は午前3時53分ごろまでの間、1時間20分余り続き、午前4時57分ごろには元の満月に戻るということです。】
皆既月食、日食、流れ星等々現代では科学的見地の元、その仕組みが明らかになっており、毎年あるいは数年に一度の天体ショーとして楽しむ機会となっています。しかしほんの百年前には、太陽や月と言った日常当たり前に観ている天体が、黒くなる、赤銅色となることは、世の中の天変地異を予感させるたいへん恐ろしい現象でした。人々は太陽暦(太陽の動きで暦をつくる)や太陰暦(月の満ち欠けで暦を作る)によって、季節や農作物の適期を知り種まきなどの時期を決めてきました。毎年変わらないことが大切であったため、この奇怪な現象は生きていくうえで脅威だったに違いありません。
宇宙や自然という無限がもたらす人間生活の幸不幸は、人間の力ではどうにもならないことがいまだに存在しています。科学技術がどこまで進歩したとしても、「怖れを抱く心(畏怖)」を人間は忘れてはならないと思います。驕り、慢心する心を戒め自然に逆らうことなく生きていくことが、この世に生を受けた生き物の定めでもあります。

カテゴリ:生き物・自然・人間

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