お知らせ

あそびで育つ身体と心!

2024.12.22


なんだろう?

 
手には一杯の花梨


なるほど!一気に転がるたのしさを満喫!

あそびの中で使う指先、全身は使いこなすことで少しづつ発達が進んでいきます。それに伴い習慣の時間もかからなくなり、相乗効果を生んでいきます。生活習慣は目に見えることのため大人も神経質になりがちです。しかし、着脱、食事、睡眠、排泄などは遊びが豊かになり、器用さや巧みな操作が楽しさから上手になっていくほどに、指先使い、人との関係性も上手になり、その結果面倒で煩わしい習慣が「さっさと」できるようになっていきます。とても時間がかかることでもあります。

大人は「あそび」にこそ、その豊かさを伸ばしていくための努力に力を尽くしていくほうが良いと思います。多少の時間的差異があったとしても、生活習慣はいつかはできるようになるものです。あまりに何度も指摘し続けることは、逆に子どものやる気を奪っているかもしれません。

お絵描き、シール貼り、押し車、花梨抱え、ままごと等々、その一つ一つの動作の中に、子ども自身が身につけていく習慣を見つめていくことが大切です。遊びの中で、なかま、ご家族、保育士への子どもの働きかけをとらえていきましょう。使う言葉や甘えを求める姿勢に、不足している愛情や身体接触、「うれしい、かなしい、くやしい」など芽生えている心を受け止めていきましょう!

いたずらや、なかまへの攻撃、食べ物で遊ぶなど、大人の価値観として否定すべきことを子どもたちはおもしろがって行う時もあります。いくら幼くても、してはならないことはきっぱりと「いけない」を伝えることは必要です。しかも心底から叱ることです。しかしその伝え方は考えなければなりません。「必要に何度も」、「心が傷つくほどに」、「汚い言葉」、これらは現に慎み、子どもとの付き合いは叱ることも「心をこめる」を忘れてはなりません。不適切とは子どもへの心がないことだと思います。自己の習慣にそぐわないからではなく、「子どもにとって必要だから」、これを忘れてはなりません。

カテゴリ:あそび

自然物は決して人間には作れません!

2024.12.22

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ええーーーい 三人で ペッタン ペッタン ペッタンコ

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ふふーん こうなってるんだ!

お餅を視るのも触れるのも初めての子どもたちがいたかもしれません!この得体のしれない物体は何だろう?まずは触ってみて感じてみよう、白くてネチャネチャ柔らかいね、あったかいし、増々分からなくなっていきます。でも、つく、丸める頃にはみんなすっかり素材のおもしろさに魅了されていたようです。

昨年まではお米をつぶして行っていましたが、やはり本物はいいですね!粘りが強い!だから実際手にしてみると、もち米ならではの感触が伝わってくると思います。これが食べ物であることはこのような体験、お正月、お鍋を食べる時にいつか結びついていくことと思います。保育園の小さな、しかし大切な初歩的人間生活の経験として位置付けたいものです。

昨日は焚火をして実際の炎を視る、あたる、煙の臭いなどを経験された子どもたちがいました。初めての物に対しては様々な反応がありますね。不安、怖れ、好奇心、それぞれの距離感は個性的ですが、やはり年齢なりに本物を体験していくことは大切なことだと考えています。そして子どもと自然の間で安心感を与え、その素晴らしさを伝えていく場や大人の存在も、子どもの心を育てる大切な役割を担っているのです。

火、お米は人間にとって欠かすことが出来ないものであると同時に、恐ろしい物、不足、過剰によって災いをもたらすものであることを覚えておかなければなりません。私は幼児の自然教育に40年程携わってきました。「火」は暖をとる、食事を作る、獣から身を守る、仲間と集う等、人間が生活していくうえで欠かすことのできない自然物です。水も同じですが、コメは水やお日様がなければ育つものでもありません。このような自然の摂理を幼い時から学んでおくことで、自然がもたらす偉大な力を理解していけると思います。

大いなる自然の存在は、人間が作り出せるものではありません。同時に「子どもを作る」といった表現は、とてもではないですが、人間の為せることではないことを奢って使う言葉としか思えません。子どもの命が簡単になくなってしまった時代は、成人することが何にも代えがたい親の大きな喜びでした。子どもは「天から授かった命」です。だから貴重で唯一で、大切に育てなければなりません。今の時代「子育て」が様々な問題を抱える状況といなっています。また知らない人に簡単に「生きる」を奪われるような時代になりつつあります。自然の摂理を思い出し、知恵を絞り子どもたちが健全に育っていく環境を模索しなければなりません。

カテゴリ:生き物・自然・人間

物を大切にする!

2024.12.22

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これは 保育園で一番長持ちしている車です!

観る、扱うのが初めての物品は、子どもたちにとって強い興味の対象となることが多いです。大人でも新しいものは着てみたい、使ってみたいが当然ありますので、子どもにおいてはなおさら強く引き付けられますね。そんな新しさは使い込んでいくうちに色あせもします。

しかし使い込むことで次に現れる感情は愛着です。そして愛着を持った物品に対しては、大切にしなければ、壊さないように、丁寧に扱う等の気持ちも湧いてきます。言葉で直接教え伝えることが必要かもしれません。ですが色を塗り替えたり、故障を直したりすることで、子どもたちがしばらく見かけなかった好きなおもちゃを再び目にすることで、大人が大切にしているおもちゃであること、その気持ちに気付くことも大切だと思います。

何度も何度も修理され着こなした服、つぎ跡があるズボンや服などは最近では目にすることが少なくなりましたが、ボロボロになったバスタオルを大きな雑巾にして再利用することもできます。リサイクル、リユースも大切ですが、一つの物を使い切る大人の姿勢が感じられることも、子どもたちの教育には必要な環境であると考えます。

すべてにおいて為していくことは大変ですし今の時代には無理がありますが、子どもたちに「もったいない」、「使い切る」、「物の命」、「作った人の思い」等を感じさせていくことは、生き物や、ペット、飼っている小動物の命に対する捉え方にも影響するものと考えます。何でもかんでも簡単に捨ててしまっては、いつかは躊躇なく人の心を命をも捨て去ることに、罪の意識を感じない心の持ち主となりかねないかもしれません。 

「物を大切にする」とは、「人を大切にする」に通じ、「ごみを捨てない」にもつながります。ひとつ一つの物品、自然、公共物に対する態度は、大人の背中から学んでいきます。子どもに対し恥ずかしくない大人でなければなりません。生活を丁寧にしていくことで、子どもたちは環境から学びます。その価値観は潔癖や散らかりに対する神経質な考え方、行動とは意が異なります。時期や時間といったスパンの中でタイミングを考え、方付けを図っていけばよい問題だと感じます。

カテゴリ:教育

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